目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

廃墟と偶然の出会い

 遠野陽介は溜め息をついた。

「はぁ……また落ちたか」

 スマートフォンの画面に表示された不採用通知を見つめながら、彼は公園のベンチに深く腰掛けた。今回応募したのは地元のスーパーマーケットの品出しスタッフ。特殊な技術も経験も必要ない仕事だったが、それでも採用されなかった。

「適合者優先」と記載されていたが、まさかこんな仕事にまで影響するとは思わなかった。

 陽介は27歳。大学を中退してからというもの、正規の職に就くことができずにいた。そして半年前、世界を一変させた「亀裂事件」が起きた。一部の人間が異能に目覚め「適合者」となったが、陽介にはそんな兆候すらなかった。

「ちくしょう……このままじゃ家賃も払えないぞ」

 彼は立ち上がり、ポケットに入ったわずかな小銭を確かめた。コンビニでカップラーメンを買って帰るか、それとも空腹を我慢して明日の求職活動に備えるか。そんなことを考えながら歩いていると、彼の視界に何かが飛び込んできた。

「あれは……?」

 陽介が見たのは、公園の奥にある古い廃屋だった。以前から取り壊し予定と言われていたが、いつの間にか外壁の一部に亀裂が走っていた。

 その亀裂は普通の建物の老朽化によるものとは違った。微かに青白い光を放ち、まるで呼びかけるように脈動している。

「まさか……ダンジョン?」

 好奇心と、どこか希望のようなものが胸に灯った。もし本当にダンジョンなら、未発見であるはずだ。そして未発見のダンジョンの発見者には、政府から報奨金が出ることを陽介は知っていた。

 周囲を見回す。この時間、公園には誰もいない。陽介は躊躇いながらも廃屋に向かって足を進めた。

 廃屋の入り口は古い木の扉で、押すとキィと不気味な音を立てて開いた。内部は薄暗く、長年人が住んでいない臭いがした。

「誰もいないよな……」

 彼は声をひそめながら奥へと進んでいく。床には埃が積もり、足跡がくっきりと残る。壁にはカビが生え、天井からは蜘蛛の巣が垂れ下がっていた。

 そして廃屋の一番奥の部屋で、陽介は目を見開いた。

 部屋の壁に、一メートル四方ほどの青白い光の渦が浮かんでいた。間違いなく「亀裂」だ。そしてその周囲の空間がゆらゆらと歪み、別の次元へと繋がっているように見えた。

「本物のダンジョンだ……」

 興奮と恐怖が入り混じった感情が胸を満たす。報奨金のことを考えれば、今すぐ引き返して警察か自衛隊に通報すべきだろう。しかし陽介の足は前に進んでいた。

 亀裂に近づくにつれ、空気がひんやりと冷たくなるのを感じる。そして亀裂の前に立った時、突然強い風が吹き、陽介の体を引き寄せた。

「うわっ!」

 抵抗する暇もなく、彼の体は亀裂へと吸い込まれていった。

 目の前が真っ暗になり、そして次の瞬間、見知らぬ空間に立っていた。

 周囲を見回す。そこは広い円形の部屋のようだった。床と壁は青灰色の石で作られ、天井には結晶のような物体が埋め込まれ、淡い光を放っている。部屋の中央には石の台座があり、その上に拳大の赤い宝石が置かれていた。

