「確かに……この気配の大きさは、異常だ……」
蓮のレベルの低い霊力探知でも捉えられる、巨大な妖魔の気配。それ以上に敏感な翔は、競技を中止するよう申し立てることにした。
「皆の安全を確認し、観戦席にいる躍チャンに文句を言うぞ」
「別れるか?」
「そうだな。蓮チャンは一年と落ち合え」
「オッケー。お互い生きて会おうぜ」
翔の肩から降り、彼は森の中に戻る。大声を出して集める、ということも考えたが、それは妖魔を呼び寄せることにもなる。地道に足でどうにかするしかなかろう。
開催宣言から今日のほんの僅かな間に、夜海原に新たな機能が搭載された。それはスマートフォンとの無線接続。腰のポーチを変身後も存在できるようにし、その中の携帯電話で通話を可能としたのだ。だが、機能のロックは解除できなかった。
早速風間にかける。ワンコールで出た。
「風間、ヤバいのがいるかもしれねえ。マジで死ぬレベルの妖魔だ」
「ああ、気配を感じる。観戦席まで逃げようと思っていたところだ」
「めかぶ、一緒にいるか?」
「いるぞ。合流するのか?」
「そうしようぜ」
蓮の視界に、地図が映る。赤いピンで、風間の位置が示してあった。
「ここにいる。早く来い」
一方的に切るんじゃないか、というのは杞憂に終わった。風間は絶えず情報交換を行うつもりでいたようだ。
「これは助言だが、探知結界はもうちょっとばれないように使え。逆探知されるぞ」
「んじゃ、あとで教えてくれよ」
霊力パルスは敢えて使わず、蓮はとにかく走った。十五分ほどした後、警戒を怠っていない二人を見つけた。
「全然気配感じなかったぜ」
「霊力の漏出を抑えたんだ、お前も習得できるぞ」
めかぶはひどく汚れている。服も顔も。
「めかぶ、怪我してねえか? 運ぶぞ?」
「いえいえ、大丈夫ですよぉ」
「俺の心配もしろ」
「お前は飛べるじゃん」
風間も風間で、頬に一筋切り傷がある。シャツも所々破れていた。そんな彼は鳥の上に乗って、撤退を始めた。めかぶが同乗するのに合わせて蓮も上がろうとしたが、手を止める。
「どうした、時間に余裕はないぞ」
「先行ってくれ。追い付かれたみたいだ」
大鉈を握った、羊頭の人型妖魔。
「勝てるのか」
「ま、何とかなるって。早く隊長呼んできてくれよな」
「……死んだら呪うからな」
二人は空へ。蓮は拳を握りしめ、向ける。体力も霊力も限界に近付いている。だが、人間には命を張らねばならないタイミングがある。一人の、覚悟を決めた男として。
(死んだら呪う、か。遅れたらこっちから呪ってやる)
ザッ、と足を前に出し、機を待つ。爆発でカッ飛んでもいいが、後何回できるかわからない。
(温存、だな)
妖魔が、鉈を振り翳す。来る──後退より早く、振り下ろされた。腕の装甲で受けたとはいえ、衝撃は確かに彼を襲う。折れるか折れないか、という所で刃を滑らせ、少し離れる。得物によって地面が抉れ、土くれが飛散する。
どう攻めるか、と蓮は脳裏で戦いを組み立てた。スピードもパワーも、正面からぶつかり合えば負ける。翔が与えた傷も既に癒えている。
(あれだな、レベル上げのつもりで遊んでたらヤバイボスにぶつかった感じだ)
仕掛ければ返り討ち。しかし、待てば圧倒される。真っ当な手段では勝てない、と確信する。
(だけどよ、死ぬわけにもいかねえんだ)
妖魔が、地面を蹴った。限界まで研ぎ澄ました集中力で白刃取り、から上に放り投げる。宙に躍ったその肉体へ、石動。左腕が吹き飛んだのが見えた。
だが、致命傷ではなかった。妖魔は鉈を投擲し、蓮に防御と回避の二択を強制させた──と思われた。手を離れた鉈は炸裂し、黒い火の玉となって榴散弾のように広範囲に攻撃を行う。
