するとほら、
まるで悲しげな顔が嘘だったように。
スッキリと余計なものが落ちたみたいに。
黒瀬はにっこり微笑み返してくる。
モテたことないけどモテる男はな、女心が手玉に取るように分かっちまうんだな。やっぱ——
「あの、あの……なんで胸ぐら掴んでらっしゃるんですか」
黒瀬は笑顔を張り付かせたまま、制服を掴み、右手を大きく振りかぶる。
そして有無を言う時間もくれず、
バチンッバチンっ!
と頬が吹き飛んだってくらいの衝撃が走る。
あれ、こかしいな?
なに……なんで俺、今の流れで叩かれんだ?
だって自分で一時的な評価なんて価値がない、って言ったんだからマイナスでも気にしないはずじゃ。
もうトゥンク、トゥンクしているはずの場面なのに、なんで俺が引っ叩かれてんの。
「形容詞に価値はない。
確かにそう言ったはずだけれど、なぜかしら? 今、無性に苛立ちを覚えているわ」
不思議そうに頬へ人差し指を当て、見た目だけは可愛らしく小首を傾げる黒瀬。
その原因をもっと探る、とさらに往復ビンタを続けてくる。
怒ってふっ? 怒ってふな、これ間違いなく怒ってふわ。
「褒められ続けたから、いでッ。
普通とッイ、思うようになっただけでッブォ、ちゃんと価値あったじゃッ」
手のひらを広げて静止させようと会話している最中にも、ビンタし続けてくる黒瀬の腕をなんとか掴み。
ようやく訪れた一時の平穏に「ハァハァ」と肩で息を整える。
人が、人が喋ってる時は黙って聞く、それ以上に大事なマナーを身に叩きつけられた気分だ。
こっ……こいつ、頭脳派かと思ったら脳筋なところもあるじゃねぇか。
文句あるなら言い返してくればよかったのに、おかげで頬っぺたがカイロ張られたぐらいに熱ぃっ。
そして今、掴んでいるにも関わらず、話さないでいると、また叩こうとして力が入っている。
「ごめ、ごめ、見惚れるぐらい綺麗だったって、綺麗だったからビンタはやめてくれって!」
流石に馬鹿じゃないので、とりあえず事実そのまま褒め、怒りを鎮めることに専念する。
そうして黒瀬の動きが止まり、ようやく解放されたので襟を戻す。
「そうね、つけ上がっていたところがあったかもしれないわ。
完璧な容姿で匂いを嗅がれたって動じないぐらいだったってのに、侮蔑を言ってきた人は初めてよ」
馬鹿にされたことがない? ま、そこまで綺麗なら納得ではあるか。
「今時、暴力ヒロインは流行らないから気をつけたほうがいいぞ」
「今時、デリカシーのないヒーローも流行らないわよ」
服装を整え、嫌味を言うとすぐさま嫌味が返される。
「ま、でも俺は面倒くさがりだからよ。
花が枯れたところで玄関に飾ってるし、愚痴ぐらいは聞くぞ」
「その時があったら……頼るかもしれないわね」
黒瀬がまた顎に手を乗せながら、ジロジロと俺を観察し始める。
「不思議ね、誰にも話したことがなかったのに貴方なら話してしまったわ」
「っえ」
なに、なにこれ、なんか空気が一気にしっとりというか湿っているというか。
もしかしなくても口説かれてる、口説かれてるよね。
どうしよう、今は総理が変わってからというもの、子どもの意見が尊重されるようになったとはいえ未成年は未成年。
よくない、絶対に良くないぞ。
「分かったわっ! 出会いから下品な我を出してたからね」
手を叩き、勝手に自己解決した黒瀬は満足げに商品をまた見始める。
あっそう……そうっすよね、ゴミに気遣うような人間はいない。そういうことよな。
違う、違うよ?
あの時はボールがわりに蹴られまくったから、自虐的になっていたからで本当の俺はかっこいい、間違いなくかっこいい……。
やめるか、こんな話は。
「これは……」
勝手に1人で落ち込んで下品なのは直そう、って誓っていると。
興味があるものがあったのか、黒瀬が一つのランプを手に取った。
「じわる影絵ランプ? なんだそれ」
黒瀬がすぐ元に戻したので手に取り、横にあった商品説明を読む。
『淫魔に備わる読心能力を模倣・改良した投影魔術が組み込まれたランプ。
「願望……悩み?」
「自己分析がちゃんとしていれば必要ないわ、貴方はやってみたら?」
有無を言う前に黒瀬がカチ、とスイッチを入れてしまい。
淡いオレンジ色をした小さな燈がランプの中をゆらゆらと揺れ始める。
「それをつこうなら、この不良品のサングラスが相性ええよ」
いつまで経っても影はできない、店内が明るすぎるからだな。
などと思っていると、気づいたら戻ってきた老人が一つのサングラスを差し出してくる。
「また不良品……? なぁ、ここには不良品しかないのか」
「ぬふふ、ロマンチックな場所をいつでも作れるようにと作った『周りも暗くするサングラス』じゃ」
質問に答えず、つけてみろっとばかりに近づけてくる老人。
聞いた感じでは中々すごい発明じゃないか?
とりあえず、かけてみれば分かるか。
「凄い……明るかった店内が暗くなった」
「あぁ、本当に凄いな」
歓声をあげる黒瀬と違い、俺のテンションは数段と下がった。
「いかんせん、暗くする発生源がサングラスなもんでな。つけている人は何も見えないんじゃ」
老人の説明を受けて、黒瀬がぶんぶんっと手を切って確かめてくるが何も見えない。
ロマンチックな場所を作るためのサングラスなら致命的……いや、そうでもないか?
顔を近づければ近づけるほど暗くなるってのも、キスする時に恥ずかしさが無くなるから良いかもしれない。
くるくると見回しながら、意外と実用性はあるかもしれない。そう思っていたところ、一つの光がある事に気づく。
あれは……そう、ランプの影だ。
「でもま、魔力が原因のものだけは通すらしくてな。これにぴったりなのじゃ」
長髪と思わしき女性が床に座り込み、そこへ赤ちゃんがハイハイしながら近づいた。
彼女が手を広げると、赤ちゃんは一直線に胸へと飛び込み、口が大きく開く。
一度、サングラスを外し、2人の位置を確認するが影的にありえない。
つまり、消去法的にこれは俺の影になるが記憶にない、ってことは願ぼ——
『ママ、ママっ、ママのおっぱい美味しすぎる! ずっとずっと吸ってたいよぉ!』
冷たく機械的な音声が響き渡り、俺の思考がピタと止まる。
そんな俺を嘲笑うかのように、影のクソガキは口をさらに大きく開け、雫を周囲に飛び散らせやがる。
サングラスを外して二人の反応を確かめようとしたが、指があと一歩のところで止まった。
——見る? 見て、どうするつもりだ?
もう変えられない過去なら、知らないままの方がいいことだってあるんじゃないのか?
『あーん、あーん、吸いたくないのに吸っちゃうよぉ! 助けて、助けてくれぇ!』
「心を読む機械ならさ、俺の気持ちも読んで黙ってろよッ!!」
ランプを鷲掴みにし、大谷翔平もビックリの勢いで床に叩きつけると、破片が派手に飛び散る。
『俺は俺に怒った! 怒ってるゥゥゥゥウウウヴィ!』
それでもまだ息の根が残っていたようで煽ってくるから、思いっきり踏み潰し。
二度と喋れないように、念には念を入れて、何度も何度も踏み潰してやった。