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第10話  「ヴァルさんって本当は何者なんです?」





 村に着き、店に入ってからも一騒動あった。


 頼んでおいた小麦や消耗品を受け取りに店のカウンターに向かったのだが、店番をしていたアイリスの友人であるサラがアイリスについて店に入ってきたヴァルの顔を見て目をまん丸にし、「だ、誰!?」「アイリス結婚するの!?」とアイリスを質問攻めにしたのだ。


 サラの興奮ぶりにアイリスは慌ててヴァルの事を遭難しかかって暫く宿に居候している人だと言うことを説明しなければならなかったし、経緯をアイリスの後ろで聞いていたヴァルが「アイリスのお友だち?」と柔らかく微笑んで、よろしくとばかりにサラの手の甲にキスをしたものだからサラはヤカンの様に湯気が出るのではないかと言うくらい顔を真赤にして卒倒しかかったりした。


 おかげで、帰りには頼んでいない物までぎゅうぎゅうに押し付けられて(しかもヴァルはただの付き添いなのに何故か商品はヴァルに渡していた)、最後は「ヴァル様〜! また来てくださいね〜!」と友人であるはずのアイリスが受けたことのないような歓待ぶりで見送られた。


「アイリスの友だちって面白いね」


 これ、何かな? とヴァルは興味深げにサラに貰った物を眺めているが、片田舎の雑貨店にお洒落な物など置いてあるはずがない。彼の、のんびりとした性格のせいも有り、アイリスはだいぶ見慣れたがヴァルはこんな田舎では見たことのない美青年だということをすっかり忘れていた。すでに家にもある石鹸や洗濯粉などの日用品をサラに山程渡されて、アイリスはいささか目眩がした。


「……ああいうこと、いつもやってるんですか?」


 自分の声色に、ちょっとヴァルを責めるような音が混じってアイリスはあっと思ったけれど、一度口から出た音はもう消せなかった。

 けれどヴァルはそんなアイリスの焦りは感じなかったようで、きょとりと首を傾げている。


「ああいうこと? 俺、何か変なことした?」


 それでも、指摘された自分の行いは気になるようで、うーん? としきりに思い返している。自分で指摘しておいて、意味がわからないのなら流してほしかった等と勝手なことを思いつつ、ここまで言ってしまったなら言わないのも変だろうともごもごと返事を返す。


「……その、ほら……手にちゅってするやつ……」


 なんだかキス、とは言いたくなくて子どもっぽい言い方になってしまう。ヴァルは「え?」と間抜けな声を上げた。


「……俺、そんな事してた?」


 本気でぽかんとするヴァルに逆に毒気を抜かれる。


「してましたよ。こう、流れるように自然に」


 アイリスの目の前にある手綱を持つヴァルの手を取り再現してみる。ヴァルは「あー、したかも」と苦笑した。


「俺の父親がね、『女性には尊敬と礼節を重んじるべきだ』って言う人で。女性に会った時の挨拶はあれが通常だったから、ついクセで」


 言われてみたら、雑貨店あそこでするのは違うよね? と何故かアイリスに意見を求められて「はあ、まあ」と曖昧な返事を返す。ヴァルは「人と挨拶する時ってどんな感じが普通?」と、これまた誰でも知っているようなことを聞いてくる。挨拶の仕方など深く考えたこともなかったアイリスは戸惑いながらも「握手するとか……?」と答えた。ヴァルは「挨拶は握手ぐらいが普通……と」ぶつぶつ呟いて、まるで天啓を聞いたかのように「アイリスといると本当に色んな事を知れるなあ」と顔を輝かせ、いつもののほほん顔で笑った。


 四つも年上のヴァルの、純粋な表情かおを可愛いな、とちょっと思ってしまっている辺り、よくない傾向だなとアイリスは思った。





 村や宿の周りに現れた灰色狼は不思議と姿を見なくなった。……と言うか、ダレルの親方曰く、山や森で灰色狼を見かけることはあるらしい。だが何故か、彼らは一定の距離からこちらにはまるで線を引いたように入ってこなくなったのだとか。縄張り意識の強い灰色狼が、人間の住む区域に入り接触してきたのに獲物もとらず距離を自ら取ったのは珍しいことだった。


 なにはともあれ、日中だけでも安心して外に出られるのは有り難いことだ。ヴァルが雪花亭に居候をはじめてからはや一月が経ち、はじめは皿を洗わせたら割るか洗えていないかのどちらかだった彼がちゃんと皿を洗えるようになり、洗濯物もシワなく干せるようになった。

 生きていれば当たり前にしなければいけない家事のアレコレを、ヴァルは初め何も上手く出来なくて、子どもに教えるように一つ一つ教えなければならなかったが、そうかと思えば星の読み方や国の歴史などの難しいことを知っていたりした。

 薪割りは相変わらずうまかったし、家畜もヴァルが世話をすると何故か調子が良くなった。ロイとユーリの相手をしている時は、兄のようでも有り弟のようでもあり……年齢より落ち着いて見える時もあったがまるで子どものような時もある。そのちぐはぐさにアイリスは思わず「ヴァルさんって本当は何者なんです?」と聞いてみたがヴァルはただいつものように「雪花亭の居候だよ」と目を細めた。




 雪深い雪花亭には相変わらず宿泊客は来ず、宿は開いているものの昼間の食堂にしか客は来なかった。お昼時の営業を終え、片付けの目処も粗方たったアイリスは午後からの時間の振り方をどうしようかと思い描く。 


(明日も宿泊者は来ないだろうし、余った果物でタルトでも焼こうかしら)


 先日食堂に昼食を取りに来た常連さんがお裾分けしてくれた果物と今ある材料を思い浮かべる。今から作れば、今日のおやつの時間には間に合わないが夕飯のデザートには出せそうだ。アイリスはよし! と材料を取りに台所から出た。……と同時に、宿の入口の扉がカランカランと鳴って人が入ってくる。


「いらっしゃいませ」


 まさかこんな時間に客が来るとは思っていなかったが、条件反射で挨拶をして客人の方を見た。


「ここは宿だと聞いたのですが、今から一人泊まれますか?」


 そう言って真っ直ぐとアイリスを見た客は、黒い髪の毛に太陽の光を溢したような金色の瞳の――アイリスと左程歳の変わらぬ少年だった。




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