「…… ちょっと変形した四辻だな」
道の交差に立ち、籠澤はそれ以上の感想が無いような様子だ。
四辻に面しているのは民家と、一角が駐車場となっていた。籠澤の言う通り綺麗な四辻ではなく、直線の交差がそれぞれちょっとずつでずれている。
道幅といい、あまり車では通りたくはない道だな、などと二人で頷きあっていた。
道がずれてはいるが、一角が駐車場としているためか、昼間は見通しはそれほど悪くないだろうと思われた。
ただ、ほか三軒の民家は四辻に対して庭か、窓の少ない壁が面していて、交差点が死角となっているようにも見える。
それが何を意味するのだろう、意味を持つだろうかと、長尾はぐるりと四辻に視線を巡らせた。
「あまり長くいると不審かなと思ったけど、案外大丈夫かもな」
ぽつりと呟いた籠澤の言葉に、長尾は何か引っかかった。
だが、それ以上手繰り寄せるものがない。長尾は曖昧に頷いて返す。
「おじさんは、どうしてここに現れるんだろう」
ただ無言で待機するには、この場所は寒くて暗かった。
何も感じないという籠澤でも、状況自体がこうでは喋っていた方が気が楽だ。幸い四辻の音は隣家に届きにくそうである。
「八千代さん
「webで確認したけど、だいたい電車で1時間半てところだったかな」
「散歩で来るには、気合い入れてくる時間だな」
散歩に気合い、と籠澤は心中繰り返したが、長尾だったら散歩にだって気合い入れて行きそうだとなぜか思ってしまう。
だがそれは長尾に限ったことなので、ほかの人間が気合いを入れて散歩に出向くかは見込みが薄い。
あまつさえ死後に現れるくらいの執着を残すとは。
「関連が薄いんだよな……」
もう空になった缶コーヒーを口元に押し当てながら、籠澤はじっと四辻から先を目を凝らすように見つめる。
関連…… 強いて見つけるとしたら───
「八千代さんの友だち、か」
昇を目撃したという、この話題の発端。
「もしその友だち目掛けて現れたのだとしたら、
「でも、その子は別に日常的に昇さんを見ているわけではないんだよな」
「しずちゃんから聞いた話ではね。ただ、確かにもし四辻以外に見ているのだとしたら、それも一緒に聞いていてもいいよな。
あるいは───」
と、籠澤は一度口を噤んだ。
電灯の下でも分かるくらい、彼は苦い顔をしている。その表情で、長尾は彼が何を言おうとしているのかが分かった気がした。
「─── おじさんの様子から、まああまり良い意味で現れてるわけではなさそうだから。
不都合なことを隠している可能性もある…… けど」
見ず知らずの人間に、完全に憶測でしかない悪い評価を付けることを躊躇ったのだろう。籠澤はそういう男だ。
長尾は頷くも、ひらひらと手を振った。
「今時点では何でも考えられる。圧倒的に持ってる情報が足りてないからな。
ひとまずは可能性の一つとして置いとこう」
「…… そうだな」
長尾の提案に、籠澤もホッと安心したように頷いた。
そうして、今度は軽い仕草で首を傾げる。
「しかしそうなると、友人の方にはどうアプローチをするかが悩ましいな。
隠し事の可能性があるのでは、しずちゃん一人では荷が重そうだし、かといって俺や長尾がついていくと警戒されそうだし。
圧は掛けられそうだけどな」
「女の子にそんなことできない」
「長尾はそこにいてくれれば十分だ」
安心してくれ、と言わんばかりの籠澤の発言と口ぶりだったが、再度長尾は文脈を考えてしまった。
だが、言及する前に籠澤は持っていたスマートフォンのカメラを起動してかざす。
「とりあえず、四辻の様子だけ写真撮っておくわ。
暗いから細かいところは分からないかもだけど、雰囲気は分かるだろう」
後半はほぼ独り言のようだったが、籠澤は四辻からのそれぞれの道へ向けて、逆にそれぞれの道から四辻へ向けて、一通り撮影を行った。
その彼の様子を見守っていた長尾は、不意に背後を振り返った。
自分でもなぜそうしたのかが、理由が分からない。
何か─── 音が、聞こえる?
