一週間後、陽介の配信チャンネル「見えない世界の案内人」は急速に視聴者を伸ばしていた。登録者数は3000人を超え、平均視聴者数は700人ほど。他の人気配信者に比べればまだまだ小さいが、素晴らしいスタートだった。
彼の配信の特徴は二つあった。一つは独自のダンジョン探知アプリを使った効率的な探索方法。もう一つは時間減速能力を活かした巧みな罠回避と戦闘回避だ。
華々しい戦闘シーンはないものの、知的で戦略的な探索は多くの視聴者を惹きつけた。特に「効率的なダンジョン攻略」を求める視聴者からの支持は厚かった。
「今日はダンジョンの5階まで進んでみたいと思います」
陽介は配信を開始し、いつものように視聴者に挨拶した。アパートの部屋で機材を確認してから廃墟へと向かう様子を配信しながら、今日の探索計画を説明していく。
「先日までに4階までの地図が完成しました。今日はいよいよ5階に挑戦します」
チャットには早速コメントが流れ始めた。
「ガイドさん、今日も頑張って!」
「5階にはどんな敵がいるんだろう」
「時間減速で乗り切れるかな?」
陽介はコメントに応えながら、廃墟に到着した。もはや彼にとってこの道のりは馴染み深いものになっていた。
「それではいつものように入っていきます」
彼は廃墟の中へと進み、ダンジョンの入り口を開いた。最初に発見した時とは違い、今では彼専用の「キー」があった。これは3日前のボス戦で入手したもので、ダンジョンへの出入りが自由になるアイテムだ。
「よし、まずはこれまでの階層を素早く通過します」
彼は慣れた足取りで1階から4階までを移動していく。時間減速能力を使いながら、効率的にモンスターを回避していった。
4階と5階の間の階段を前に、彼は一瞬立ち止まった。
「未知の領域に入ります。何が出てくるか分かりませんが、アプリの情報によると、5階には『水晶の迷宮』があるようです」
彼がスマートフォンの画面を配信に映すと、まだ詳細は埋まっていないものの、5階の大まかな構造が表示されていた。謎の青い部分が広がっている。
「では、行きましょう」
階段を上り5階に足を踏み入れると、そこは全く異なる空間だった。床も壁も天井も、すべて透明な水晶でできていた。下を見ると、まるで宙に浮いているかのような錯覚を覚える。
「うわ……これは……」
視聴者数が急増し、1200人を超えた。水晶の迷宮はまだ他の配信者も到達していない新しい領域だったのだ。
「素晴らしい映像だ!」
「ガイドさんが初発見者か?」
「政府に報告した方がいいんじゃない?」
陽介は慎重に水晶の床を歩き進めた。透明な床は妙に滑りやすく、バランスを取るのが難しい。そして何より厄介なのは、透明な壁と通路の区別がつきにくいことだった。
「アプリを使って進路を確認します」
スマートフォンのアプリを使うと、進むべき道と壁の区別がはっきりと表示された。しかし突然、アプリの画面が乱れ、一瞬にして消えてしまった。
「あれ? 何だこれ……」
彼がアプリを再起動しようとしたその時、水晶の床から突如として青白い電撃のようなものが走り、スマートフォンを直撃した。
「うわっ!」
スマートフォンは一瞬にして画面が真っ黒になった。どうやら電気的なダメージを受けて故障したようだ。
「まずい……アプリが使えない」
視聴者は状況を心配する声でチャットを埋め尽くした。
「大丈夫?」
「予備のスマホはないの?」
「これじゃ迷宮から出られなくなるぞ!」
陽介は落ち着いて考えた。確かにアプリが使えなくなったのは痛手だが、ここ数日で基本的な地図は頭に入っている。何とか出口までたどり着けるはずだ。
「視聴者の皆さん、心配しないでください。僕はここ数日の探索で基本的な地図を記憶しています。多少時間はかかりますが、出口に戻ることは可能です」
しかし次の瞬間、さらなる異変が起きた。水晶の床や壁が突然輝き始め、空間全体が歪み始めたのだ。
「何が……?」
そして彼の目の前に、一人の人影が現れた。全身が水晶で作られたような透明な姿をした人型の存在。クリスタルマンより大きく、より人間に近い姿をしていた。
「侵入者よ」
突如として、その存在から声が響いた。機械的で冷たい、しかし明らかに意思を持った声だった。
「よくぞここまで来た。だが、ここから先は許可なく進むことはできない」
陽介は驚きのあまり言葉を失った。これまでダンジョンの異形たちは意思疎通ができるような知性を見せたことはなかった。
