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6.魔法犯罪集団との戦い(2)


     6.



 瀞峡どろきょうまもるにとって、この状況で最も脅威になるのは『壮生そうせい蒔絵まきえ』である。

 彼女を前にして余裕のある態度こそ取っていたが、軽んじているわけではない――魔法犯罪集団『発砲うさぎ狩り』のリーダーとして、状況に対して俯瞰ふかん的であるし、何だったら『自分たちのほうが少し不利』くらいの温度感で見ている。

 なんたって、自分たちは相手の魔法について何も知らないのに、相手は自分たちの魔法のことを知っているのだから。

(つまり――こちらの手の内が割れている)

 瀞峡守の魔法『ニューキャッスル』は『触れた部分に傷口を作る魔法』である。いずれも切り傷のような傷になるのが特徴であり、この魔法は『相手を傷つける』ことに適している魔法である。

 多くの人間を殺してきた、この瀞峡守という八歳の児童にしてみれば、如月きさらぎせきにしても謳囲うたい姫子ひめこにしても壮生蒔絵にしても――誰でも『触れただけで殺せる対象』でしかない。

 そのことは、きっと――この場にいる全員が理解している。

 姫子は実際にはどうだかわからないが、この児童が危険であるということはあの一瞬で十分に実感しているはずだ。

「……おや?」

 たったったった――と、如月は姫子の手を引いて、逃げ出していた。

(……このお兄ちゃんの行動は、身の程を弁えている行動だな)

 この場に残ったところで、蒔絵にとって何か利点があるわけでもない。むしろ、いることによって常に如月たちに対して気を配る必要がある。それならば、その場にいないほうが余計な気を使わなくて済む。

 何もできないふたりは、その場から避難する。

 鉄則である。

「…………」

 逃げていくふたりを追いかけることもできたが、瀞峡守はすぐに蒔絵のほうに視線を戻した。

 それは変わらず、壮生蒔絵が警戒するべき対象だからである。

『ダイバーシティ』で変形している吹抜ふきぬけみんかを正面から肉弾戦で退しりぞけたのはこの蒔絵である。

(この眼鏡をかけているお姉ちゃんは間違いなく『委員会』の人間。あっちにいたお兄ちゃんは『委員会』ではないにしても、関わりはある。あの髪の長いお姉ちゃんは無関係だろうね)

 瀞峡守は考える。

 今回の襲撃。それにはもちろん――彼らなりの『目的』がある。

 若年層で構成されていて、決まった場所に住むわけではなく、それでも人間社会で生活をしているのがこの『発砲うさぎ狩り』だ。それはこの魔法犯罪集団が正体が掴めない秘匿性の高い集団だったからこそ成立していたことだ。

『何が何でも生き延びて大人になる』。

 それが『発砲うさぎ狩り』の目標だった。そのためには目立つ行為なんてご法度である。なのに――それなのに、こうも堂々と魔法を用いて襲撃をしている。これほどまでに踏み込んだ行動を取るだけのリスクを、彼らは許容した。

 それくらいの『目的』が、ある。

(まあ、、どうかな?)

 瀞峡守は既にいなくなっている如月のいた方向を見る。

 そこにはもういないが、追いかければ追いつけるだろう。とはいえ、この八歳の足ではすぐに逃げられるし、体格が大きいのはあっちのふたりだ。

「みんか」

「■■」

 吹抜みんかは動く。

 今の変形している状態は犬の姿をした『ワンダフル』である。

 その肥大化した手を振り回す。もちろん、今、こちらに対して背を向けて、瀞峡守のことばかりを警戒している蒔絵に対して――だ。

 それが蒔絵に直撃することはなかった。

 今にも接触しそうになった『ワンダフル』の腕の。まるで磁石と磁石を近づけたときのような動きだった。

 動きが変わった腕はそのままの威力を持ったままで、それに引っ張られるようにして『ワンダフル』は壁に叩きつけられた。

「…………」

 と、蒔絵はその様子を見もせずに、ただ瀞峡守のほうを見ている。

「へえ、それがお姉さんの魔法ってわけかな?」

「…………」

 蒔絵は何も言わない。

「バリアみたいなものがあるってことなのかな?」

 それは少し違う気もするなあ――と、言いながら瀞峡守は思った。

 一方で少し安心したというのもある。

 瀞峡守の『ニューキャッスル』はあくまでも対象物に触れる必要がある。手の届く範囲までならどんなずたずたの大怪我にできる。

 だけど、この児童は平均的な八歳児である。

 両手を伸ばしても大した距離じゃない。

 だから、離れた位置から攻撃できるような魔法であったなら、かなりまずかった。

(まあ、そんな攻撃的な魔法使いを『委員会』も『調査部』には配属しないと思うけど)

 とはいえ、危機的な状況であることに変わりはない。

 この蒔絵と瀞峡のあいだには距離はある。

 どちらかがどちらかに何かをしようとしたら、一気に距離を詰めて――相手の懐に入らなければならない。

 そうなったとき、この対格差が弱点だ。

 触れられないように無力化されたら、瀞峡守にはどうすることもできない。

(それに――)

 瀞峡守は目を細めて、蒔絵のことを見る。

 こちらに向けている殺意は本物だ。

(あの眼鏡のお姉ちゃんはおれを殺すつもりでいる)

