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第2話

 ルームシェアをしないかと、持ちかけたのは籠澤だった。

 前回の事件の真相の全貌を、長尾は掴んでいるわけではないのだが、目の前の必死な眼差しで切り出した友人の本家が絡んでいるのだろうことは、薄々と勘付いていた。

 おそらく長尾が追及すれば、この友人は自分が語れるだけのことを教えてくれるような気がした。

 そうして、自分の前から去って行くのだろうことも。

 そう思うとこの申し出は、真実を隠してでも自分長尾を守るために、巻き込んだ責任を手放さぬようにしようとしているのだろうと、長尾は読んだ。

 同じくして長尾の方もまた、踏み込んだ先で見た友人を取り巻く得体の知れない闇を知ってしまったところで、「じゃあこれで」と背中を向けるなどできない性分だ。

 お互いに、お互いの目的は表に出さずにいたが、このルームシェアは必要であるという意見で一致した。


 大学に男子寮はあったのだが満室で、二人は年末年始にかけての繁忙期に賃貸物件を探すことになった。

 さすがに少し時期を待った方が良いのでは、と長尾が声を掛ける間に、しかし籠澤はやけにあっさりと2LDK角部屋、ルームシェア可、家賃8万強、ついでに(予定は無いが)ペット飼育も可という優良物件を持ってきた。

 予想だにしない好条件に瞠目した長尾に、「父さんのツテで」と籠澤は答えた。

 なるほど、この時期にルームシェアを持ちかけられたのも、ある程度の目星がつけられていたからなのだろう。

 そして同時に、このルームシェアが籠澤の家族も推していたことを知った。


 そもそも籠澤はこのルームシェアを持ち出す前は、実家住まいであった。本家のごたつきが解消したとも聞いていない。

 両親にとっては、大事な一人息子だ。家にいてほしいのではないだろうか。

 自分の息子だけでも心配なことだろうに、自分よその子どもまで気に掛けてくれるとは、友人の心根がまっすぐなのも分かるというものだ、と心底納得する長尾である。

 つまり籠澤を預けられたのと同じことだと、勝手に責任を拵えて背負っていくのもまた、長尾という男であった。


 かくして無事に部屋を確保し、二人のルームシェアが幕を開ける。

 そして開始早々、野菜を切ろうとした籠澤がキュウリに添える手の指をきっちりと伸ばして揃えたのを見て、「料理はやる」と青い顔の長尾が止めたのだった。

 行儀よく指を落とされてはかなわない。




 今晩のメニューは、三品。

 バイト先の中華料理店から、賄いとしてもらった肉野菜炒めと、「スイッチはけがをしない」と籠澤に任せた炊飯器の白米、週末に仕込んでいる味噌玉を溶いた味噌汁。

 中華料理店の店長は、もともと長尾が一人暮らしのときから、まあいいからいいからと、そこそこ多めの賄いを出してくれていたが、友人とルームシェアをすると話してからは明らかに二人分の賄い(2パックずつ)を持たせてくれるようになった。開き直った感さえある。

 長尾はバイトを掛け持ちしており、中華料理店には週に2、3日で入る。毎日ではないとはいえ毎度賄いを持たせてくれるので、さすがに一度断ったおり、店主に大真面目に返された。


