「マジで言ってんのか」
夜海原を作ったのは、八鷹奥平。その事実を、蓮は受け止めきれないでいた。雪音に掴みかかり、揺らす。
「どこにいる。親父なんだ、俺のことずっとほっといてどっかに行ってんだよ!」
「……亡くなりました」
全身の力が抜けて、彼はベッドに落ちた。
「いつだ、いつ、死んだんだ」
「二か月前。
震える唇で、彼が次の言葉を紡ぐ。
「なんでだ。夜海原を作ったからか」
「ええ。防衛省の要請で、異能者の軍勢に立ち向かえる兵器を開発していました。夜海原は、その研究が結実したものなのです」
祖父は、そんなことを匂わせもしなかった。いや、知らなかったのかもしれない。蓮は、静かに現実を受け入れようと心を叱咤していた。
「壱阡火の目的は、能力者の楽園を作ること。非能力者を排除乃至支配し、自由に力を振るえる世界を作ること。その理想に、力なき者でも能力者と戦える夜海原は邪魔だったのです」
「だから、殺された……」
「私に夜海原を託して、ですね」
「雪音にとって、親父はどんな人間だったんだ」
この質問をする時、彼は言い表せない恐怖のようなものを感じた。言ってしまえば雪音は他人だが、父が自分よりもそれを優先してしまう人間だったなら、と思ったのだ。
「……私は、行き場のない人間でした。秘匿された血盟一族の集落から逃げ出した女の娘として、ルーツへの憎しみを何度も聞かされてきました。しかし、火事で家が焼け……本当に死ぬしかない状態に追い込まれた私を、奥平さんは拾ってくれました」
少しずつ、最悪の想像が形になっていく。
「第二の父のような方です。彼にとって、私が実験の道具であったとしても、生きる場所を作ってくれたことには感謝しています」
一番、聞きたくない言葉だった。
「奥平さんは、夜海原を誰かに渡せ、と言っていました。起動キーである誰かを守ろうという心を持っている、誰かに。それが、あなただった。同じ八鷹という姓を聞いた時、あなたしかいないと思った。だから、渡したんです」
「俺は親父の代わりかよ」
「違います」
不貞寝しようとした彼を、その一言が呼び戻す。
「私は、確かにあなたの中に、誰かのために本気になれる心を見出したんです。そこに奥平さんを重ねてはいない」
「……親父、俺について何か言ってたか」
「いつか、また一緒に暮らしたい、と言っていました」
「じゃ、親父の夢は叶わなかったんだな。……いい気味だ」
蓮の顔は険しい。会おうともしなかったじゃないか、と叫びたくなる。それが無駄だと知りながら。
「奥平さんのこと、嫌いなんですね」
「母ちゃんと妹が死んだあと、何も言わずにいなくなったんだ。爺ちゃんに預けて、一度も会いに来なかった」
「あの人は、家族を捨てたわけではありませんよ。むしろ、二度と家族を失わないために、夜海原を作ったんです」
「わかってんだよ! んなことは!」
彼は声を張り上げた。淳がカーテンの向こうから静かにしろと言う。
「でも、一番いてほしい時にあいつはいなかった。だから嫌いだ」
それでも、彼は泣いていた。
「……明日、時間をください」
「そうだよな、そういう話をしてたんだ」
ベッドから降り、医務室を出ようとする。
「まだ寝とけ。無理するとデートの前に死ぬぞ」
「いーのっ。俺はもう元気」
まだ鼻にかかった声の蓮を、二人は困り顔で見送った。
◆
躍は第二小隊本部の最奥、封印庫を訪れていた。閂は叩き割られ、扉には穴がある。
「盗まれたのは?」
隣にいる女性職員に、彼はそう問う。
「まだ整理している最中ですが……
「考え得る中で最悪の事態だね。僕殺されちゃう」
その声音に真剣さはなかった。
「仮に起動されたとして……勝てますか?」
「勝つために僕らはいる。それだけだよ」
実力に裏打ちされた、絶対的な自信。いつもの彼ならそれをうざったいほど表に出していただろう。だが、今は、現実的な死の可能性を考慮していた。
