3.
その翌日のことである。
ショートホームルームが終わってから
たぶん、中庭の前に行ったんだろう。
昼休憩のときも、何だったら五限目の休憩時間もそうだった。
二階にあるこの教室の窓から見たら、生徒玄関を出てすぐの辺りから、中庭のほうを眺めている如月の姿が見えた。
きっと今もそういう感じなんだろうと思う。
「今日は図書室で勉強して帰るけど、姫子はどうする?」
「ううん、私は普通に帰ろうかな」
友達からの誘いに、姫子はそう答えた。
なんとなく――このまま学校に残って、うっかり如月とあの先輩が一緒にいるところを見ちゃったら嫌だなあと思ったからだ。
「ふうん、そう。じゃあ、またね」
と、友達も強引には誘ってこなかった。その友達らは鞄を持って、図書室のほうに歩いて行った。
「さて、私も帰ろう」
ひとりでいつまでも残っていても仕方ない。
鞄を持って教室を出た。『玄関付近で如月くんとちょっとお喋りできるかな?』くらいのことを考えながら廊下を歩いていく。
ちょうど、階段に差しかかったときだった。
がしゃーん! と、激しい音を立てて、階段にある窓ガラスが吹き飛んだ。
大小様々な大きさのガラス片が激しく飛び散る。
びっくりして声は出なかった。
それでも、『階段を降り始めていなくてよかった』くらいしか思っていなかった。いきなり大きな音がしたら誰だってびっくりする。そのくらいでしかなかった。
本当の意味で言葉が出なかったのは――この直後だ。
「…………!」
それは生き物だった。
『何か』が外から飛び込んできたから、窓ガラスが割れた。
飛び散ったガラス片と一緒に『それ』は――いた。
それは四足歩行の動物で、犬のような見た目をしていた。
姫子が連想したのはゴールデンレトリバーだった。垂れ下がった耳を見てそう思ったが、見れば見るほどに目の前にいるものは犬のような愛らしい姿ではなかった。
前後の足のサイズが大きくて、指先の爪なんて分厚くて鋭くて、まるで
ぱき、ぱき、と。
散らばっているガラスの破片を踏み鳴らしながら、動き始めた。
階段を登ってくる。
「……っ」
胸の奥が干上がるような感覚。
呼吸がちゃんとできていない。
逃げられなかった。
いや、正確には背中を見せて逃げたら追いかけられるんじゃないかと思って動けなかった。
くんくん――と、犬のような見た目をしている生き物は姫子に近づいてくる。
階段を登り切ったその――『犬』は至近距離ではないにしても、そう遠くない位置にいる。
「…………っ」
呼吸を押し殺して、背中を見せないようにしながら、それでいて目を合わせないように向き合う。
そこで気づく。
確かにこの『犬』は姫子の周りを歩いている。
ぎょろりとした眼球と、くんくんと動いている鼻は何かを探すように動いているが、姫子のことなんて眼中にないという感じだ。
とはいえ――だ。
この『犬』と呼ぶにしては、あまりにも化け物だ。
この生き物は、何なんだ?
「えっ?」
ぐるる……と、『犬』から唸り声が聞こえてきた。
『犬』の目と、姫子の目が合った。
「え、えっ……?」
姫子は
がちゃがちゃの歯を、ぎちぎちと
さっきまでの無関心とは違う。『犬』の目には、確かな敵意が込められている。
こちらを睨んでいる……?
『犬』は――姫子に飛びかかった。
「あ、ああ、うわああああああああああああああああ――っ!」
その『犬』は、大きな前足を振り上げた。
分厚くて鋭い爪が、振り下ろされる。
恐怖のあまりにパニックになった姫子は、両手で顔を覆ってその場にしゃがみ込もうとした。
「
そんな声と同時に誰かが姫子の身体に体当たりをした。
目を閉じていた姫子は『その声』を聞いて、咄嗟に目を開けた。
体当たりで突き飛ばされた姫子が見たのは、さっきまで自分の頭のあった場所を――その分厚い爪が空振りする瞬間だった。
「…………っ」
姫子は床の上を転がった。
「――大丈夫ですか⁉」
と、その人物は姫子と『犬』のあいだに割って入った。
後ろ姿だけど、その人物は誰かわかる。
声を聞いただけで、それが誰なのかわかった。
聞き間違えるはずのない、人物の声だ。
「き――如月くん」
如月
『犬』から
「そ――その子は」
姫子は訊ねる。
「
「『その子』、ですか」
わずかにこちらを見た如月は少し笑っていた。
あんな化け物に対して『その子』なんて言い方をしたのが場違いで、それに苦笑しているのかもしれない。
「ええっと、そうですね……」
なんと言えばいいか……と、如月は少し考えるように言葉を切った。それでも特に何も思いつかなかったのか――こう言った。
「ああいうのを僕たちは魔法って呼んでいます」
こうして謳囲姫子は関わることになる。
魔法によって引き起こされた――不可解な殺人事件に。