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第4話

 今夜も店主から二パックのトマトと卵の中華炒めをありがたく受け取り、長尾は一度部屋に戻った。

 ちょうど先に部屋に戻っていた籠澤が、一休みしているところだった。

 彼も彼で塾講師のバイトから帰ってきたところのようだ。


「時間あるか。少し腹に詰めてから向かうのはどうだろう」

「いいね。お湯沸かしてるところなんだ」


 籠澤は、長尾とルームシェアをするようになって、「お茶を飲む」という習慣がついたという。

 長尾にしたら子どもの頃から母親が何かとお茶を淹れてくれるので、亡くした後もそれが残ったに過ぎないと思っていた。

 なので、この癖のようなものが誰かに伝播したことが、少し面映ゆいような不思議な気分だった。


 米を炊く時間はないので、貰ったパックのままトマト卵炒めにレンゲを突っ込む。

 和洋中問わず、卵料理は万人に受けがいい、とは作った本人店主の言だ。

 おそらくこのごま油をオリーブオイルに、中華だしをコンソメに変えれば立派な西洋料理になるだろう。

 キクラゲはエリンギあたりが妥当だろうか、などと思いながら長尾はレンゲに掬った卵を頬張る。ここでやはり白米が欲しくなるのは、日本人の性というものか。


「しずちゃんからは、メールが届くはず」


 出し抜けに向かいの籠澤が切り出した。

 昼間の、八千代の母に聞いておくと言った件だ。


「八千代さんは、実家住まいだっけか」

「うん。だからちょっと学校から遠いんだよな」

「住所は聞いてもいいか」

「もちろん。四辻との距離も、知っておいてほしい」


 と頷くのは、「彼女の生活圏外」という認識が、長尾と離れていないかを確かめるためでもあるのだ。

 籠澤から住所を聞いた長尾は、おや、と眉を上げた。


「俺の実家に近い」

「まじか」

「最寄り駅はたぶん一駅違うんだろうけど、自転車で行けるくらいの距離だ」


 長尾は自分のスマートフォンを取り出し、web検索に住所を入力して地図を出す。

 八千代の家と長尾の家の位置を示すと、「ほんとだ」と籠澤は目を瞠った。


「じゃあ、何かあったら長尾んに行けって言っておくよ」

「まあ、三人で住んでた家だから、部屋はある。

 それに親父、体力有り余ってるだらうから、力仕事が要るようだったら言ってくれ」


 軽い冗談交じりの籠澤に、長尾は割と真面目に応えた。

 母子家庭というだけでも日々生活が大変だろう。手伝えるものがあるなら喜んで手を貸す長尾の性格は、父親譲りだ。

 籠澤は以前に病院で少しだけ話した長尾の父親を思い出す。目の前の友人をそのまま経年させたような、口数は少ないが信頼できる空気の男性だった。

 そのことが、なんだか嬉しい籠澤だ。

 にこにこと笑いながら自分を見る相手に、長尾が「うん?」と気付くと、籠澤はひらひらと軽く手を振った。

 十分そこそこで食べ終えると、二人は四辻へと向かう準備をする。

 四辻には電車を使って向かうが、最寄りの駅から二つの線が四辻を上下で挟むように通っている。

 どちらを使ってもそれほど時間は変わらなそうだ。


「四辻の最寄りまで一本、ドアtoドアで三十分強。

 住宅街のど真ん中だからな、あまり長い時間留まってると怪しまれる」


 外へ出ると風は無いが空気が冷たく、まだまだ冬の名残が居座っている。

 手袋をするまでではないが、外に出しているのも落ち着かず、長尾はジャケットのポケットに両手を突っ込んだ。


「そういえば、出現する条件とかはないのか。

 ふつうに四辻で待っていればいいんだろうか」


 怪異に詳しそうな雰囲気で長尾が聞いてくるが、これは前回彼らが巻き込まれた事象が条件付きでの発動だったことに起因する。

 あれは人為的に引き起こされた怪異だった。


