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4.ダイバーシティ・マカロン(4)


     4.


 如月きさらぎは――姫子ひめこの手を掴んで走り出していた。

 姫子の手は、取るしかなかった。

『犬』に対して攻撃を仕掛けた姫子を置き去りにはできない。あの『犬』の中で攻撃にどのような優先順位が設けられているかはわからないけど、さっきまでの『眼中にない』みたいな姿勢を取るとは考えにくい。

「き、きき……」

 手を引かれながら後ろを走る姫子の声は震えている。

「き、如月くん――」

「大丈夫です」

 自分で言っていて無責任だとは思う。

 何が大丈夫なんだと思う。でも、本当に大丈夫じゃなくなる瞬間は冷静さを欠いたときだ。パニックになって、我を失ったときに人は自分でも信じられないような行動を取る。

「大丈夫ですから――」

 ふたりは階段を駆け上がっていく。

 意図していなかったとはいえ、三階に上がるチャンスなんだ。

 踊り場を超えて、三階に向かうときだった。二階の廊下から飛び出してきた『それ』の姿を見た。

「…………⁉」

 また姿が、変わっていた。

『犬』から『さめ』に――そして、今度は『猫』だ。

 たん、たたんっ――たんっ!

『猫』は手摺てすりのほうに跳んで、そのまま立体的に階段を登ってきた。

 たんっ――と。

 ちょうど、如月が三階の床を踏んだときだった。

『猫』はおよそ一メートル未満のところに、軽やかに降り立った。

「…………っ」

 その『猫』は二本足で立っている。すらりとしている『猫』は如月よりも身長が高く、見下ろされている状態になっている。

『猫』はにんまりと笑みを浮かべた。

 猫らしく『にゃあ』と鳴くのかと思いきや、そんなことはなく、ただ無言に――攻撃が繰り出された。

 その『化け物』と呼んでしまっても差し障りのない『猫』から繰り出されたのは――掌底しょうてい。手のひらを突き出して、如月の胴体に目掛けて打ち込んできた。

「くっ……!」

 ぱしん――と、如月はその手の手首の辺りを弾いた。

 攻撃が逸れる。

 一瞬、不思議そうな表情を『猫』は浮かべたが、すぐにもう片方の手で掌底を打ち込んできた。

 ぱしん――と、これもまた如月はさっきと同じ手でさばく。

『猫』もこんなふうに捌かれることは予想していたのだろう。姫子の手を握っているから片手しか使えず、攻撃を防ぐ以上のことができない――だからこの段階で、『猫』は様子見なんてせずに次の攻撃に移った。

『猫』はその勢いのまま、くるり――と回転して、如月の脇腹に蹴りを打ち込んだ。

「う、ぐっ……!」

 機敏きびんに振るわれた足は、まるでむちのようだった。

 よろめいて、一歩下がって踏み止まろうとする。『猫』は続けて数発の蹴りを如月の身体に打ち込んだ。

 如月の身体が宙に浮いた。

 正確には踏み止まろうとして後ろに下がったら、もう階段がなかったというだけで後ろ向きに足を踏み外した。

「う――うわっ」

 と、手でつながっていた姫子も一緒に階段を転がり降りていく。

 ふたりの身体は踊り場に転がる。

「う、うう……」

謳囲うたいさん!」

 如月は自分の身体の上に覆い被さっていた姫子を横に突き飛ばした。それから自分は真横に転がる。

 だんっ‼ と両足で着地する『猫』。

 両足はかかともぴったり揃っていた。

 転がるようにして立ち上がった如月。

 そこに間髪入れずに『猫』の回し蹴りが炸裂さくれつする。

「ぐっ……あぁっ!」

 頭の真横に、蹴りを入れられた。

 ぐらりっ……と意識がなる。

(この魔法使いの狙いは、あくまでも僕だ……!)

 ふらついたまま、更に足を踏み外した。

 更に階段を転がり落ちていき、二階の床を打ちつけられた。

「う、うう、があ……ああっ」

 痛みからうめき声を漏らす如月。

 まださっきの頭に入れられた蹴りのせいで、視界がはっきりとしない。

 でも、まずい……。早く立ち上がらないと、あの動きの速い『猫』の攻撃が次々に打ち込まれることになる。

 ぼやける視界の中で、手摺に乗っかっている『猫』がそのまま跳躍したのが見えた。

「如月さん! 動かないで!」

「……っ」

 姫子の声で、起き上がろうとしていた身体を止める。

 だんっ‼ と、耳元で音がした。

 跳躍していた『猫』は、如月のすぐ横に着地した。もし、動いていたら、間違いなく頭部を踏み砕かれていた位置である。

「――■■□っ!」

 と『猫』は――ように見える。

『猫』は楽しそうな表情を浮かべて、

「■■、■■■■■□。■□、■■■□□」

 何かを宣言した『猫』は右足を上げる。

 如月は理解する。

(それを振り下ろして、僕の頭を踏み砕こうってわけか)

