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めかぶルック・バック 一

 氷川めかぶは、静かにベッドへ腰掛けた。壁には武器の数々が置かれている、あまり生活感のない部屋だ。カーテンも質素な白で、陽光を透かしている。


 今日は何もない日だ。風間は単独任務、蓮は雪音と共に実家に戻った。本当に、やることがない。


 パタンと倒れ、ゆっくりと目を閉じた。


 彼女は、ただでさえ田舎なS県の中でも、特別田舎である山中の村落で生まれた。子供なんてほとんどいない、老人ばかりの土地だった。


 めかぶなどという名前が本名であるわけがない。これは、彼女が過去を捨てるために与えられた偽名である。だが、ここではその本名を語ることは避ける。


「■■ちゃんって、不思議だよね」


 小学校で唯一の同級生、あかりが言った。夕暮れの教室、教師も去った後のことだ。


「なんで?」

「忘れ物しても、すぐ取ってきちゃう。どうやってるの?」

「こんな感じで……こう」


 小学二年生の頃には、彼女は自身の異能の存在に気づいていた。その掌にw一本の鉛筆が呼び出される。


「あたしもできるかなあ」

「無理無理。でも、秘密だよ、私の不思議な力なんだから」

「うん。一生の秘密」


 指切りをして、微笑み合った。オレンジ色の光の中で、ランドセルを背負い、並んで学校を出た。


「なんでも持ってこれるの?」

「よくわかんないなあ。出せる時と出せない時があるから」


 めかぶの異能「召喚」は、事前に霊力でマーキングを施す必要がある。だが、この時の彼女はそれを理解していなかった。自分の所有物に対して無意識にマーキングを施していたのだが、その霊力量にはムラがあり、安定して召喚できるとは言えない状態だった。