「そこまでは分かってないな。

 ただ、しずちゃんの友人もたまたま通りがかったときにって話だし、仮に条件があったとしても、その友だちも分かってないかもしれない」


 そうなると、条件があった場合に特定するのが難しそうだな、と長尾は押し黙ってしまった。

 その空気を感じたのか、籠澤は「まあまあ」と彼の背中を叩く。


「今日は現場の確認ができればいいよ」


 この調査の主体は彼の方のはずなのに、長尾の方が深刻になりがちである。

 前から籠澤は感じていたが、長尾は至極真面目なのだ。目の前のことにしっかりと真正面から立ち会う。

 それは彼が過去に大事な人母親を亡くしていることと無関係ではないのだろう。

 何かを見逃してしまったら、二度とそれに触れられないと感じているのかもしれない。


 車内は昼間と打って変わって、仕事終わりのサラリーマンが詰まっていた。まだ週の半ばだというのに、酔っ払いっているのかふらふらとつり革に掴まりながら、隣の相手と陽気に話している様子も見える。

 籠澤は目の前に立つ酔っ払いを見上げ、自分もこの先でこんな風に笑う相手が隣にいるだろうかと思う。

 籠澤が本家を嫌う理由には、やり方が常軌を逸していることが第一にあるが、もう一つ大きな事実があった。仮にやり方が一般社会に基づいたものだったとしても、そのもう一つの理由のために、籠澤が本家を許すことはないだろう。

 彼には、大事な友人であり幼馴染が

 それは故人であり─── 本来の本家次期当主だった。



「籠澤」


 とん、と長尾が肩を叩いた。

 ハッと彼を振り返ると、向こうも籠澤の様子に小さく驚いているようだった。


「次、降りる駅だ」

「そうか、ありがとう」


 車内が混んでいるのもあり、前もって声を掛けてくれたのか。


「大丈夫か。疲れてる?」


 どうやらぼんやりとしていたらしく、長尾が心配そうに窺う。

 籠澤は笑って手を振った。

 車両が次の駅のホームに入っていくのが、長尾の後ろの窓に映る。


「いや、大丈夫。行こう」


 すいません、と前に立つ人へ声を掛けながら、二人は席を立ち、到着した車両から降りた。

 ホームにも人が列をなしていて、そこには制服姿も少なくない。

 男子学生が肩から提げているスクールバッグに、高校名が書かれていた。同じ制服が多いようだ。

 こんな遅くまで部活だったのだろうか、などと思いながら、長尾は車両に乗り込んで行く制服の背中を見送る。

 長尾は、高校の入学直前に母親を亡くしている。だから高校の間は授業が終わると同時に帰宅していたし、こんな遅くに外に出ることがあるとすれば、それはバイトからの帰りだった。


 改札を抜けるとまだ少し構内が続く。

 書店やコンビニ、立ち食い蕎麦などの小さな店舗がいくつか並んでいた。


「学生も社会人も嬉しいラインナップだな」

「うん?」


 長尾のコメントを、籠澤が不思議そうに拾う。


「駅に入ってる店舗が」

「ああなるほど。長尾、面白い視点だな」


 カラッとした笑い声を上げる籠澤。まさか真面目な男・長尾から、そんなコメントを聞くとは思わなかった。

 ほかの駅にだっていくらでもありそうな並びを、そんな風に捉えるのだなと籠澤は驚いたのだ。

 だからというわけではないが、籠澤はコンビニに入るとレジにあるホットコーヒーを2つ買った。突然店に入る籠澤に困惑しながらついてきた長尾へ、一つ渡す。


「夜になるとまだ少し寒いからな。

 飲みながら向かおう」


 春先の夜風は、いまだ冬の名残を感じさせることが多い。今夜も、昼間の陽の光を拭い去るような風が吹いている。

 手に持つ缶の熱を感じながら、二人は四辻へと向かった。

 駅前の幹線道路を越えると、辺りは途端に住宅街となる。二車線の道路が一本通っているものの、そこから一つ離れると、車がすれ違うのが難しいくらいの生活道路が拡がっている。