「ま、ちゃんと流出先は掴んでおいてね……なんてね、どうせ壱阡火だよ」
「やっぱり来てるんですか?」
「捕まえたのから聞いたけど、ほぼ確実に壱阡火の指示で動いてる。僕を殺して、M市を自分たちのものにしようってことだろうね」
女は戦闘員ではない。事務方だ。
「壱阡火は僕が殺す。それが、あいつにかけられる、最後の情けだ」
故に、殺すだとか戦うだとか、そういったものに実際的な質量を伴った感覚を持てないでいた。
「じゃ、後処理諸々よろしくっ! 僕面倒なこと嫌いだから、こっちに回さないでねぇ~」
ピュウッ、と走り去った躍は、灰色のコンクリートでできた建物の出入り口で、耶麻と会った。
「躍さん、話が。車でしましょう」
有無を言わさぬ態度で言い切った彼は、手配しておいた車の後部座席に並んで座った。
「蓮は元気?」
「今日は外出届を出していました。雪音くんと一緒とのことです」
「青春だねえ。それで?」
「今回の一件、慧渡秋野が絡んでいます」
車中の空気が、張り詰めた。
「数年前、慧渡家当主羽吉を脅し、多くの妖魔を奪って出奔した、慧渡家の汚点。その彼女が、煮卵ふぐりと協力し合って特上級妖魔を使っている。捕縛した者たちの発言からは、その事実が浮かび上がってきます」
「スサノヲの断片も、その時盗まれたんだよね」
「ええ。正確な数は私も知らされていませんが……」
躍が頬杖をついて外を眺める。
「これは僕の勘だけど、夜海原のスサノヲが、断片を取り込んだ」
「……あなたの実力は、知っています。頭が回ることも。ですが、秋野がふぐりに断片を渡したということになりますよ」
「そうだよ。多分そうだ。僕を疑うのかい?」
耶麻は少し迷って、首を横に振った。
「この先、スサノヲの力の一端を持った妖魔がぞろぞろ出てくる。だけど、それは蓮が強くなっていくことも意味している。面白くなるよ、耶麻も長生きするんだよ」
「言われなくても死ぬつもりはありませんよ」
鳳躍、三十八歳。相成耶麻、二十七歳。前者の背中を、後者は追い続けてきた。まだ追い付けそうにはない。
「もし、蓮くんがスサノヲに乗っ取られてしまったら──」
「僕がいる。だろ?」
元に戻せるという意味なのか、それとも……と考えた所で耶麻は止めた。
「スサノヲの断片、総数を吐かせるんだ」
「吐かせる、というのは羽吉さんにですか」
「うん。手段は問わない。どうせ老い先短いしね」
「聞かれたらどうなるか……」
子供のように笑って、躍は耶麻を見た。
「頼んだよ、後輩で一番信用してるの耶麻なんだから」
「全く、おべんちゃらばかり上手い先輩を持って私は不幸ですね」
彼らの間にある十一年という歳月で、多くの人間が県外に出たか、県内に骨を埋めた。
全国平均の八倍に相当する霊災発生件数が、優秀な若手を磨り潰していくのだ。S県は、古代から宗教的な意味の強い土地だった。特にM市は国内有数の規模を持つ社が存在し、古来信仰されてきた。
その信仰というものが、妖魔を産む。信仰とはある種の畏れであるからだ。多くの神々が訪れるとされるこの土地で、その強さは他の地方とは比べるべくもないものであり……東京のような単純に人の多い土地でさえ上回る霊災を齎していた。
「同期も、皆いなくなりました」
耶麻が、ぽつりと言う。
「僕も。特科出身者は、若いころから色んな経験に揉まれる。対策一課は国家公務員だからね、卒業後に全国に割り振られるけど……僕くらいになるとここにいてくれって懇願されるのさ」
後輩の冷たい視線。
「……東京に行くのも、仙台に戻るのも嫌だから駄々こねただけだよ。いやあ、見せたかったね、高校三年生がジタバタするところ!」
「見たくないですね。私から話したいことは以上です。これから慧渡家に向かいます」
「いってらっしゃーい」
そこから、二人は少し黙って見つめ合った。
「私がこの車で向かうのですが」
「あ、そゆことね」