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第13話

『…… しずくが、あんたのことを相当信頼しているから、あたしもあんたのことを信用して話すわ。

 だから、これから話すことは、あんたからしずくには

 あたしが、しずくに話す』


 決意のある声が、スピーカーから聞こえた。

 うん、と籠澤も頷く。


「了解した。しずちゃんには、頼むよ」


 八千代が来る前、長尾と籠澤は大学の図書館から、過去の新聞記事を探した。あの四辻の件が私人逮捕ならば、地方紙に小さくとも載っているのではないかと思ったのだ。

 そして二人は、四辻のある区域の新聞に「お見事!」と見出しのある記事を見つけた。

 犯人の名前は出ているものの、捕まえた男性と被害者の少女の名前は伏せられていたが、少女の学校名までは出ていた。八千代の高校だった。

 八千代からその事件のことを聞かされなかったのは、単純に彼女が知らなかった可能性が高い。

 八千代は高校のある地元の人間ではないし、学校側も女生徒への配慮をしたことだろう。


 長尾と籠澤は、八千代の家で学生服の彼女の写真を見ていた。

 友だちと並んでいると、どの子も同じような背格好、髪型だ。見慣れなければ、背中姿では人違いをしそうである。

 ましてや光源の少ない夜道ならば。

 そうして、死角になるあの四辻は、誰かを襲うには都合がよい。


『十重さんの話は、話されている部分は本当だ。

 あの男は最初、十重さんのストーカーだったみたい。それが、いつの間にかしずくに標的が変わってたんだ。

 しずくに興味があったのか、十重さんを脅すつもりだったのかは、分からないけど。

 結局襲われかけたのはあたしだったけどね』


 美羽を巻き込んだことで、十重は彼女に事情を話さざるを得なかった。

 重ねて重ねて謝罪をした後で、十重は美羽に告げた。


『しずくには、自分しずくが狙われていたことを伏せていて欲しいと頼まれたの。

 今後絶対に、あの男があたしにも、しずくにも近寄らせないようにすると言ってくれた。

 だから、あたしは事件のこと自体も、しずくには黙ってたんだ。

 あんな怖いこと、知らないままなら知らない方がいいでしょ』


 言い放つ美羽の声は、語尾が震えたように聞こえた。それは決して恐怖ではなく、怒りの響きだと籠澤には感じられたのだ。

 事件はいつだったか。昇が入院する前だから、高校二年くらいか。

 そうであればまだ三年ほどだ。感情を昇華するには短すぎる。


 感情を昇華するには───

 高校から出会った友人がこれほどの憎しみを抱くならば、赤子の頃から八千代を慈しみ見守ってきた昇はいかほどだろう。

 自分の娘のようなものだ。子どものいない昇ならば、と言っていい。父親のいない八千代が、彼を「お父さん」と呼びたかったほどに。

 あるいは自分ならばーー


 昨夜、長尾を襲った影は、最後に彼に向って腕を振り上げた。その手に、何かを握っていたように見えたという。

 昇は、犯人が八千代を襲う可能性を見越して、武器になるものを持ち歩いていたのではないか。八千代の行動範囲を見回っていたのではないか。


『そこまでは聞いていないけど……

 でも、あのとき昇さんもあたしをしずくと間違ってたみたい。

 警棒……かな、あれで犯人を押さえているときに、しずくの名前を呼んでいたから』


 長尾が聞いた声は、そのときの反響だろうか。

 だが、彼は言っていた。


「すごく優しい声だった。誰かを襲うときの声じゃない」


 あの四辻に残っているのは、犯人への強靭な憎悪と、その由来となった八千代への慈愛なのだろうか。

 同時にあの場所に、焼き付いてしまった。


「ありがとう。よく分かった。

 気になってたところは、全部解消したと思う」

『そう』


 籠澤の礼にも、美羽はさして興味が無さそうな返事をした。

 初対面の印象は決していいもんじゃなかったもんな、と籠澤も致し方なしとする。逆に美羽にとっては依然として得体の知れない、自分たちのセンシティブな部分をかき回そうとする存在になってるかもしれない。


