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第15話

 籠澤が「清浄化」してしまったと思った夜から数日後、彼のチャットアプリに八千代からメッセージが入った。


『最近、あの四辻で男の幽霊を見るって噂が出ているみたい。

 ちゃんとお祓いをするべきなのかな』


 自分たち以外に、怪異を見つけられ始めている。

 先日の一件で、あの怪異が常に繰り返されていることが分かっていた。おそらく受信とやらがそこに合ってしまえば、いつでも『昇』に遭遇するのだろう。

 籠澤はしばらく部屋の天井を見つめた後、別の連絡先をタップした。





お前木綿が助けてほしいと言うから四辻に行ったが。

 あそこに昇さんとやらはいない。


 いつものセーラー服に黒い羽織姿で、梓葉は答えた。

 以前も訪れた太家の客間だ。大きな一枚板の座卓に、梓葉、長尾と籠澤で向かい合って座っていた。

 梓葉の後ろには紅白の梅の掛け軸が掛かっており、ちょうど彼女の肩口を飾っている。

 梓葉はアルカイックスマイルで二人を見つめた。

 風変わりな服装をしているが、仮にもセーラー服の女子高生を前に、長尾は前回と同じ威圧感をひしひしと覚えていた。

『昇』を前にしたときとは全く別で梓葉からは澄んだ印象しかないのに、それでも圧がある。

 表情とは裏腹に、決して人間を歓迎しているわけではないと、常に言外で示されているかのようだ。


「梓葉が言うのだから信用している上で聞くんだが……

 梓葉が分かるってことは、長尾が見ていたものはてことなのか」


 その梓葉へ、自分や八千代へ接するのと全く同じように、隣の籠澤は話を続ける。

 彼の『零感』は梓葉に対しても変わらずに有効なのだ。


「さすが、勘がいいね、木綿。

 お前が見たのは、つまり昇さん本人じゃないんだよ。

 そこに焼き付いたなにか…… 事象の残像のようなものだ」


 その場に焼き付いた、事象の残像───

 長尾は心中で繰り返した。初めて聞く言葉のはずだが、妙にしっくりと胸の内に馴染む気がする。

 かたや籠澤は、悩むように首を傾げていた。


「昇さん本人ではない、か……

 ちょっと腹に落とし切れてないけど、じゃあなんとかして会話するってことは、できないのか」


 それを聞いて長尾は、籠澤は八千代の望みを気にしているのだと気付いた。

 もう一度昇おじさんと話せるなら、話したい───

 八千代はそう望んでいた。

 梓葉は、その望みをあっさりと打ち払うように首肯する。


「もちろんだ。繰り返すが、昇さんじゃない。

 あれは、そうだな…… ビデオテープと一緒だ。短い、あの瞬間だけを繰り返すビデオテープ。

 繰り返されれば徐々にすり減っていく。

 ビデオテープに話しかけても会話はできない。

 本人から切り離された記録に過ぎない」

「なるほど」


 籠澤は今度はしっかりと頷いた。だがそこに、一抹の無念さがあったように長尾は聞こえた。

『切り離された』という言葉が出てきて、長尾も自分が感じた感覚がずれてはいなかったことに、不思議な安心感を覚えた。

 ならば、残るは。


「すみません、俺も聞いていいですか」


 これまで梓葉の圧に気圧されていた長尾が、その割にははっきりと声を上げた。

 梓葉の黒く透き通った双眸が、長尾を捉える。鋭い視線ではないのに、なぜか長尾は「射抜かれた」と感じた。


「どうぞ」


 そんな長尾を察したのか、梓葉はわざわざ長尾の言葉を促す。

 半歩遅れたような形となったが、長尾は続けた。


「昇さんに遭遇するたびに姿が変わっていって、直前はもう───」


 と、言いかけて長尾は口ごもった。自分の隣にいるのは、その昇の親族だ。

 自分から聞いておいて気付くのが遅かった。

 言葉の途切れた長尾の背中を、パン、と叩いた。籠澤だ。

 隣の彼を振り返ると、籠澤は軽く笑いかけた。気にするなと、長尾は言われた気がした。

