慧渡家は、守戒三家に次ぐ名門とされている。平安時代の妖魔狩り合戦『
それ故、慧渡家は守戒三家を越えようと様々な策を講じてきた。その血族に受け継がれてきた異能は、使鬼。妖魔を従え、自在に操る異能だ。
同じ使鬼を所有する者同士であれば、双方の同意のもとで、従える妖魔は譲渡可能。つまり、先祖が手に入れた強力な妖魔を受け継ぐことができるのだ。
だが、今の風間に、上級以上の妖魔は二体しか残されていない。慧渡家の汚点、慧渡秋野のせいで。
今、こうして頭から血を流して壁に凭れている彼は、その内の一体を出すかどうかを考えていた。
(
彼の右手に握られているのは、刀状の妖魔。特上級に分類されるものだ。
(だが、制御はできない。俺ごと死ぬことになる)
めかぶ、蓮、先輩たち。そして秋野。色々なものが渦巻いて、彼は生きることを選んだ。
「おい、妖魔」
黒い炎のような仮面を着けている相手に、彼は冷たい声を向ける。
「俺はまだ、死ぬつもりはない」
刀を握り、踏み込む。妖魔は強化した腕で受け、僅かにできた切り傷から黒い炎を噴出させた。
「ゲロバード!」
躍命名の、鳥型妖魔。風間とは反対側に出てきて、口から霊力を放った。
「三影犬・集!」
通常三匹の犬を召喚するところを、霊力を一体に集約。鋭い牙と爪を持った狼が、妖魔の背中を貫いた。
だが、そこまでだった。自身を中心にして黒い炎を広げ始めたのを察知し、彼は妖魔を一旦消した。黒炎は魂を焼く。妖魔が喰らえば一たまりもない。
それでも、風間は止まらなかった。黒い炎で顔に火傷を負っても、進むしかない。斬撃と斬撃の隙間で首を掴まれ、放り投げられる。
「おうおう、随分ボコボコにされてるじゃねえか」
再び壁に背を預ける格好になった彼へ、荒々しい声が来る。
「……黒部先輩」
太刀を右肩に担ぎ、結界に侵入する、キレているような顔の少女。
「こいつは取り込みたい。弱らせるのに協力してください」
「タダでか?」
「何でも奢ります」
「よしきた。任せな、先輩の背中を見て学べ」
黒部詩乃。異能を持たないが、霊力操作に関しては天賦の才を持つ少女だ。両手で構えた太刀は、彼女の霊力によって通常の数十倍の強度を持つ。
そんな力に晒され続けた故に、刀身そのものが霊力を持つようになった。硬質化した左腕で斬撃を受け止めようとした妖魔だが、それはかなわず、切断される。
「まだまだいくぞ!」
一瞬の内に三度の斬撃を放った彼女は、蹌踉とした相手の腹を蹴る。
「黒部先輩、そいつの炎は魂を焼きます。おそらく、還形術でも完全には元通りにはできない」
「それが引き下がる理由になるかよ。それに、私の実力は知ってんだろ? ごちゃごちゃ──」
黒い炎の壁が、彼女を襲う。瞬時に飲み込まれ、姿は見えなくなる。
「先輩!」
悲痛な声とは裏腹に、五体満足、服すら燃えてない詩乃がすぐに現れた。
「火力上げろよ、ぬるいぜ?」
妖魔は仮面の下から喘ぐような音を漏らす。
「慧渡、お前も動け。レディだけに働かせるのは、気が進まないだろ?」
「レディ・ファーストって、原義は女性優先じゃないらしいですよ」
そうは言いつつも、風間は刀を握って詩乃と並んだ。
「知るかよ、私は現代の人間だ。現代の意味で話す」
妖魔の再生は、緩やかなものだった。胸に刻まれたX字状の傷からは赤い体液が垂れ、腐臭を放っている。
「どうやって入ってきたんですか」
「久能に結界をハッキングさせた。詳しいことはわかんねえが、簡単に入れるみてえだ」
「結界の解除、できますか」
「もう少し時間がいりそうだな。それまでにこいつ取り込めるか?」
その問いを受け、風間は少し笑った。
「やってやりますよ」
◆
めかぶは徐々に追い詰められていた。大斧を振り回して雑魚妖魔を蹴散らすのはそう苦ではないが、百体目を斬った辺りで息が切れてきた。
「骨が折れますねぇ……」
斧も軽くない。体には無数の傷。
「ですが、死にたくはないですねぇ……!」