「あたしの教科書も出せる?」

「ムムム……」


 念じてみても、何も起こらない。二人は笑みを交わした。


「ダメダメじゃ~ん」

「うるさい!」


 じゃれ合い、小突き合い。橙色の農道を歩いて、二人は交差点で別れた。


「また明日ね~!」


 少し歩いては手を振って、かと思えばまだ歩き出す。繰り返すうちに、見えなくなった。


 家に帰れば、祖母と母が待っている。父は都会の工場で働いていて、家にいない。


「週末はお父さん帰ってくるってさ」


 三十分ほど後の食卓で、母がそう言う。


「ほんと⁉ お土産あるかな!」

「きっとあるよ。大阪の美味しいお菓子持って帰ってくるかも」

「お菓子! お菓子!」


 アジの干物と、麦が多い飯に、味噌汁、お浸し。そうレパートリーに富んだ食生活は送れなかった。


 祖母が食器を洗う音を聞きながら、めかぶは宿題をしていた。掛け算の概念をイマイチ理解できないでいる。それでも、指を使いながら九九の表を埋めていく。


「■■は、熱心だね」


 向かいの席に母が座った。


「いっぱい勉強してね、それでね、お父さんとも一緒にいれるようにするの」

「きっとなれる。■■が頑張れば」


 頭を撫でる母の手。農業で家計を支えているその手はごつごつとしていたが、それがめかぶにとっては心地いい。


「■■は、学者様になれるかもね」

「がくしゃ?」

「たくさん勉強して、世のため人のために知識を使う人」

「なれるかなあ」


 九九八十一、と書き終えて母に見せる。


「綺麗な字だね。心が綺麗な証拠だよ」

「えへへ」


 祖母に見せれば、また撫でられた。


「■■ちゃん、賢くおなりよ。大人になると、悪い人がいっぱいいるからねえ。そういう人に騙されないためにも、賢くならないといけないよ」

「うん!」


 祖母の言っていることを、十まで飲み込めたわけではない。だが、自分を思っている、ということは確かに受け止めた。


「そろそろお風呂が沸くころかねえ」


 そう祖母が言った時、給湯器がチャイムを鳴らした。


「入ってくる!」


 テーブルに広げた筆記用具はそのままに、彼女は走り出した。


 あくる朝、泥棒が出たという話で、村は持ちきりになった。老人が一人で暮らしている、然して裕福でもない家から、貯金が丸っと盗まれたらしい。


 警察も来て一段落、何も縁がない──めかぶはそう思っていた。だが、学校に着いた彼女を待っていたのは、泥で汚された上履きだった。


「あ、泥棒が来たよ」


 下駄箱の近くで待っていた上級生がそんなことを言う。


「あんた、物を呼び寄せるって聞いたよ。それであのジジイの家から金盗んだんでしょ」

「違うよ!」


 必死の抗弁も、蔑みと嘲りに掻き消される。


「あかりちゃん、あかりちゃんなら!」


 数人の上級生の中に、あかりの姿があった。近づけば、離れる。


「……聞かれてたみたい」


 彼女はそう言った。


「ごめん。ほんとに、ごめん」


 めかぶは、足元が崩れていくような感覚に襲われた。湖で泳いでいたら、湖岸がどこまでも遠くなっていくような感覚だ。


 拳を握りしめて、壁を殴る。すると、派手な音と共に罅が入った。


「怪力女だ! 逃げろ!」


 今しがた感じた、腕の中を見えない何かが駆け抜けていく感覚。これが、霊力の気づきだった。


 放課後、六年生の男子三人に、校舎裏へ呼び出された。


「なあ、盗んだ金分けてくれよ」

「盗んでない」

「そんなこと言わずにさ──」


 と男子の一人が胸を触ってきた。つい、怒りを込めて平手打ちをしてしまった。すると、その男子は横にすっ飛んでいった。


「や、やべえぞ! 抑え込め!」


  残る二人が一斉に飛び掛かり、押し倒す。


「ほら、とっとと金の場所教えねえと痛い目見るぜ」


 スカートの中に手が入り、知らない不快感に彼女は襲われた。だから、今度は頭突きを繰り出した。食らった方が、一方的に血を流し、倒れる。


「ば、バケモンだ! 俺先生呼んでくる!」


 人は醜い。どこまでも下らない。決して、信じてはならない。教師に説明を求められても、


「嫌だったから」


 としか言わなかった。


「本当は、乱暴されたんでしょ」


 車の中で、母が言う。


「服が汚れてるもん。わかるよ。それに、あんたは自分から手を出すような人間じゃない」

「私、盗んでない」

「わかってる。親が子供信じなくて、誰が信じるわけ?」


 後部座席で、めかぶは膝の上の手を握った。


「M市に行こうか。お父さん、M市の工場に転勤になるみたいだし」

「いいの?」

「いいも悪いも、■■はもうこの村にいたくないでしょ」


 図星だった。だが、母と離れるのは怖かった。


「一生会えなくなるわけじゃない。時々遊びに行くからさ、安心しなって」

「行きたい」


 こんな場所にはもう居られない。浅ましい人間の群れに放り込まれていては、自分まで同じになってしまう──そんな高度な思考を持ち合わせているわけではないが、直観に近い、防衛本能のようなものがそう告げていた。


「じゃ、諸々手続きするね。その間学校行くのやめよっか」

「勉強はどうするの?」

「このままじゃ、怪我するだけじゃ済まないよ。そんな所に、親として行かせるわけにはいかない」


 ぽろぽろと、めかぶの大きな目から涙が零れた。


「お母さんも一緒に来てほしい」

「おばあちゃんの面倒見ないといけないから、難しいかな。大丈夫だって、お母さん強いから」


 嘘だ、と彼女は察した。疑心に満ちた村で、母が生きていけるはずもない。精神を擦り減らしてしまう。


「バレちゃってるかな。うん、私も怖い。でも、ここで私まで逃げたら、あんたがやったのを認めるみたいになってしまう。だから、私はこの村に残る」

「遊びに来てね?」

「言われなくたって。毎週だって行ってやるわよ」


 運転をしている母と、指切りはできない。だから、その約束を心に刻み付けた。決して忘れないように。破らないように。


 だが、それはあっという間に消え去った。悪意に踏みにじられ、跡形もなく。

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