まるで時代を超えたような巨大な城。
黒く輝く石垣が空に向かってそびえ、その頂点には天守閣が空を貫こうとばかりにそびえている。
それを取り囲む白い外壁には、生きてるような脈打つ赤い模様が描かれ、幾層にも重なった壁を越えると。
堀にかかる石橋が見え、透き通った水の中を色鮮やかな錦鯉が泳ぐのが目に入った。
「ど、どぶじで」
赤く腫れた頬をさすっていると、元凶の黒瀬がスカートの裾を気にしながら睨みつけてくる。
「それぐらいで済んだのが安いぐらいよ」
確かに抱きついたのは悪かったかもしれない、が。
まぁ、お金貰える約束をしてもらったし、俺的には万々歳だから文句はやめよう。
「入学式兼懇親会の会場は、こちらの右手を上がったところにあります」
新入生の波に流されるまま城の中へ入ると、そこは現代的なコンクリートの壁に、温かみのある竹細工が所々に散りばめられていた。
天井には提灯が吊り下げられていて、温かみの暖色系の色を発していた。
良かった、ひとまず淫魔とか魔術使うのに、一番の天敵がシロアリとか虫じゃなさそうで。
『祝 入学式』
懇親会の会場と思しき場所に着くと、デカデカと掲げられた垂れ幕が目に入る。
青空の下、満開の桜に囲まれた広大な庭。
芝生の生えた段々畑のような地形に、長いテーブルがいくつも並んでいる。
正面には、さっき渡ってきた堀で泳ぐ錦鯉が見え、なんとも幻想的だ。
例えるなら、巨大な縁側で景色を眺めている、そのような感覚だろうか。
凄く穏やかな空気が流れている。
城の構造的に、ここは階段を降りた石垣の中のはずで、真上は石や土台のはずなんだが……青空が広がってんだな。
「各々、好きな席に座って、懇親会なんだからリラックス、あーリラックスぅぅぅぅ」
中央に集まる明らかに先生っぽい人たちの中で、黒髪長髪に白衣を着た一人が手を叩いて注目を集め。
そのままテーブルに突っ伏して、ダルそうに目を閉じた。
えっ…………寝た? 違うよね、え、寝たの?
「私はここにするわ、貴方は貴方の好きにしていいわよ」
すぐそばのテーブルに腰を下ろした黒瀬は、ぶっきらぼうに言い。
せっかくだからお言葉に甘えて、新しい交流でもしようかと生徒たちを見回すと。
「おい、あれ、あの人だ。魅了もできないくせ、問題起こした人」
「自分じゃ勝てないからって二年生と手を組んで一年生襲ったんだろ? 男も女もぼこぼこらしいぜ」
ひそひそとこちらを見て、噂話する男二人がいた。
事実が歪められてる……そんな都合良く広がる訳もないだろ、っと思っていると、見覚えのある奴らがこちらを指差すのが見えた。
「あの綺麗な女の子と親しそうだけど、仲良いんかな」
「ばっきゃろ、警察が魅了を解除させ忘れたに決まってんだろ。可哀想に……逆らえないんだ」
あれは確か、現実世界の学校で襲ってきた奴。
警察が動いたことはどうやっても誤魔化せないから、被害者面で俺に責任押し付けてんのか?
試しに胸ポケットへ手を入れてみるが、怪訝な顔をするだけで防衛反応は見えない。
「おい、あいつらの記憶が戻ってないから、俺らが悪者みたいになってるぞ」
「悪者になっているのは貴方だけでしょうが、私まで一緒みたいに言わないでくれる?」
善意でわざわざ忠告してあげたってのに、黒瀬は冷たく突き放してきた。
「酷いな、俺とお前の仲だろ?