 事前に目的地にピン留めをした地図をスマホに保存していたので、そう簡単に迷うことは無いと思うが、何も知らずこの中に放り込まれたら迷子になりそうだ、と長尾は感じていた。


 隣でスマートフォンを確認する籠澤の顔が、モニターの光に照らされているのが見えた。

 電灯が無いわけではないが、少し暗いようだ。家から零れる光が無ければ、一人で歩くのは少し怖いかもしれない。

 そんな場所に出るのか、と少し長尾は背筋が寒くなる。

 籠澤はおそらく何があっても姿を見ることは無いだろう。もし見ることがあれば、それは自分の方なのだ。

 籠澤に怖い思いをさせることがないのは良いが…… それと自分が目撃してしまうことは別の気持ちの問題である。

 しかし、この先問題を解決するならば、見えないよりも見えた方が情報も増える。

 こんな夜にそんな恐ろしいものを見たくはない気持ちと、見えた方がいいだろうという理論的思考とが衝突して、なんとも絶妙に嫌な気分だ。


「お」


 不意に籠澤が声を上げる。

 四辻に着いたのかと長尾は顔を上げたが、籠澤の視線はスマートフォンに落ちたままだ。


「しずちゃんから連絡が来た。

 おばさんに聞けたみたいだな」


 筐体を傾けて見せてくれた画面は、長尾ともやり取りしているチャットアプリだ。

「しずちゃん」と書かれたアイコンから伸びる吹き出しは、そこそこ長文である。


「あとで長尾の方にも転送しておくよ。

 ざっと読んでおくと……」


 と、籠澤が画面を親指でスクロールしながら要約しているようだ。

 普段、歩きスマホはやめてほしい派の長尾だが、今は人気も無く隣には自分がいる。何かあれば声を掛けることはできるだろうと、そのままコーヒーを飲みながら籠澤の続きを待った。


「…… 四辻のことは伏せたみたいだね。

 あとは概ね、しずちゃんから聞いている内容と同じっぽいな」

「そこまで、本当にいい人だったのか。

 実の姉にまで認められてる」

「たまにいるよな。根っから情緒の作りが違うっていうか。

 ただ、でも」


 うーん、とさらに読み込んだ籠澤が小さく眉を寄せた。


「怒らせると怖かったみたいだ。暴力を振るうわけじゃなくて。

 圧、みたいな」

「ああ……」


 やっと出てきた昇の半面だが、長尾は妙に納得ができた。


「普段優しい人が怒ると、ギャップが大きくて怖いよな」

「なるほど、分かる。長尾が怒ったら、俺怖くてひたすら謝ると思うし」


 長尾に同調するように籠澤が頷いたので、長尾は一瞬文脈を追えなかった。

 自認しているが、長尾の顔つきは一般的に怖い部類に入ると思っている。だから怒ったら怖いのは当然だ。

 しかし今の話の流れでは、籠澤は普段長尾のことを「優しい人」と認識していることになる。


「八千代さんみたいな人のことを言うんじゃないか」

「しずちゃんは、小さい頃に何度か怒らせたけど、まあ、しずちゃんだったよ」

「小さい頃と今じゃ全然違うだろ」

「うーーん…… 想像し難い」


 眉間を寄せて首をひねる籠澤の様子に、彼の中で八千代が脅威となる想定がまったく無さそうだと分かった。

 一方長尾の中では、八千代との話をしてから子どもの頃の籠澤がなかなかやんちゃをしているイメージで固まってきている。

 そのうち昔話を聞いてみたい気もしてきた。

 そう思っていると、ジャケットのポケットが震えた。長尾のスマートフォンだ。


「メッセージ転送したから、後でゆっくり読んでみてくれ。

 次の四辻だ」


 続いた籠澤の言葉に、ポケットのスマートフォンを取り出そうとした手を止めた。

 目の前に、これまで通ってきた四辻と何ら変わりのない四辻が

 そう、長尾にはどこかその四辻が、そこへ踏み入るものを静かに待ち構えているように思えたのだ。


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