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第7話

「え」


 まったく予想外の返答に、籠澤は思わず間の抜けた声が出た。

 梓葉は変わらない表情と、調子で続ける。


「端的に、私の管轄外だ。

 太家は『場』を管理するものなのでね。人単位の話になると、申し訳ないが扱いが分からない」

「そういうものなのか……」

「当てが外れて悪いな」


 口調が変わらないので、本当に申し訳ないと思っているのか定かではない様子に見えるが、籠澤は「いや、とんでもない」と手を振った。


「わざわざ時間を取らせてしまって、こちらこそすまない。

 もう少し梓葉の分野を理解してから来るべきだったね」

「これを機に覚えてもらえたらいいさ。

 それに、せっかく足を運んでもらえたのだから、参考程度でしかないが私の所感を伝えよう」


 完全になしのつぶてではないようだ。

 籠澤と長尾は梓葉の言葉に、心持ち前のめりになる。

 微笑みを湛えた梓葉の言葉を待つ二人の様子は、まるでご神託を受けるようにも見えた。


「その四辻にいるのが『人』で、長尾が音しか聞こえなかったのであれば。

 それは長尾の受信が散漫だった可能性がある。ピントが合っていないということだ。

 姿を見たいなら、一度視覚的な情報を確認した方がいい。

 写真でもなんでも、相手の姿を認識して、それから再度四辻に行ってみろ。

 それでも音しか聞こえないなら、そこにいるのは『人』ではない可能性も考えた方がいい」


『昇』の姿を確認して、もう一度四辻へ───


 確かに、実はここまで長尾は『昇』の写真を見ていなかった。

 それは、四辻でを見た時に、写真のイメージに引っ張られることを懸念したという理由がある。

 だが、どうやら逆のようなのだ。


「単純に、俺の勘が鈍いということはないですか」


 いくら情報を集めたところで、アンテナが弱くては結果は変わらないのではないか。

 長尾が一番気にしていて、今回ここに来た理由でもあることを、真っ直ぐに梓葉へ尋ねた。

 彼女の小さな面が長尾を向く。

 そのわずかな動作によって、梓葉が羽織っている黒羽織が、真っ黒ではなくて青紫がかっている事に気づいた。まるで烏の羽のような色合いだ。


「一度怪異に触れたものの中には、以降に対して異様に感覚が研ぎ澄まされる場合がある。

 長尾、お前が深く浸食されたは、その中でも特に異質なもので、その解除においても非常に特殊な現象が起きている。

 さらに、今現在お前は木綿の隣に在り、常に『しろ』の影響下にあると思えば───

 一度自分の感覚を試してみても良いと、私は思うがな」


 流れるような梓葉の話に、言葉を失ったのは長尾だけではない。

 隣で、籠澤もまた目を見開くようにして、彼女の話を聞いていた。


 前回の一件で、長尾が本家の人間に認識されてしまった可能性がある。あの連中が、自分への交渉材料として彼の身を持ち出すことはない、などと言い切れない。

 ならば、いっそなるべく近くで、おかしな状況があればすぐに気付けるようにと、籠澤はルームシェアを提案した。

 何もなければ何もないで、楽しい思い出になるだけ…… だと、考えていたのに。


 長尾を変容する一端に、自分も加担していたとは。


「木綿」


 梓葉に呼ばれ、籠澤はハッと顔を上げた。


「調査を続けるなら、お前はできるだけ四辻には行くな」

「え、なんで」

「『しろ』が場を清めてしまう。そうなれば、そこには何もいなくなる。

 一方で、もし長尾に異変があれば、お前がついていてやれ。

 『しろ』が清浄化する」


 長尾は籠澤を見た。

 秀才然として、何事ものんびりと受け止めるのが常だった友人の顔が、引きつっていた。

 長尾が彼に声を掛ける前に、二人の内側に生まれた感情など知らぬような梓葉の声が、籠澤に止めを刺す。


「神の一柱を降ろしている。お前は歩く神域だ、木綿」





 再び土塀に沿って歩く二人がいる。

 梓葉の助言を受け、引きつっていたように見えた籠澤は案外早く平静を取り戻したのか、温くなってしまったお茶を飲み干すと彼女に礼を言って場を締めた。

 入ってきたときと同じように、挨拶をして退室すると、やはり入ってきたときと同じように智詩が玄関にて見送りをしてくれた。

 正門を出ると、二人は黙々と駅に向かって歩き始める。会話が無い───