お前のせいでもあるんだから責任取って『自分がたぶらかしました』って言ってくれよ。
いじめられてんだぞ、こっちは」
「この状況で寝っ転がる肝っ玉があるなら、貴方は大丈夫よ」
どう考えても、今新しい交流しようと近づいたら面倒ごとが起きそうなので諦め。
段差に腰を下ろし、隣で芝生に身を委ねただけなのに酷い言いようだ。
でも、確かに他の生徒たちは会話こそすれど、みんな姿勢良くぴーんとしてる。
「他所は他所、うちはうち、ここぞって時にだけ頑張ればいいんだよ」
「そう」
「やっぱ、姿勢良くした方がいいか?」
少しだけ不安になって聞いてるが、黒瀬からツッコミが入らない。
よく注視すると、彼女もまた呼吸を落ち着かせ、緊張している様子だった。
ただ、テーブルに肘を乗せ、頬に手へ乗せているあたり、この場にではないことだけは確か。
ま……十中八九、実家のことなんだろうな。
「
そして新潟淫魔高等学校への入学おめでとう、新入生たちよ」
ハスキーで心地良く、威厳のある老人の声が響き渡る。
テーブルと芝生の隙間から覗くと、いつの間にかほとんどの生徒が椅子に座っていて、誰もがよく見られようと姿勢を正していた。
「ここの校長、破門 祐天だ」
黒い和服に身を包んだ老人が教師たちの前に進み出た。
それに合わせ、台本らしきものを載せた台が地面を滑ってくる。
車輪、じゃないな。地面と一体化してるみたいに生えているくせ滑ってる。
「集まった諸君の中には一次成長期、二次成長期、あるいはもっと後から淫魔の才を自覚したものもいると思う。
だが、誰もが誘惑と理性の間で己を磨き、平等な教育を受ける権利があるのだ」
あーぁ、淫魔の学校だから変わるわけじゃないんだな。
入学式とか垂れ幕があったあたりから、嫌な予感がしたんだ。
「女性の権利が騒がれる現実社会、察しの良い方々がいるなら、気づいてる者もおろう。政府や社会が長らく女性中心で、サキュバスたちに統治され続けきた。
レディーファースト、などと侍従関係を誤魔化すためのマナーも生まれたものだ」
懇親会って名前はついているけど、結局は入学式、いつの時代も校長先生の話は長ったらしい。
上司のつまらない世間話に眠らず耐える訓練だ、って親父はよく言ってたな。
「かつては男性の淫魔というだけで虐げられてきた歴史もあった。だが、社会は変わりつつある。男性だからといって希望や夢を諦めるでない」
校長は左右へ歩き出し、たまに小さくジャンプまでして、新入生の顔を一人一人、よく見ようとし始める。
「ほほー、今年の新人は顔つきも自然で、身体も一段とボリューミーじゃな」
満足気に顎髭をさする校長。
そうか? リラックスしてるのは俺だけで、他の新入生は笑うどころか緊張で固まってるようにしか見えないけど。
あれか、新入生が調子乗って気持ちよくなれるからって、毎年恒例の褒め言葉を言ってんだろ。
適当だなー、まったく。
「っあ……まずい」
校長が左から右にそれを繰り返す中で、芝生で肘をついて寝っ転がり、覗き込んでいた俺と目が合う。
気のせいではなく、間違いなく目があった。
歩いていたのがぎこちなくなって、二度見した後、苦い顔をしたからな。
「肝っ玉でかいのがおるな。
実に愉快、愉快じゃ、この芝生に春らしい花見日和の景色、寝っ転がりたくなるのもよぉく分かる」
黒瀬が失礼にも距離を取ってきたので、彼女の後ろへ隠れるように匍匐前進を始める。
「しかし、人の話を聞く最低限のマナーってのがなけりゃ」
愉快そうだった校長の声が一変し、バンっと両手で台を叩いた。
「——共通先祖の吸血鬼みたいに絶滅してしまうぞ」
その異様なまでの風圧で台本がペラペラとめくれ、生徒たちの髪が波打つほどの突風が遠くの俺まで届いた。
声は落ち着いているが、怒ってる。めっちゃ怒ってる。
「ちょっと、貴方のせいで面倒ごとが増え……ふぇ?」
「……っぇ」
だが、それとは裏腹に。
会場の空気は引き締まるどころか、会場は引き締まるどころか緩んだ。
誰かの困惑がこぼれ、怒っていた黒瀬まで眉を顰めた。
なんだ?
やけにみんながザワザワしてるし、怯えてる感じでもない。
何が起きたんだ?と、黒瀬の背後から覗いてみる。
「……は?」
ふわり、ふわりと風に乗りながら台本の表紙がめくれ、ゆらゆらと舞い落ちた。
裏表紙には、腕で谷間を寄せて強調する水着姿の女性がデカデカと載っている。
誰がどう見ても台本じゃない。
あれ、そう――グラビア雑誌だ。