大地を震わすような力強い踏み込みで、十体ほどの妖魔を纏めて消し去る。斧に付着する醜い液体も、すぐに灰となって消えた。
(こんな数、探知に引っかからないなんてありえない……最初から誘い込まれたんですねぇ)
背後から飛び掛かってきた飛蝗めいた妖魔に、振り向き様の斬撃。一撃は浅いが、その飛蝗は動けなくなる。傷口が徐々に広がって、溶けるように死んだ。
めかぶの斧は、所謂『呪いの武器』だ。妖魔に対して猛毒を発揮する。一撃でも食らわせれば、中級から上級下位程度なら致命傷になる。
だが、もとより簡単に消し去れるレベルの低級妖魔であれば、むしろ得物の重さがデメリットとなってきた。
(軽い武器を出したいですが……空間そのものが断絶されていますねぇ)
『召喚』。それが彼女の異能だ。事前に霊力でマーキングしておいた物体を、距離に比例する霊力を消費して手元に呼び寄せる。
現状は、それを阻む壁がある状態だ。斧を振るうのは辛い。しかし、徒手空拳というのも心許ない。故に、一般的な刀剣類が欲しかった。
蠅や蛆のような妖魔を、斬って斬って斬り伏せた。が、そろそろ肉体の限界が見え始めた。左のアキレス腱に噛みつかれ、引き千切られる。
(油断ッ……!)
がくり、倒れ込む。覆いかぶさってくる芥の群れ。終わりが見えた。その刹那。巨大な氷が、それら全てを閉じ込めた。
「生きてますか? めかぶちゃん」
「姉さま!」
紫雲院茉莉花。百五十一センチの肉体は、冷たい空気を纏っていた。
「脚をやられましたか。手早く撤退したいですね」
めかぶが部屋の隅を指差す。黒くぽっかり空いた穴から、妖魔が湧いていた。茉莉花は飛来する塵共を次々に凍結させながらそこに近づき、氷で塞いだ。
「おそらく、この結界は閉じ込めることに特化したもの」
めかぶに膝枕をしながら、茉莉花が話し出す。
「入るのはそう難しくない。もうじき、完全に破壊されますよ」
「姉さま、他の二人はどうなっているのですかぁ?」
「わかりませんが、翔様と詩乃様がそれぞれ援護に向かいました。事態が悪化することはないでしょう」
「そのお二人なら、安心できますぅ。仁先輩はどうされたんですかぁ?」
茉莉花はそっと、愛しき後輩の頭を撫でる。
「外で結界のハッキングを行っています。この結界は二重構造」
彼女が指を二本立てる。
「外側の、空間を断絶する結界。その内側に、更にその断絶された空間を三つに分ける結界。おそらく、後者は入ってきた人間を孤立させるためのものでしょう」
「そこで、ハッキングによって、誰がどの結界にいるかを明らかにした、ということですかぁ?」
「ええ。仁様は本当に優秀な方……めかぶちゃん、恋人にはああいう人を選びなさい」
「姉さま以外の人なんて、眼中にないですよぉ」
猫のような後輩に嫋やかな笑みを向けながら、茉莉花は外を見る。黒い結界は、少しずつ色を失いつつあった。
◆
『アイツはオレに触れようとした。その分の報いを受けさせたい』
動けない蓮の頭の中で、スサノヲが口を開く。
『治してやろう。タダでな』
装甲が修復され、毒も消える。
『その代わり、確実にヤツを殺せ。さもなくば、また一人殺してやろう……』
何の返事もせず、蓮は走り出した。
「ソウルメイト!」
翔が彼に触れると、一気に加速。音速を突破した脚がぶつかり、サゼンを大きく後退させた。
「還形術か?」
「このスーツ、妖魔閉じ込めてんだよ。そいつが、この妖魔殺す代わりに治してくれた」
「ふむ……」
「話をする余裕など!」
血の弾丸が飛ぶ。だが、その瞬間に翔が後ろに回っていた。
「合わせろ!」
彼の貫手が、サゼンの胸を穿つ。更に、スサノヲの霊力を込めた手刀が頭蓋へ叩き込まれ──勝った。
灰のように散っていく妖魔を眺めながら、蓮は深く息を吐いた。
「む、結界が消えるな」
その言葉通り、ビルのフロアは崩壊を始め、数分もすれば六人が同じ部屋に戻ってきた。
「風間もめかぶもボロボロじゃん」
蓮が言うと、二人は合わせて
「うるさい」
と返した。