「長尾?」
自分たちが来た道の方を見つめる長尾に気づいた籠澤が、怪訝に声を掛ける。
長尾は自分の口元に人差し指を立てた後、押し留めるように籠澤の方へ掌を向けた。
長尾の見つめる先には、沈黙を押し込めたような暗い道しかない。
だが何か、低い、振動音のような、
ヴヴヴ……
長尾が認識した瞬間、四辻の空気が一変する。
肩に、いや全身を上から押さえつけられたように、思わず膝が抜けかけたのを寸でのところで堪えた。
重い。
反射的に籠澤を振り返ったが、彼はまったく平気な様子で、しかし至極心配そうに長尾を見ていた。
「来た、かも」
辛うじて長尾が返すと、籠澤は目を見開いた。やはり分かっていなかったようだ。
籠澤は自分に向けられていた長尾の腕を掴んだ。それで自分の状況が変わるわけではなかったが、命綱だとなぜか長尾には感じられた。
闇の向こうから聞こえていた音が、次第に大きくなる。
長尾を包む四辻の空気も、重くドロドロとした感触を伴ってきたように感じた。四辻に置かれた透明な箱に、粘度のある液体が満ちているのかとさえ思う。
いや、四辻の空気ではなく、もしかしたら近づいてきている何かの気配だったのかもしれない。
長尾の本能的な部分が、今すぐこの四辻を離れるようにと訴えていた。
しかし、彼自身は、
自分の腕を掴んでいる籠澤の心配は必要ないだろう。彼には強い加護がある。
だが、それゆえに、今この状況を知る由が無い。
だから自分が見届けなければ、せっかくの情報を掴むことができないのだ。
ヴヴヴァァァァァ
音が、もう明確に長尾には聞こえていた。低音のようでもあり、高音のようでもある。
今までに聞いたことがない、機械音でもなく、ましてや人の声でもない。一番近いのは───
外からの響きではないことに、長尾は気づいた。
思考している自分のその真横で、重い唸りが頭を埋め尽くし
ヴアアアアアアアア゛ア゛ア゛!!!
「長尾!」
閃光のような鋭さで、低音を貫いて届いた声。自分を呼ぶ声。
ハッと気付くと、長尾は両手で耳を塞いでいた。その肩を、籠澤が力強く掴んでいる。
「聞こえるか?! ずっと呼んでいるのに、長尾」
振り返った先の籠澤は、視線がかみ合った長尾へ安堵と心配の表情を浮かべていた。
ずっと呼んでいた…… だが、長尾にはあの音にかき消されてか、籠澤の声は届いてはいなかった。
だが今は─── 脳を押し潰すような低音は消え去っている。
「大丈夫なのか」
自分を見つめたまま応えの返ってこない長尾に、籠澤は再び心配そうな様子で彼を覗き込む。
そこでようやく長尾は完全に我にかえった。
自分の肩を掴んだままの籠澤の腕を叩きながら、「大丈夫だ」と応える。
そして今体験したことを伝えようとしたのだが、視線の先に見えた民家の雨戸がおそるおそると開こうとしていることに気づいた。
さすがに少し騒ぎすぎたようだ。
「戻ろう、誰か来るかもしれない。
駅に着いたら話す」
「まじか。分かった」
長尾の視線の先を籠澤も確認し、二人は足早に四辻を離れた。
あの身体に重く纏わりつく空気もからりと晴れたようになくなっていたのだが、長尾は四辻に向けた背中にいまだゾクゾクと怖気が走っていた。
あの空間はいったいなんだったんだ。あれが 『昇おじさん』だったのか……?
幹線道路の先、駅の灯りを見つけ、長尾はやっと長い息を吐き出した。