 とはいえ別に沈黙が苦ではない長尾は、先ほどの話を今一度咀嚼する時間に当てることにした。


 四辻にいる存在の正体は、いまだ掴み切れていない。

 もう一度赴く必要があり、その前に自分は『昇』の姿を確認した方が良い。

 籠澤は四辻を訪れない方がいい。

 しかし、自分に何か異変があれば籠澤の傍にいると良い。

 ─── 彼自身が、神域であるから。


「長尾」


 不意に、籠澤が足を止めた。

 気付かず二、三歩進んだ長尾は、静かに自分を呼んだ彼を振り返る。


「すまん。俺、長尾を巻き込んでしまった代わりに、助けになるつもりだったのに……

 長尾によくない影響を与えていたかもしれない、て話だ、さっきの」


 籠澤は怒っているような、困っているような複雑な表情を浮かべていた。

 よく見れば、下ろされた彼の拳は握りしめられている。

 平静に見えていた籠澤の内側では、ぐつぐつと感情が煮えていたのだ。


「俺、悔しいよ、長尾。

 自分が持ってるよく分からないものが、自分に都合の良いものと思い込んでたんだ。

 そんな浅い考えを持ってた自分に腹が立つ」


 籠澤の声が微かに震えていた。本当にこの男が怒っているのだと、長尾は驚いていた。

 彼は普段声を荒げることも無ければ、苛立ちから眉根を寄せることもほとんどない。

 そんな人間が一体何に対して怒りを見せるのだろうと、おそらく数時間前の長尾は分からなかったのだが。

 そうか、この友人は自分自身に対して、深い怒りを見せるのだ。


「俺は」


 籠澤の怒りを見守りながら、長尾は自分が明らかに安堵していると感じていた。


「籠澤に救われていたことは、確かにあると思う」


 籠澤の影響下に長尾がいることを不安に思って、自分から離れてしまう選択をされるのかと思っていたのだ。

 だが、籠澤の口からその言葉は出てこなかった。


「まだ見えないものの良し悪しを判断するには、早いんじゃないか。

 少なくとも、八千代さんの件を追うには、俺は悪い条件じゃないと思うんだ」


 何か異変が自分の身体に起きたとしても、籠澤にリセットされるなら安心して調査ができるというものだ。

 さらに、これは彼が気にしそうな微妙なラインだったので口には出さなかったが、もしも本当に籠澤の…… 『しろ』という存在の影響を受けて、感覚が鋭くなっているのだとしたら、『昇』を感知できるかもしれない。


「しずちゃんの相談事、まだ追う気があるのか」


 そんなことを言ってくる籠澤に、長尾は眉を上げた。

 やはり、よほど自分に対して得体の知れない影響を与えていることを気にしているように見えた。

 ここで長尾が引いたとしても、自分は事件を追う気満々な顔をしてくるくせに。


「もちろんだ。

 八千代さんが悩んでいるし、


 なぜそんなことを言い出すのか、とばかりに長尾は言ってやった。

 籠澤は、事も無げに言い放つ長尾をじっと見つめている。彼の本心を探るようでもあった。

 ここで彼から視線を逃してはいけないと、長尾も籠澤を見据える。

 時間にして数秒程度だったろう。だが、二人の中ではなぜか「一番長い時間」という感覚が湧いていた。

 やがて、籠澤が表情を崩す。彼らしい軽やかな笑いを見せた。


「そうだな。しずちゃん一人じゃ、大変だからな。

 ありがとう、長尾」


 笑いながら、籠澤は手を伸ばして長尾の肩を叩いた。

 自分が影響とやらをなんとも思っていないことで、籠澤は自分を許せただろうか。傍らを通る彼の横顔からは、その答えは見つけられない。

 こんな実績のない言葉で解決できるほど、軽い怒りでもなかったように見えた。




「しかし八千代さんも、籠澤の本家ではない割に、結構な頻度でその手の事象に巻き込まれているな」


 再び駅に向かって歩く途中で、長尾はしみじみと思うことを切り出した。

 籠澤もいつもの呑気さで首を傾げる。


「そこはまったくの偶然だと思うし、それ言うなら長尾もだろ。

 こうして俺の相談を受けている」


 巻き込まれてる、と籠澤は言うのだが、長尾自身に巻き込まれたという自覚がない。

 前の呪いの件は、そもそも籠澤自身が巻き込まれていたことに自分が関わったのだろうし、あるかどうかも分からない影響なんて、今は実感が持てない。

 それよりも、長尾としては友人のことの方が、よほど心配だった。


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