二度目の改札を通ると、当然ながら店舗はすべてシャッターが下りていた。
少し前までは駅に入っているスーパーマーケットも遅くまで開いていた気がしたのだが、最近は終電と同時かその前に閉店してしまう。
駅を出たところに24時間営業のコンビニがあったはずなので、もし入用があればそちらへ向かうかと長尾が傍らを振り返ると、隣にいると思っていた籠澤の姿がない。
慌てて見回すと、彼は駅の入口で止まっている。
ああ、そこで待っているということかと一瞬思ったが、籠澤の顔は横を向いていた。何かを見ている。
彼の視線の先を追うと、駅周辺の案内板があった。
籠澤はおもむろにコートのポケットからスマートフォンを取り出すと、その案内板を撮ったようだ。
「籠澤」
写真を確認してる様子の彼を呼ぶと、籠澤はハッと長尾を振り向き「すまん」と言いながら駆け寄った。
「何撮ってたんだ」
「この周辺の施設の案内版だ」
やはり、籠澤は案内板を撮っていたらしい。
「何か気になったことでもあったか」
「うん…… 長尾が四辻を確認してる間に、俺も確認してみる」
そう言いながら、籠澤はスマートフォンをポケットに戻した。歩きスマホはしないようで安心する長尾だ。
四辻に向けて歩いていくのだが、先日よりももっと深い時間のせいか、あのときは灯っていた周囲の家も闇に溶け込んでしまっている。
「この間より時間がだいぶ遅いが、これで何も起こらなかったら、時間も関係しているってことだな」
声を潜めながら、籠澤は切り分けた。
なるほどと長尾は感心する。確かに絶対現れるとは言えないし、けれどそれはそれで分かる事実がある。
今夜四辻を訪れることに消極的だと思っていたが、切り替えたら切り替えたで貪欲に情報を取りに行こうとする。
やがて、二人は駐車場のある四辻に辿り着いた。
幸い駐車場の灯りは煌々と交差点を照らしている。
「じゃあ、俺はちょっと離れたとこにいるな。
まずそうな状況になったら、絶対無理するなよ」
籠澤はそう言うと、少し考えてからズボンの後ろポケットから財布を取り出した。
さらにその中から、小さな紙片を取り出し、長尾に着き出す。
「お守り。俺がずっと持ってるものだ。
前回、本田からもらったお守りが少なからず効果あっただろ」
「ああ……」
長尾が遭遇した『呪い』の事件には、もう一人同じ大学の男子学生が巻き込まれていた。
その男が神社でお祓いを済ませたときに購入したお守りが、学業守りではあったものの、一時的に『呪い』の怪異を遠ざけた…… ような気がする。
「いや、でもなるべく何も持たない方が」
「神社でちゃんと清めた直後のお守りの方が強いはずだから、完全に身を守れるかは分からないやつだ。例によって厄除けではないし。
でも頼む。持っててくれないか」
そういう籠澤の顔を見て、長尾は気づいた。
駐車場の明かりは強いが、その分影は濃く落とされる。後ろから照らされる形の籠澤の顔は影になりがちだが、心配げな目元は強調されるようにはっきりと見えた。
『昇』を見て欲しいと頼んだのは彼自身で、しかし長尾に危険な目に遭って欲しくないと思うのも彼だ。矛盾している。
だが、その気持ちが分からないわけではない。
「分かった。ありがとう」
長尾がお守りを受け取ると、籠澤はホッと肩の力を抜き、四辻から離れるように後退した。
長尾は「任せろ」とばかりに彼に笑うと、籠澤とは逆に、歪つにずれた四辻へと踏み入る。
自分の足を止めると、もう辺りに音を発するものは何も無くなったかのように沈黙している。
例えば電光のわずかな唸りや、遠くの車の走行音が聞こえても良さそうなものなのに、この四辻は切り取られて密封されたかのようだ。
密封─── そうだ、前に来たときも、長尾はこの空間を『道に繋がったある地点』ではなく、『切り離されて封鎖された箱』のように感じたのだ。
それはこの流れが滞りそうな道の交差が醸す雰囲気に飲まれているからだろうか。