『しずくに代わって』


 籠澤はベンチまで戻って来ると、丁寧に液晶を拭ってから八千代へ渡した。

 じっと籠澤を見上げる八千代へ、やはり笑顔で頷く。


「…… もしもし、わたし、代わったよ。

 うん…… うん、明日、11時にいつもの喫茶店ね、大丈夫」


 籠澤が座り直す間に、八千代は「それじゃあ」と通話を切った。

 ふう、と籠澤と八千代がほぼ同時に息を吐くのを、長尾は目撃した。それから三人で軽く顔を見合わせて、なんだか不思議と笑ってしまった。


「ありがとうね、ゆうちゃん。

 ゆうちゃんからは、何も聞くなって言われちゃったよ」

「信頼関係を築くまでには至れなかったよ、さすがに」


 冗談めいて肩を竦める籠澤に、あの束の間で、この状況で、逆に信頼関係を構築できた場合には、怖い方が勝りそうだと長尾は思う。

 スマートフォンをポケットにしまいながら、八千代は眉を寄せて笑った。


「なんだかね、分かるんだよね。

 みんなきっと、わたしを傷つけないように、優しいところに置いておくようにしようとして、ところどころを秘密にしている。

 わたしは、みんなの手を煩わせたくはないから」


 八千代の言葉に深く共感したのは、長尾だった。

 手を煩わせたくない。片親である自分を、ここまで色んな人が気を遣ってくれた。父親本人も、長尾に不自由ないようにと配慮をしてくれたことを、子ども長尾は気づくのだ。

 女の子である八千代は、きっとそれよりも多く感じてきたことだろう。


「でもさあ、ちょっと、うーーん……」


 八千代は苦笑ともいたずらめくとも、なんだか不思議な顔を見せる。


「ちょっと、みんな、わたしのこと甘く見てるよね」


 そうして、ふふ、と笑うのだ。

 その笑顔につられて、思わず長尾も不器用に笑ってしまった。「そうかもね」と籠澤が軽く笑って同意する。

 重荷にするわけでもなく、拒むわけでもなく。これが八千代の築き上げてきた生き方なのだろう。


「八千代さん」

「はい」


 不意に長尾に呼ばれ、背筋を伸ばしてしまう八千代。

 間に座っていた籠澤も、珍しい長尾の行動に少し背中を後ろに傾け、二人の視線の邪魔をしないようにした。


「俺の父親が、八千代さんの家の近くに住んでるんだ。実家なんだけど。

 もしも力仕事がいるとか、なにか怖いことがあったりとか、そういうときは、遠慮なく頼ってほしい」

「え、お父さんが?」

「ああ。現役警官だから、便宜までは難しいけど、相談になら乗れると思う」

「え、親父さんが?」


 これには籠澤も驚いた。以前病院で見た長尾の父親は、長尾によく似ていて口数は少ないが、どちらかと言えば穏やかにも見えた。

 だが、確かに、最初にこちらを見る目が、ほんの一瞬だけ厳しかっただろうか。悪人を見抜く目だ。


「うん。親父には話しておく」

「ありがとう、長尾くん。

 ぜひよろしくお願いします」


 八千代は深々と長尾へ頭を下げた。そこで、長尾は我にかえったように「いや、そんな」と慌てて手を振る。

 母親と娘の二人には、現役警官は物理的にも精神的にも頼もしい。

 長尾に相談して良かったと、籠澤は一人しみじみと頷いた。


「昇おじさんには」


 蒼天に零すように、八千代が呟いた。


「やっぱり、話しかけるのは難しそうなのかな」


 籠澤は長尾を見る。

 四辻で遭遇する様子を思い出す限りは、こちらの言葉が通じるとは思えない。

 長尾は黙って首を振った。籠澤のように、八千代の中の昇を壊すことなく、あの悍ましさを伝えられるだけの言葉を持っていないのだ。


「そっか。そうだよね。残念だけど」


 長尾の反応を見た八千代は、そう言って自分を納得させるように頷いた。

 それからどこかさっぱりとした笑顔で長尾を見た。


「ありがとう、長尾くん」




 こうして四辻の怪異は、その全貌を明らかにした─── とは、長尾も籠澤も思ってはいなかった。

 八千代が図書館を後にするのを見送ると、お互いに顔を見合わせる。


「で、どうしたもんか」


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