 確かに――現状、如月には身動きが取れない。そりゃ横に転がって悪足掻わるあがきはできるが、それでも、その避けた先に振り下ろされれば踏み砕かれる。頭の真横に立たれている以上、転がって逃げるにしても片方にしか逃げられない。

 一発で頭蓋骨を破壊できるほどの威力が、あの振り上げられている足にあるかはわからないが、一回で砕けなければ二回目で砕けばいいだけだ。

(とはいえ)

 一方で、如月はすごく冷静だった。

 どうして自分がここまで狙われているのかわからない。きっと何かしらの理由か目的があるのだと思う。それだとしても――だ。

(よくない――)

 攻撃の矛先をこちらにのみ限定して固執こしつし過ぎているのは、実によくない。

 無関係だからといって、完全に目を離すのはよくない。

――‼」

 鼓舞こぶするような声。

 立ち上がっていた姫子は『猫』の背中に向けて飛びかかった。

 それはドロップキックと呼ばれるものだった。

 これが『猫』の背中に直撃する。

「――――――っっっ⁉」

 と『猫』は声をあげた。

 すぐ目の前にいた『猫』の身体はひん曲がって一瞬で視界から消えた。階段付近から廊下まで吹っ飛ばされた『猫』は廊下の上をごろごろと転がって、壁にぶつかったところで止まった。

「痛っ!」

 一方で、蹴ったあとの着地が上手くいかず、床の上に打ちつけられる姫子。

「助かりました、謳囲さん――」

 如月は立ち上がって、謳囲に手を貸す。

 手を取って、謳囲も立ち上がろうとしていると、

「……、……、……、……――」

 と、ぶつぶつと声が聞こえてきた。

 ふたりの視線が壁際にいる『猫』に向けられる。

「――……、…………、…………。……――」

『猫』は、小声で何かを呟きながら立ち上がった。

『猫』のこちらを見ている目。

 如月は思う。

(今度こそ謳囲さんも狙われることになる――)

 次の瞬間。

 ぱあん――と、『猫』はスタートを切った。

 その跳躍力で跳び上がって、ふたりに目掛けて襲いかかってくる。

 人間サイズの『猫』の、その上半身に変化が生じている。

 変形していく音とともに――ふたりの目の前に着地した。

「…………っ」

 このとき、既に変形は終わっていて、その『姿』は如月も姫子も既に見ている『犬』の姿だった。上半身の中でも特に腕が――『犬』の状態になっている。

 機敏な動きのまま、その肥大化した腕を思いっきり振り回した。

「伏せて!」

 まだ立ち上がったばかりのふたりは身動きが取れなかった。如月は慌てて姫子の身体を抑えるようにして伏せる。

 ぶんっ‼ と、その腕が空振りした音が聞こえた。

(だけど……っ! これだと次は避けられない……っ!)

 如月は見上げる。

『犬』は既に腕を――振り上げていた。

 そして、そのまま思いっきり振り下ろした。

 如月は目を閉じずに見ていた。このとき――さっきみたいなことは何も言わずに『犬』は腕を振り下ろした。


「あ、ああ、ああああ――」

 走る音が聞こえていた。

 それが、だんだんと近づいてくる。


「ああああああああああ‼ あっっっっっぶなああああ――い‼」


 きゅっ! と上靴と床が擦れる音。ふんわりとしたボブカットに眼鏡をかけた少女が、中央階段に滑り込むようにして飛び込んできた。

 壮生そうせい蒔絵まきえだ。

 とんっ――と一歩踏み込んで、一気に距離を詰める。

 そして、その振り下ろされていた腕を――蹴り上げた。

「…………っ⁉」

 蹴り上げられて、やや仰け反るようにして大きく手を上げている『猫』(『犬』?)の胴体に、更に蹴りを入れた。

『猫』は怯んだ様子で、ふらついて、一歩後ろに下がる。

「…………」

 と、じっと見詰めるようにして、ただ一直線に蒔絵は『猫』との距離を詰めていく。

 蒔絵に対して『猫』は――いや、その姿のほとんどがあの『犬』になっているので、『犬』だ。蒔絵に対して『犬』は、その腕を振り上げる。

 分厚くて巨大で鋭利な爪が、蒔絵を襲う。

 しかし、蒔絵はこれをかわそうとしなかった。

 

「…………⁉」

 これに驚いている『犬』。その隙に『犬』の胴体へ対して強烈な蹴りを打ち込んだ。

 階段のギリギリのところまで来ていた『犬』は、ひっくり返るようにして一階に向かう階段を転がり落ちて行った。

「ま――蒔絵さん」

 如月は身体を起こしながら、内心本気でホッとした気持ちで、彼女の名前を呼んだ。

 蒔絵はこちらを見る。

 さっきまでの真剣な目つきから、いつもの温和そうな表情で言う。

「ふたりとも、大丈夫だった?」




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