どこに逃げても当たるなら、と霊力で防御を固めた彼は、次の瞬間、腹に深く深く拳を食らった。
夜海原による強化がなければ、口から吐瀉物が出ていただろう、と思わせる威力。倒れ込む頭に、蹴りが入った。そのまま一回転して、墜落。
ゆっくりと歩み寄ってくる敵。蓮は、己の弱さを噛み締めた。
『おい、死ぬつもりか』
スサノヲの声を聴きながら、蓮は、少し躍との会話を思い出していた。
「スサノヲってのはさ、分割されてるんだ」
当世禍討開催前、躍に呼び出されて本部へ出向いていた。
「夜海原の中にいるのは、そのうちの一つ。慧渡家が管理してたんだけど、いくつか盗み出されててね。もしかしたら、その断片を使った妖魔が来るかもしれない」
「それって、俺は勝てる?」
「勝たなきゃ死ぬだけだよ。いつでも僕が動けるわけではないし」
「じゃ、特徴だけでも教えてくれよ」
それは──
「黒い炎」
──蓮は呟いていた。
「スサノヲ、お前、妖魔を食えるか」
『……気づいたか。あれはオレの断片を宿している。黒い炎を使っているのを見てな、確証を得た』
「お前に力を取り戻させてやる。だから霊力もっと寄越せ」
『いいだろう。その約束、破るなよ?』
今、夜海原に封印されているスサノヲは、黒い炎を扱えない。安定化させるためにかなり魂を細断した、と躍が言っていたのを彼は思い出す。
だが、霊力の量は、一線級の異能者を軽く上回るほどだ。掌のレンズに霊力を溜めて、一気に解き放つ。グッ、と体を押し付ける加速Gの中で拳を構え、顔面に叩き込んだ。
妖魔は仰向けに倒れ、地面でバウンド。跳ね上がったその頭に、彼はもう一発見舞った。
そこで、蓮の肉体を走る霊力回路が、悲鳴を上げた。見えざる樋に喩えられる霊力回路は、霊力の総量とは違い成長し得る。負荷を与えられた筋肉が徐々に強くなるように、霊力を通していくことで強靭になるのだ。
されども、蓮の霊力回路は、まだ発展途上だった。スサノヲという、神の名を与えられた妖魔の魂が、それに見合う莫大なエネルギーを流し込み、意図せぬ内にダメージを蓄積させている。
彼がチクチクと痛む腕を労わることもできないままでいても、妖魔は意に介さず立ち上がる。
「ちょっとは効いてる素振り見せてくんねえかな」
軽口を叩きつつ、震える腕で構えをとる。
『今のオレに霊力回路の修復はできん。自分でどうにかしろ』
「わかってら」
脚はまだ元気そうだった。その直感を信じて、こう提言する。
「脚にレンズ作れるか」
『ふむ……まあ、いいだろう。くれてやる』
脹脛に霊力レンズが構築される。それを悟った彼は、やはり霊力を炸裂させて突進した。
スピードを全身に載せての、肘鉄砲。妖魔がゲゲッと赤い体液を口から漏らす。反撃の鉈が来る前に、跳躍。飛び蹴りで大きく後退させた。
「もう一発!」
焼き切れそうな右腕の霊力回路を、フル稼働させる。熱を持つ。血管に煮えたぎる熱湯を流し込まれたようだ。それでも、やらねばならないことがある。
全身全霊、右ストレート。荒魂の名を冠した一撃が、胴に風穴を開けた。黒い体液が飛散する。両者膝をついた。
『殺しきるなよ。オレに食わせろ』
銀色のヘルメットが、口の部分だけを露出するように変形する。スサノヲに支配権が移った左手が、妖魔の胸から黒い塊を取り出した。それを口内に押し込む。
腐敗した肉を丸呑みさせられるような不快感が、蓮を襲う。喉を通っていく異物。吐き戻しそうな反射を、スサノヲが抑えつけ、嚥下。
途端、蓮は体が重くなった。
『すまん、寝させてくれ』
「ハァ⁉ お前が寝たらこのスーツどうなんだよ!」
『オレも混乱しているんだ。話しかけるな──』
スーツが消える。体力も霊力も空になった彼もまた、眠りに落ちた。回収されたのは、暫く後のことだ。