 気分を救われた思いだ。「悪い」と自分の不備を謝り、長尾は梓葉へ続ける。


「四辻をあのままにしておいていいのかと思ってます。

 いつか誰かに、良くない事態になってしまうことを危惧してます。

 現に、ほかの人たちも怪異に遭遇し始めています」


 長尾の懸念に、梓葉は軽く頷いた。


「階層が異なる場所で動いているものが、こちらに干渉してくるには相当の力が必要だ。

 階層をぶち抜いて投影されるだけでも十分凄まじいものがあるがな。

 本人の激情と、地形の歪さがあいまった結果かな。

 滞りやすく、暗く、人の目もない。元々濁りやすい場所のようだ」


 梓葉の話に、長尾も籠澤も奇妙に納得ができた。

 あの四辻には納得させるだけの空気があった。


、実際はビデオテープと同じように擦り切れていっているだけで、誰かを直接害するほどの力はない。

 それでも気になるなら、そこの木綿ゆうを3日ばかり四辻に置いておけば、勝手に場が神域化して霊だろうが事象だろうが、塵も残らない」


 長尾は先の夜に、当然のように正常な空間を取り戻した状況を思い出した。

 あれは一時的なものだったが、続けていれば異変と置き換わるということなのか。

 少し時間を要するものの、あの濁った空間を清めることができる。


「霊にしろ、場の働きにしろ」


 梓葉が詠うように切り出す。

 思わず長尾は正座を直し、背筋を伸ばした。


「木綿や長尾、お前らが相談を受けた相手とは、まったく異なる場所や理屈で存在しているものの話だ。

 その存在たちに、あまり心を動かされるな。

 自分が立っている場所を心得ろ。過ぎず、満たし、形を整えることだ。

 ゆめゆめ忘れぬように」


 以上、という言葉を出しさえしなかったが、梓葉の話がここで締められたことが、二人には分かった。

 まさか自分とそれほど年齢の変わらない、あまつさえ年下の少女から、人生の教訓めいた言葉を頂戴するとは思わなかった。

 だが、梓葉の言葉は、あの四辻の怪に翻弄された二人にとって非常に痛く、胸の奥に染み渡る言葉でもあった。


「忠告痛みいる、本当に。ありがとう、梓葉。

 君に最初からちゃんと頼んでいたら、もっと早く答えに辿り着いていたな」


 籠澤も苦笑気味に返すしかない。

 梓葉は、しかし瞬きを一つして、ゆるりと首を振った。


「いいや、そうでもない、木綿。

 相談をしてきたお前を、当初はあしらったからな。

 それに、確認をしてやはり『人』の話だったら、二人の迷走はもう少し続いていた」


 などと、彼女は言う。

 もしもあの四辻に現れたのが、『昇』自身だったら、梓葉ではその正体を掴めなかったということだ。

 梓葉が相対するのは、人ではなく精霊や神性存在を招致する場なのだ。

 前回も今回も、この客間に座る彼女の姿が、それを体現しているようでもある。


「運よく引き当てた、てことかな。

 それでも助かった」


 諦め悪くも、籠澤は梓葉への感謝を示す。

「そろそろ行こう」と籠澤が長尾へ退室を促した。正座の上に緊張しっぱなしだった長尾は、足の具合を見ながらゆっくりと立ち上がる。

 ふと、梓葉を見ると、彼女は長尾と籠澤の間の、少し低い位置を見つめていた。

 ちらりと長尾も視線を向けたが、ただ自分と友人の間に空間があるだけだ。

 梓葉の視線は、長尾に向けるような整った笑みではなく、柔らかな眼差しだった。

 まるでそこに、彼女にとって親しみのある存在がいるかのように……


「それじゃあ、梓葉。今度は遊びに来るよ」

「手土産も一緒にな」


 意外に俗なことを投げてくる梓葉を残し、二人は太家の家を後にした。



「お邪魔しました」と会釈をしながら引き戸の玄関を閉める籠澤を眺め、長尾は気づいた。

 もしも梓葉が、籠澤の隣にいる存在を見ていたのなら───

 少なくともそれは、ではないのだ。


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