視聴者数が急増し、2000人を超えていた。
「話した!?」
「知性を持った異形だ!」
「政府に通報すべき!」
陽介は震える声で尋ねた。
「あなたは……誰ですか?」
水晶の存在は静かに答えた。
「我は『水晶の守護者』。この迷宮の管理者だ」
「この迷宮……ダンジョンを作ったのはあなたですか?」
守護者は首を横に振った。
「いいや。我々はただ管理をしているに過ぎない。ダンジョンを創造したのは『創造主』だ」
「創造主……?」
「それ以上は語れない。お前は許可なくここに侵入した。去るか、試練を受けるか、選べ」
陽介は瞬時に状況を判断した。この存在との戦闘は避けるべきだ。彼の能力では太刀打ちできないだろう。しかし、せっかくここまで来たのに引き返すのも惜しい。
「試練とは何ですか?」
守護者は右手を掲げ、空中に複雑な図形を描いた。すると水晶の壁の一部が変形し、三つの扉が現れた。
「三つの試練がある。知恵の試練、勇気の試練、そして力の試練だ。すべてを乗り越えることができれば、我々の情報を与えよう」
陽介は一瞬考え、決意を固めた。
「試練を受けます」
守護者はうなずき、三つの扉を指差した。
「お前の選択に委ねる」
チャットでは視聴者たちが盛り上がっていた。
「知恵の試練がいいんじゃない? ガイドさんの能力的に」
「いや、勇気の試練! 冒険者なら勇気だ!」
「力の試練は厳しいだろうな……」
陽介は視聴者のコメントを参考にしながらも、自分の判断で選んだ。
「知恵の試練を選びます」
彼は一番左の扉に向かって歩いていった。扉に触れると、それは霧のように消え、新たな部屋が現れた。
部屋は円形で、中央に石のテーブルがあった。テーブルの上には複雑なパズルのようなものが置かれている。
「知恵の試練を選んだな。このパズルを解き明かせば合格だ」
守護者の声が響く。陽介はテーブルに近づき、パズルを観察した。それは様々な色と形の結晶が組み合わさったもので、どうやら特定の順序で配置する必要があるようだ。
「これは……」
彼がパズルを触ると、テーブルの下から光が放たれ、空中に謎の文字が浮かび上がった。
「『混沌から秩序へ、闇から光へ』……これがヒントか」
視聴者たちもパズル解きに参加し始めた。
「色を暗いものから明るいものへ並べるんじゃない?」
「いや、形に秩序があるはずだ」
「左から右へ複雑さが増していくとか?」
陽介は様々な意見を聞きながら、パズルに取り組んだ。試行錯誤の末、彼は一つの法則に気がついた。
「これは……周期表のように並べるのか」
彼は結晶を特定の順序で並べ替えていった。最後の一つを配置すると、パズル全体が輝き、テーブルが床下に沈んでいった。
「正解だ。知恵の試練をクリアした」
守護者の声が響き、部屋の奥に新たな扉が現れた。
「次の部屋へ進め」
陽介が次の部屋に入ると、そこには巨大な書架が並んでいた。書架には無数の水晶板が置かれ、それぞれに文字や図形が刻まれている。
「ここで情報を得ることができる。好きなものを選ぶといい」
守護者がそう言うと、書架に青い光が走った。陽介は躊躇なく、最も強く光る水晶板を手に取った。
水晶板に触れた瞬間、彼の脳内に直接情報が流れ込んできた。それは「ダンジョンの起源」に関する情報だった。
「これは……!」
彼は衝撃的な情報を得た。ダンジョンは単なる異世界との繋がりではなく、「異界の知性体」が意図的に作り出したものだという。その目的は地球の生命体の「進化の促進」であり、異能もその一環として与えられたものだという。
「まさか……」
さらに水晶板からは、ダンジョンの真の姿に関する情報も得られた。現在確認されているダンジョンは全世界で108か所。そのすべてが繋がっており、最深部には「中央管理施設」があるという。
「この情報は……」
陽介が考え込んでいると、突然背後から声がした。
「おや、珍しい適合者がいるね」
振り返ると、そこには一人の女性が立っていた。全身黒いコートに身を包み、顔の一部をマスクで隠している。彼女の左腕には陽介と同じような刺青が見えた。ただし色は青だ。
「あなたは……誰ですか?」
女性は微笑んだ。
「私も君と同じ。配信者よ」
彼女はそう言うと、手首につけた小型カメラを指差した。
「でも、君とは違って公式に登録していない。『闇配信者』というやつさ」
「闇配信者……?」