「人からの厚意は受け取って、受け取った厚意は別の人間に渡していくもんだ。

 そうやって気持ちは循環してくんだ。止めてくれるな」


 止めるなと言われてしまえば、生真面目な長尾は受け取らざるをえない。

 店主から受け取った厚意は、身近な人間へと渡される。長尾の籠澤支援に拍車が掛かっていくのである。


「今度、長尾のバイト先に還元しに行かなきゃな。

 俺がお店に貢献するのは、循環になるよな?」


 一度長尾を介すから、と肉野菜炒めを頬張る籠澤に尋ねられると、長尾は驚いたように彼を見た。

 店主の言葉に感銘を受けたものの、自分は店主に直接厚意を返せないのであれば、一体どうやってお礼をしたら良いだろうかと悩んでいたのだ。

 なるほど、と頷く。


「そうだな、籠澤が返してくれるなら」

「OK、任せといて」


 料理番を降板にされたことが地味にショックな籠澤は、しっかりとサムズアップで拝命した。

 八角と山椒が効いた肉野菜炒めが美味いのは当然ながら、味噌汁もちょうどいい塩梅(籠澤が自分で作ると味噌の量が分からず、薄いか濃すぎるかの二択になる)である。

 長尾の自炊は手慣れているのだ。


「長尾の得意料理って何だ?」


 料理番の礼として、食後の洗い物は籠澤の担当だ。

 洗った食器をキッチンの上の棚へ片付けながら、籠澤はふと尋ねた。

 長尾を見遣ると、彼は彼で煎茶を急須に準備しているところだ。こういう彼の習慣は、籠澤の家では母親が担っていた。


「得意と思ったことはないけど、親父は俺の卵焼きが好きだって言ってたな」

「それは美味そうだなあ。いつでもいいから、今度食べてみたい。

 いや、そうだな、教えてほしいな」

「卵焼きなら、包丁は使わないからな……」


 うむ、と長尾は眉根を寄せて考えてしまう。自分の包丁さばき(未遂)はそこまで彼に衝撃を与えてしまったのかと、籠澤は少し申し訳ない気持ちだ。


「俺も卵焼きが好きだった。

 母さんの味付けを思い出しながら作っていたから、親父が好きなのも分かる」


 長尾は、彼が中学のときに母を亡くしている。籠澤は前回の事件の終わりに、そのことを彼自身から聞いた。

 彼の慣れた仕草や習慣は、家事を肩代わりしてきた時間に培ったものなのだと、籠澤は納得した。

 テーブルに戻ってきた籠澤に差し出されたマグカップを受け取りながら、長尾を見る。


「長尾は、母さんに会えるなら会いたいと思うか」

「うん?」


 唐突とも思える籠澤の質問に、長尾は一瞬反応が遅れた。


「今、てことか。たとえば…… 母親の幽霊に、て?」

「うん。変なこと聞いて悪い」

「いや、いいけども。

 そうだなあ…… 話したいことは色々あるな」

「なるほど。そうだよな」


 籠澤はそう頷いた。そこには、順当と納得があるように見えたが、同時に小さな食い違いを飲み込んだような違和感も挟まっている響きがあった。

 その音が気になった長尾が「お前は」と尋ね返す間に、籠澤は続けた。


「しずちゃんも、会えるならもう一度おじさんに会いたいと言ってた。

 でも話を聞く限りでは、声を掛けてる場合じゃなさそうな状況だしな」

「姿を見たのは、高校の友だちなんだろ。

 生前とまったく変わってる形相で、おじさんだと言い切れるものだろうか」


 長尾の疑問に、籠澤も頷く。「まあそれもある」

 昇が入院したのが高校三年の夏だとしたら、その友人が彼を見た期間は2年と半年ほどだ。家族でもなければ八千代の家に遊びに行ったときくらいしか、対面するタイミングはない。

 その中で友人の『父親』の顔を覚え、異常な状況の中でその人と判断できるものか。


「割と、調べることが多そうだな」


 マグカップの湯気を飛ばし、長尾が呟く。

 籠澤も同じように頷いた。


「その四辻にも行ってみたいけど、たぶん俺は感じることもできないと思うから。

 一緒に行ってくれるか」


 と、籠澤が言うのは、彼の『お守り』が特別だからだ。

 何か強い存在が籠澤の傍にいて、彼を霊的な存在から守っているという。その力が強すぎて、籠澤自身をいわゆる零感状態にさせてしまっているらしい。

 実際、前回の呪いの写真事件の際も、彼は渦中の人間の中で唯一最初から最後まで無事であった。

 あるいは、籠澤が呪いの原因となった写真を破ったから解決したのであって、予定通り長尾が写真を破っていたら、今ここには籠澤一人だけだったかもしれない。

 長尾も事件の中で、籠澤の傍にいる存在を見たような気がしている。

 白い小さな足。

 柔らかな光に包まれていたのか、それとも内側から零れていたのか。伏した長尾の目には、その両足はほの明るく見えた。


 しろさんと呼ばれていただろうか、と長尾は夢で見た光景を思い出す。

 籠澤を得体の知れない見えない脅威から守る一方で、その加護を持つゆえに、彼は本家から長く付きまとわれてしまっている。


「もちろんだ。

 俺も勘が鋭い方ではないが、二人なら気づくこともあるかもしれないしな」


 長尾が頷くと、籠澤はホッと安堵したように笑った。

 籠澤は長尾の友人であると同時に、写真の呪いから自分を救ってくれた恩人でもあった。

 仮に籠澤が長尾へ「一人で四辻に行ってきてくれ」と言われたとしても、長尾は当然のように承諾しただろう。

 そんな籠澤への恩返しストックが長尾に大量に保有されていることなど、籠澤は夢にも思っていない。


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