長尾は交差点に立ち、先日音が迫ってきた方向を見据えた。
じっと暗闇を見つめる。そこで長尾は
目を見開いた。
声が迫ってきた方向には、
道路には電灯があり、光源は強くはないとはいえ、そこそこ先までは見通すことはできる。それを逆側で確認したのだが。
今見えている道の先は、もう三本目が見えていない。
「長尾?」
籠澤が呼ぶ声が聞こえた。自分の挙動を見守っていたようだ。突然きょろきょろとした長尾を不思議に思ったのだろう。
長尾は視線ではなく、掌を籠澤の方へ向けた。
異変が起きている。籠澤は息をつめて、長尾の視線の先を見た。
外気は少し寒いくらいなのに、長尾はダウンジャケットの下で背筋を汗が伝う感覚に気づく。
暗闇から目を離せない。来る。来るはずだ。時間は関係なかった。
闇が、揺れた。
ハッと
しかし、違う。
その顔は。ああ確かに、あの写真の男だ。
目を剥き、食らいつくほどに口を開いている形相は、人間というよりも獰猛な獣のようにさえ見えるのに。
どうしようもなく、あの写真で笑っていた『昇』なのだ。
迫るにつれびりびりと気配が肌を刺す。憎悪だ。激しい憎悪が『昇』から押し寄せてくる。
足が竦みそうだった。逃げ出したい衝動が頭を支配してくる。
長尾は籠澤から受け取ったお守りを握りしめた。腹に力が入り、グッと両脚を押さえつける。
影は。
長尾の目前で、
「う、わっ」
急に長尾が踵を返して自分に向かってきたと思ったら、腕を掴んで来た道を走って行く。
何があったのか、と聞きたかったが、並走する長尾の横顔に答えられそうな余裕は無かった。
ひとまず駅まで走る。
「いや、…… 久しぶりに全力疾走、した……」
「すまん、急に」
「いや、いいんだけど」
二人で膝に手をつき、上がりきった呼吸を整えようと試みる。
籠澤は顔を上げ、長尾の腕を叩いた。長尾がこちらを向くと、肩で息をしながら籠澤は元気よく明るさを放っているコンビニを指した。
何か落ち着くものを飲みたい。
長尾も籠澤の意図に頷きながら、よろよろとした足取りでコンビニに入る。
レジ前のホットドリンクの棚から、長尾はコーヒーを取ろうとして…… その指先が微かに震えていることに気付いた。
自分に驚く長尾の隣から、ひょいと手が伸び、籠澤が二本のコーヒーを取る。
それをレジに持って行き、さらに籠澤はホットスナックを注文しているようだ。
籠澤は、長尾が慌てて支払いの用意をしている間に、さっさとスマートフォンで決済を済ませてしまった。
所在なさそうな長尾に笑いかけると、出ようと店の外を指す。
もうとっくに終バスが出てしまった待合のベンチに腰かけると、籠澤は購入した片方のコーヒーを長尾へ渡した。
「お疲れ。これはお礼」
折半を切り出しかけた長尾へ、籠澤は先回りをする。
「それからこれも。ひとまず腹に何か入れようぜ」
「ありがとう。助かる」
籠澤が袋から取り出したもう一つは箱に入ったから揚げだ。
二人の間に置き、それぞれ一個ずつを口の中へ放り込む。
「なんか…… すごかったみたいだな」
咀嚼したから揚げをコーヒーで流し込みながら、籠澤は長尾へ声を掛けた。
自分の腕を掴んだときの長尾は顔面蒼白に見えたが、電灯の下だったからと思っていた。しかし、コーヒーを取ろうとした指先を見た瞬間に、彼が心底恐怖を覚えていたのだと理解したのだ。
横目に窺った長尾の顔は、だいぶ落ち着きを取り戻したようで、寒さにか鼻が赤くなっている。乾いていたように見えた目も、瑞々しさを見せていた。
「うん。色々見えたんだけど……
あれは確かに昇さんだと思う」
「そうか」
ここでようやく二人の間で、四辻の存在が確定した。
あの交差点にいるのは、『昇』だ。
長尾は写真立ての顔を、あの場所で見たのだろうと籠澤は思っていた。それは確かにそうなのだが。
だが、長尾はもう少し確証を持っていた。
コーヒーを膝の上に置き、長尾は籠澤を振り返る。
「しずく、て声が聞こえたんだ。
八千代さんの名前を呼んでいた」