雪音を探して建物を出た蓮は、その彼女に抱き着かれた。彼女は着替えを終えているが、蓮はスーツのままだった。
「変身、解かないんですね」
「まだ安全だって保証がないからな。とりあえず、特科に戻ってくれ」
「この分は、いつか取り返してもらいますよ」
二人は拳をぶつけ合った。
「あ、あの~……」
少し弱気な女が、蓮に話しかけた。
「対策一課の方、ですよね。お話を聞かせてもらってもいいですか?」
「いいけど……よくわかったな」
「丘の様子が見えたんです。妖魔と戦っているのが」
気恥ずかしさもありつつ、彼は取材を受けることにした。
「素性を隠していらっしゃるのかもしれませんが、コードネームみたいなもの、聞かせてもらえますか?」
「あー……」
この場にあった名乗りを考える。そういえば、歓迎会で躍がこんなことを言っていた。白虎仮面に乾杯、と。
「白虎仮面。正義の味方だ」
◆
「よっ、白虎仮面!」
明くる日の朝食の席で、翔がそう話しかけてきた。
「……見た?」
「日々情報を集めなければ、トレンドに置いていかれてしまうからな。コードネームとしては、なかなかいいものだと思うぞ」
夕方のニュース、朝刊、そして今食堂で流れているニュースも、白虎仮面のインタビューを報じていた。
「普通に名乗るんだった……」
「一つ訂正しておくと、我々は正義の味方ではないな。国家の味方だ」
「人々の味方、じゃなくて?」
「平和で安全な生活を守ることも業務だが、時にその人々を相手取ることもある。そういうことだ」
並んで朝の味噌汁を啜る。
「蓮チャン、今日は何か予定が入っているか」
「じいちゃんに会いに行く。最近帰ってねえからさ」
「そうか、ならそうしろ。家族は大切だからな」
一瞬、蓮の脳内で父が現れた。
「雪音チャンとのデートはどうだった」
「ダチが一人減った」
吹き出しそうなところで、翔はなんとか味噌汁を飲み込んだ。
「知り合いに会ったか! それは残念だ。そして、まあよくない話題かもしれんが……雪音チャンとは、どこまで行った」
「なんつーか……カウントしていいかはわからんけど、一応Cまで行ってる」
カラン、と翔の箸が落ちた。
「いいか、絶対教師には知られるんじゃないぞ」
「わあってるって」
麦飯、味噌汁、納豆、魚の塩焼き。それらをあっという間に平らげて、蓮は立ち上がった。
「じゃ、俺出てくるから」
テーブルの下に置いておいた荷物を背負い、先んじて外に出ていた雪音と合流した。
「寮にいりゃいいのに」
「いつ変身することになるかわからないでしょう? 同行してあげます」
今回は車を出してもらった。孝司が運転する。
「あーあ、もうすぐ夏休みも終わりかあ」
ここまで忙しい日々は、生まれて初めてだった。
「休んでました?」
「ん……確かに、大体任務だの補習だのでがっつり休んだ日、あんまりないな……」
後部座席に並んでいる二人。雪音が隙あらば体を触れさせようとする光景に、バックミラー越しに見ていた孝司は苦笑いする。
「八鷹さんは、おじい様と仲がいいんですか?」
「いいか悪いかで言えばいいんだろうけど……じいちゃん、新聞読んでばっかりだからなあ」
八鷹家の住む一軒家は、M市の中心部から北に少し外れたところにある。特科からは車で一時間ほどだ。昔は祖母もいたが、蓮がやってきてすぐにこの世を去った。
「ただいま~、っと」
雪音が後ろにいることは当然と諦めて、蓮は扉を開いた。迎えるのは、花瓶のある玄関。広い土間には、三足ほどの靴しかない。
「こっちだ」
ぶっきら棒な声が奥から聞こえてくる。左手に曲がって、廊下を横切り、リビング。窓際の安楽椅子で新聞を読んでいる老人がそこにいた。
「その女は」
ちらりと目を遣ったこの老人こそ、八鷹夕陽である。少し退行した生え際に、燦々たる光が反射する。
「彼女かな」
「女に現を抜かすな。勉強と部活をしろ」