「こ、これがダンジョン……?」

 陽介は恐る恐る部屋の中を歩き回った。出口らしきものはどこにも見当たらない。亀裂はどこかに消えてしまったようだ。

「まずい……出られなくなったら……」

 パニックが迫ってきた時、彼は不意に石の台座に目を向けた。赤い宝石が妙に惹きつけるように輝いている。

「あれは……何だろう?」

 慎重に台座に近づく。宝石は握りこぶしほどの大きさで、内部から赤い炎のようなものが揺らめいていた。

「触っても大丈夫なのかな……」

 常識的に考えれば、見知らぬダンジョンで奇妙な宝石に触れるなど愚行だ。しかし何か強い衝動に導かれるように、陽介は手を伸ばした。

 指先が宝石に触れた瞬間、激しい痛みが全身を走った。

「うあああっ!」

 彼は床に倒れ、身をよじらせる。まるで体の中に何かが流れ込み、細胞の一つ一つに働きかけているような感覚。痛みは数秒で収まったが、陽介の体には異変が起きていた。

 左手の甲に、赤い刺青のような模様が浮かび上がっていたのだ。

「な、何これ……」

 驚いて眺めていると、突然部屋の壁の一部が動き出した。石の壁が人の形に変形し、ゴーレムのような姿になる。

「う、うわああっ!」

 恐怖に駆られた陽介は後ずさった。ゴーレムは重々しい足取りで彼に向かって歩いてくる。

「助けて……誰か……」

 逃げ場はない。陽介は絶望的な気持ちで壁に背を押し付けた。ゴーレムが腕を振り上げ、彼に襲いかかろうとした時だった。

 左手の刺青が熱を持ち、眩しく光った。そして無意識のうちに陽介は左手を突き出していた。

「やめろっ!」

 刺青から赤い光線が放たれ、ゴーレムに命中する。しかし期待した破壊効果はなく、ゴーレムの腕の動きが一瞬止まっただけだった。

「効かない……?」

 しかしすぐに陽介は違和感に気づいた。ゴーレムの動きはスローモーションのように遅くなっているのだ。そして彼自身の思考と動きは、妙に冴えわたっていた。

「これは……時間操作?」

 咄嗟に思いついた仮説を確かめるように、彼はゆっくりと動くゴーレムの横を通り抜け、部屋の反対側へと移動した。

 効果は数秒で切れたようで、ゴーレムは再び通常の速度で動き出した。しかしその間に陽介は逃げ延びることができた。

「やっぱり……僕も異能に目覚めたのか?」

 左手の刺青を見つめながら、彼は考えた。時間を完全に止められるわけではなく、相対的に遅くするだけ。しかも効果時間は短い。一般的な異能の評価基準からすれば、決して強力なものではない。

 しかし今の状況では救いだった。陽介は自分の能力を試すように再び刺青を発動させた。左手から光が放たれ、ゴーレムの動きが鈍くなる。

「よし、これで……」

 彼は石室を探索し始めた。出口を探さなければ。壁を調べていると、一箇所だけ他とは異なる模様の石を発見した。思い切ってそこを押してみると、壁がスライドして開き、通路があらわれた。

「出口だ!」

 しかし喜びもつかの間、背後でゴーレムの重い足音が迫ってきた。振り返ると、ゴーレムは再び通常の速度で動き始めていた。

「くそっ!」

 陽介は通路へと駆け込んだ。通路は徐々に上へと傾斜しており、最終的には螺旋状の階段になっていた。彼は息を切らしながら階段を駆け上る。

 後ろからはゴーレムの足音が響いてくる。追いつかれたら終わりだ。

 階段を上り切ると、そこには小さな部屋があった。部屋の中央には黒い石の祭壇があり、その上に水晶のような物体が置かれている。部屋の奥には亀裂らしき光の渦が見えた。

「あれが出口だ!」

 陽介は亀裂に向かって走った。背後の足音はますます近づいている。亀裂まであと数メートルというところで、彼は立ち止まった。

 祭壇の上の水晶が気になったのだ。それは透明で、中に何かの映像が映っているように見える。

「これは……記録装置?」

 一瞬の迷いの後、彼は水晶を手に取った。その瞬間、水晶が青く光り、何かのデータが彼のスマートフォンに転送されるような感覚があった。

 考える暇はない。ゴーレムの姿が階段の上に現れた。陽介は亀裂に向かって飛び込んだ。

 再び暗闇に包まれ、そして気がつくと彼は廃屋の部屋に倒れていた。亀裂は消えている。

「ふう……生きて帰れた……」

 安堵のため息をつきながら、彼は左手の甲を見た。赤い刺青は消えていなかった。確かに彼は異能に目覚めたのだ。

 スマートフォンを取り出すと、見知らぬアプリがインストールされていた。「ダンジョンマッパー」と書かれたそれを開くと、先ほど彼が探索した部屋と通路の立体地図が表示されていた。

「これは……先ほどの水晶からのデータ?」

 興味深く地図を眺めていると、アプリの下部に小さなアイコンが表示された。それをタップすると、カメラが起動した。

「カメラ?」

 そしてそのカメラを通して廃屋を見ると、先ほどは見えなかった青い光の筋が壁を覆っているのが見えた。それはまるでダンジョンのエネルギーの流れのようだった。

「これは……ダンジョンを探知できるアプリ?」

 陽介は興奮で手が震えた。彼は異能に目覚め、同時に貴重なツールを手に入れたのだ。

「これを使えば……」

 そして彼の頭に一つのアイデアが浮かんだ。

 ダンジョン配信。

 適合者たちがダンジョン探索の様子を配信し、視聴者から投げ銭を受け取るビジネスが流行っていた。しかし現在の配信者たちは強力な攻撃系異能の持ち主ばかり。陽介のような時間減速能力では、視聴者を魅了するような派手な戦いはできない。

 しかし彼には独自の武器がある。他の誰も持っていないダンジョン探知能力だ。

「よし、やってみよう……」

 彼は決意を固めた。明日から「ダンジョン配信者」としての新たな人生を始めるのだ。

 家に帰る途中、陽介はふと立ち止まった。この発見を政府に報告するべきだろうか? 報奨金は魅力的だが、そうすれば彼の秘密の場所は他の適合者たちに占拠されてしまう。

「いや、もう少し……もう少し調べてからでも遅くはない」

 彼はそう自分に言い聞かせ、足早に自宅アパートへと向かった。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?