「そう。政府に登録せず、闇サイトでのみ配信している探索者のことさ。我々は政府の規制を受けず、自由にダンジョンの情報を扱っている」
陽介は警戒心を抱きながらも、興味を覚えた。彼女は自分と同じタイミングでこの部屋に来たということは、相当な実力の持ち主に違いない。
「あなたの名前は?」
「霧島 凛。でも配信では『ミスト』って名乗ってるわ」
彼女は陽介に近づくと、彼のノートパソコンの画面を覗き込んだ。
「へえ、なかなかの視聴者数。一般向け配信でこれだけ集められるなんて、才能あるじゃない」
「あなたも……このダンジョンを探索しているんですか?」
凛は首を振った。
「いいえ。私が探しているのは『キー』よ」
「キー?」
「ダンジョンの中央管理施設に行くためのキーが108個あるの。それぞれのダンジョンの最深部にある」
陽介は思わず水晶板の情報を思い出した。確かにそのような記述があった。
「なぜそんなことを?」
「理由は言えないわ。でも私たち『影の探索者同盟』は、ダンジョンの秘密を解き明かそうとしているの」
彼女はそう言うと、守護者の方を見た。守護者は不思議なことに彼女の存在を無視しているようだった。
「不思議に思ってるでしょ?」
凛は続けた。
「私の能力は『存在の希薄化』。特定の対象から自分の存在を認識させないようにできるの。だから守護者は私が見えていない」
「そんな能力が……」
「ねえ、あなたの能力は何?」
陽介は少し躊躇ったが、答えた。
「時間減速です。相手の時間感覚を遅くできます」
「へえ、それは面白い能力ね」
凛は陽介の左手の刺青を見て、にやりと笑った。
「私たちの能力、似ていると思わない? どちらも直接的な攻撃能力じゃなくて、状況を操作するタイプ」
確かにそうだと陽介は思った。彼女の言葉には妙な説得力があった。
「陽介くん、私たちと一緒に活動してみない?」
「一緒に?」
「そう。『影の探索者同盟』は常に新しい仲間を求めているの。特にあなたみたいな特殊な適合者をね」
陽介は迷った。彼女の提案は魅力的だった。より深くダンジョンの秘密に迫ることができるかもしれない。しかし同時に、違法な活動に関わることへの恐れもあった。
「考えさせてください」
凛はうなずき、小さなメモリースティックを彼に渡した。
「これに連絡先を入れておくわ。考えがまとまったら連絡して」
そう言うと、彼女は部屋の別の出口へと向かっていった。
「また会いましょう、陽介くん」
彼女が去った後、守護者が再び陽介に語りかけた。
「試練は終わった。約束通り、お前に情報を与えよう」
守護者は両手を広げ、空中に複雑な立体映像を描き出した。それはダンジョンの全体構造を示す地図のようだった。
「これがこのダンジョンの全容だ。お前のアプリに転送しよう」
しかし陽介のスマートフォンは故障したままだった。
「あの……スマートフォンが壊れてしまって」
守護者は首を傾げ、陽介のノートパソコンを指さした。
「ならばそれに送ろう」
青い光がノートパソコンに流れ込んだ。画面には複雑な地図と、これまでにない詳細な情報が表示された。
「おお……」
陽介は圧倒された。これはまさに探索者にとっての宝の山だった。
「もう一つ、お前に贈り物をしよう」
守護者は水晶の欠片を取り出し、陽介に渡した。
「これは『守護者の結晶』。これを持っていれば、いつでもこの部屋に戻ってくることができる」
「ありがとうございます」
「だが忘れるな。この情報は力となるが、同時に危険も招く。慎重に扱うことだ」
守護者はそう警告すると、静かに姿を消した。部屋の奥に新たな扉が現れ、そこは出口へと繋がっているようだった。
陽介は守護者から得た情報と、霧島凛との出会いに思いを巡らせながら、出口へと向かった。
「今日はここまでにします。視聴者の皆さん、ありがとうございました」
配信を終了すると、視聴者数は最終的に3000人を超えていた。過去最高の数字だ。投げ銭も予想以上に集まっていた。
「これで新しいスマホも買えるな……」
陽介は疲れと興奮が入り混じった気持ちで帰路についた。今日の発見は彼の配信人生を大きく変えるかもしれない。そして霧島凛との出会いも、何か重要な転機になりそうな予感がしていた。
アパートに戻った陽介は、まず新しいスマートフォンを購入するためにオンラインショップを検索した。そして次に、凛から受け取ったメモリースティックを調べてみることにした。
「さて、どうしたものか……」