「特科部活ねえもん」
蓮が安楽椅子の近くにあるソファに腰掛けると、雪音はその隣に着いた。
「女、名前は」
「雪音です」
「そうか。いい名前だな」
「じいちゃんが人褒めるなんて珍しいな」
雪音は、何となく蓮が敬語をまともに使わない理由がわかった気がした。
「蓮、ドッカとかいうのは何をするんだ」
「特科だよ、特科。──なにする、ねえ。霊力使って魔法みたいなの勉強したり、戦い方を教わったり、時々妖魔と戦ったり」
「早死にせんだろうな」
「俺、結構強いんだぜ」
無関心とも思える、夕陽の無言が続く。時折、新聞紙を捲る音が挟まる。
「あの、奥平さんのことでお伝えしたいことがあります」
「奥平? いらん。どんな理由があれ、家族を放り出したやつなど──」
「亡くなったんです」
読む手が止まる。
「奥平さんは、妻や蓮の妹のような犠牲者を出さないための研究に携わっていました。しかし、その成果物を奪おうとしたテロリストに襲われ……私に全てを託して亡くなったんです」
夕陽の手が震えだし、新聞を握り締める。
「……あいつは、金だけは律義に送ってきておった。それが急に途絶えたのが二か月前。そうか、死んだか」
読んでいたそれを膝に置き、彼は二人を真っ直ぐ見た。
「最期に、何と言っていた」
「看取ったわけではありません。ただ、研究の成果を、相応しい人に渡せ、と」
「それが、蓮か」
雪音はそっと頷いた。
「ワシはな、運命という言葉が嫌いだ。人の人生は誰かに決定されたものではなく、自分の意志で作り上げているものだと思っている。だが……これは、何かの因果かもしれん」
夕陽の頬に、涙一筋。
「蓮はくれてやる。しかし、くれてやる以上は長生きさせろ。
蓮の妹と母の名前だ。
「気が早いですよ」
困り顔で返す雪音は、その言葉に芯を備えた重量があることに気付く。
「……私は、戦えません。蓮を戦場に送り出すばかりです。でも、蓮を支える覚悟は、あるつもりです」
見つめ合う、というよりは、睨み合う、という表現の方が、少女と老人との間にある空間には適切だった。
「蓮、外せ。この子と二人で話がしたい」
「俺の家だぜ?」
「それ以上にワシの家だ」
女と呼ばない所に驚きを抱きつつも、蓮はリビングから出た。
「あいつは怪我をしたか」
「蓮は特殊な装甲服を纏って戦います。多少の打撲はあったかもしれませんが、目立った怪我はしていませんよ」
「そうか。ならいい」
夕陽は新聞を取ろうともしない。
「ワシは、異能がどうこうという世界とはまるで縁がない。霊力を電気に変えて生活している程度のことしか知らん。だがな、孫がそこに飛び込むというのなら話は別だ。あれは決して賢くはない。昔から喧嘩っ早い所がある。そんな奴でも、上手くやっていけそうか」
「少なくとも、蓮の気質は人を救っています。この間、プールで出た妖魔とも戦っていました。ああいう風に、誰かのために戦える人間なのだと私は思っています」
「白虎仮面とかいう奴か。あれは蓮なのか」
「ええ。その内単独任務も任されるでしょう」
そこまで話すと、彼は徐に立ち上がった。
「茶でも出す。大したものではないが」
返答を期待しない、突っぱねるような口調だった。少しして、湯呑を持った夕陽が戻ってくる。
「蓮はワシの茶が嫌いだと言う」
そう言われて、雪音も一口飲んでみる。確かに渋いったらない。
「どうだ、まずいか」
「……はい」
「うぅむ。ワシは好きなんだがな」
安楽椅子に腰掛けた彼は、自嘲的な笑みを浮かべた。
「おそらく、ワシが想像する何倍も厳しい世界に、蓮はいるんだろう。だから、隣にいてやってくれ」
「はい。いつまでも」
新聞に戻った夕陽を見て、雪音は察する。廊下で待っていた蓮の手を掴んだ。
「じいちゃん、なんて?」
「祝福してくださいましたよ」
「気早すぎるって……」
この選択は間違いでなかったと、彼女は信じている。