 治安維持組織『委員会』には、魔法犯罪者と対峙した際の対応として『殺害』が認められている。蒔絵は既に――最初から瀞峡に対して『殺害』が視野に入っている。

「お姉ちゃんの魔法はバリアじゃなくて、魔法から身を守る魔法だとおれは思うんだけど、当たってる?」

「…………」

 蒔絵は何も言わない。表情さえも変えない。

 そもそも蒔絵にしてみれば、その予想が的中しているからといって、驚くようなことでもない。客観的に出来事を観察していれば誰にだってわかることだ。

「じゃあ、?」

 言いながら瀞峡は手摺てすりの下にある支柱しちゅうに触れた。

 とん、とん――と、スチール製の支柱を指先で触れた。

 ばきん! という音が二重で聞こえた。切断された支柱はリレーで使うバトンくらいの大きさをしている。

 これを手に取った瀞峡は、

「それ!」

 と、放り投げた。

 別に大して蒔絵を狙ったふうでもなく、

「⁉」

 蒔絵はその棒切れの行く先を目で追って気づく。

 狙っていたのではなく、これはパスだ。

『ワンダフル』から猫の状態の『マカロン』に変形している吹抜みんかが、既に壁を蹴って大きく跳躍していた。

 空中を回転していたスチール製の棒切れを掴んで、そこから蒔絵に対して放たれた。

「くっ‼」

 蒔絵はぎりぎりのところで避ける。

「はっはっは! やはりお姉ちゃんの魔法は魔法しか弾かないんだね!」

 空中をジャンプしていた『マカロン』は天井を蹴って、蒔絵のすぐ近くに着地する。

 懐に潜り込むように――だ。

『マカロン』の鋭くて指先が蒔絵の脇腹を捉えた。

 これを、蒔絵は避けない。

 避ける必要がないからだ。

 だけど――このとき、壮生蒔絵は既に一度通用しなかった攻撃をもう一度するわけがないと考えるべきだった。

「!」

 蒔絵は気づく。

 伸びてきた指先に起きている変化に。

「しまっ――」

 毛並みに覆われた筋肉質の手が、急速に縮んで、人間のサイズになった。

 色白くて細い手に変わった。

 ――

「ぐ……っ!」

 めきめき‼ と脇腹がきしむ感触があった。

「ぐううっ‼ がああっっ‼」

 暴れるようにして、その手を振り払う蒔絵。

 いや、振り払ったのではなく、吹抜みんかが手を――放したんだ。

 はっ、と気づく蒔絵。そこに蹴りが放たれる。

 毛並みのある筋肉質だった足が、色白い細い素足に変化する。下から蹴り上げるようにして放たれた蹴りが蒔絵の顔面に直撃する。

 蒔絵のかけていた眼鏡が吹っ飛んで宙を舞う。

 そのまま真後ろにひっくり返り、階段を転がり落ちていき、踊り場の壁にぶつかったところで止まった。

「……あの調子だと、あの眼鏡のお姉ちゃんは違う」

 瀞峡守は階段から視線を外して、廊下のほうを見る。

 階段を駆け上がっていくふたりの姿があった。

「たぶん、鴻上こうがみのお姉ちゃんの予想が当たっているんだろうね。それを確かめるためにも――もう一度あのお兄ちゃんを狙おうか」

 瀞峡守の隣に犬の姿――『ワンダフル』になった吹抜みんかが近寄ってきた。人間の手足になっていた部分も、既に変化している。

「廊下の奥にある階段を上がって行った。おれだとあいつらには追いつけないからね。頼んだよ、みんか」

「■■」

 吹抜みんか――『ワンダフル』は走っていく。

 その姿を見届けてから、

「…………」

 と、階段のほうを見る。

「――はあっ、はあっ」

 肩で呼吸をしながら、蒔絵は階段を登ってきた。手元には亀裂の入った眼鏡がある。

「……別におれに立ち向かう必要なんてないと思うんだけど? そこで気を失っているふりでもしていたらよかったんじゃないかな?」

「絶対にあなたたちをここから逃がさない」

 蒔絵は眼鏡をかけて、児童に向かって言い放つ。

「あなたはここで殺す」

 これを受けて瀞峡守は動じる様子もなく言う。

「別におれたちは殺しをしたいわけじゃない。実際にそうじゃない? ほかのレヴェル4級の魔法犯罪集団と違って、おれたち『発砲うさぎ狩り』は穏健おんけんだと思うけどね?」

 冗談でも軽口でもなく、瀞峡守は本気でそう思っているし、これはこの手の意見としてはかなり俯瞰的であるとも言えた。実際、今この状況でなければ蒔絵にしても如月にしても、同意していたかもしれない。

「あのまま床に突っ伏していても、きっとお姉ちゃんの上司だって何も言わないと思うね。『死んでも何かを成し遂げろ』みたいなのって今時いまどきじゃないと思うんだよね」

「私に――あなたを見逃せ、と?」

「まあ、そういうことかな。おれはあのお兄ちゃんにちょっとした質問をしたいだけなんだ」

「信じられるものですか。一度でも人間を殺した奴の言葉なんて」

 蒔絵は言い切った。

「…………へえ」

 空気が変わる。

 これは――地雷だった。

 メンバーには本意で人を殺めた者もいれば、不本意に人を殺めた者もいる。幼いながらもリーダーとして『発砲うさぎ狩り』のメンバーと向き合い続けてきたからこそ聞き流せない言葉だった。

「そうだね、眼鏡のお姉さん――あなたの言う通りだね。おれたちは人を殺しているんだ。魔法を使ってね」

 瀞峡守は階段のほうに近づく。

「おれが触れたらお姉さんを殺せる。だけど、それに対してお姉さんの魔法はどんなふうに反応するんだろうね――」


 彼らがこのような行動を取っていることにはとても簡単な理由がある。

 そのためにも、優先するべきなのは壮生蒔絵ではなく如月貴石であり、更に言えば制限時間は刻一刻と迫っているわけで――こんなことをしている場合ではない。





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