メモリースティックにはただ一つのファイルが入っていた。それは「contact.html」という名前のウェブページだった。
陽介は少し躊躇いながらも、ファイルを開いた。すると暗号化されたチャットルームのようなインターフェースが表示された。
「ようこそ、新たな探索者」
画面にメッセージが表示される。どうやら自動応答のようだ。
「あなたの名前を入力してください」
陽介は配信名の「ガイド」と入力した。すると画面が切り替わり、新たなメッセージが表示された。
「ガイドさん、お待ちしていました。私はミストです」
リアルタイムでのチャットに切り替わったようだ。向こうは霧島凛に間違いない。
「今日はありがとうございました」
陽介はとりあえず礼を言った。
「こちらこそ。あなたの配信、後で見させてもらったわ。なかなか面白いじゃない」
「あなたは私の配信を見れるんですか?」
「ええ、私たちは様々な配信サイトを監視しているの。特に新人の適合者で、面白い能力を持った人を探しているわ」
陽介は少し警戒しながらも会話を続けた。
「影の探索者同盟とは何ですか?」
「簡単に言えば、ダンジョンの真実を探る秘密組織よ。政府が公開していない情報を集め、共有している」
「違法ではないんですか?」
「グレーゾーンね。私たちは破壊活動をしているわけじゃない。ただ情報を集め、共有しているだけ」
陽介は考え込んだ。確かに政府はダンジョンに関する情報を厳しく規制している。一般に公開されていない情報も多いはずだ。
「なぜ私を誘ったんですか?」
「二つの理由があるわ。一つは、あなたの能力が珍しいから。時間減速は貴重な能力よ。もう一つは、あなたが持っているアプリね」
「アプリのことを知っているんですか?」
「ええ、配信で見たわ。あれは『探索者の宝』と呼ばれる、非常に希少なアイテムよ。政府でも数えるほどしか持っていないはず」
陽介は驚いた。自分が偶然手に入れたアプリがそれほど価値あるものだとは思っていなかった。
「もしあなたが同盟に参加すれば、私たちはそのアプリの全機能を引き出す手伝いができるわ」
魅力的な提案だった。陽介は自分でもアプリの機能をまだ完全に理解していなかった。
「考えさせてください」
「もちろん。ただ、長くは待てないわ。三日以内に返事をもらえると嬉しいわね」
チャットはそこで終了した。陽介はノートパソコンの画面を閉じ、ベッドに横たわった。
頭の中では様々な思いが渦巻いていた。影の探索者同盟に参加すれば、より深くダンジョンの秘密に迫ることができる。同時に、その道は危険も伴うだろう。
翌日、陽介は新しいスマートフォンを購入し、アプリを復元することに成功した。守護者から得た情報も無事に取り込むことができた。
午後の配信では、昨日の出来事から守護者との対話までを詳しく説明した。ただし、霧島凛との出会いについては触れなかった。なぜか彼女のことは秘密にしておきたいと思ったのだ。
視聴者からは驚きと興奮の声が上がった。特に守護者の存在と、ダンジョンの起源に関する情報は大きな反響を呼んだ。
「まさかダンジョンは誰かが作ったものなのか?」
「異能も与えられたものって、どういうこと?」
「中央管理施設って何だろう?」
陽介はここで一つの決断をした。
「視聴者の皆さん、僕はこれからもっと深くダンジョンの秘密に迫っていきたいと思います。そのために、探索の方法を少し変えようと思います」
彼は一週間の活動休止を宣言した。その間に装備を整え、探索計画を練り直すという理由だった。実際には、影の探索者同盟の提案を検討するための時間が欲しかったのだ。
配信を終えた後、陽介は再びメモリースティックを使ってチャットルームに接続した。
「決めました。参加します」
数分後、返信があった。
「素晴らしい決断よ。では明日、直接会いましょう」
待ち合わせ場所と時間が送られてきた。それは都内の某カフェ。人目につく場所でのミーティングに少し意外さを感じたが、陽介は了承した。
翌日、指定された時間にカフェに向かう。店内を見回すと、窓際の席に霧島凛がいた。昨日とは違い、黒いコートを脱ぎ、普通の服装になっていた。長い黒髪を後ろで結び、シンプルなブラウスとジーンズ姿。マスクもしておらず、整った顔立ちが見える。
「こんにちは」
陽介が声をかけると、凛は微笑んで手を振った。
「座って」
彼は彼女の向かいの席に座った。テーブルの上にはすでにコーヒーが二つ置かれていた。
「緊張している?」
「少し……」
「大丈夫よ。ここでは普通の会話をするだけ。誰も不審に思わないわ」
凛はそう言うと、カバンから小さな装置を取り出した。それを机の上に置くと、小さなランプが青く点灯した。
「盗聴防止よ。これで安心して話せる」
陽介は周囲を見回した。カフェには数人の客がいたが、誰も彼らに注目していないようだった。
「影の探索者同盟について、もっと詳しく教えてください」
凛はコーヒーを一口飲み、話し始めた。
「私たちは亀裂が出現した直後に結成されたわ。創設者は元政府の研究者。彼は亀裂の出現前から異界の存在を予測していたの」
「そんなことが可能だったんですか?」
「ええ。彼は量子物理学の専門家で、多元宇宙理論を研究していた。理論上は異界との接触が可能だと考えていたようね」
「その人は今も?」
「いいえ、残念ながら亀裂の調査中に消息を絶った。けれど彼の遺志を継いで、私たちは活動を続けている」
凛は話を続けた。同盟は現在、全国に約50人のメンバーがいるという。全員が適合者で、それぞれが特殊な能力を持っている。彼らの多くは公式には登録しておらず、政府の管理下にない「自由な適合者」だった。
「私たちの目的は三つ。一つは、ダンジョンの真の目的を解明すること。二つ目は、108のキーを集め、中央管理施設にアクセスすること。そして三つ目は、適合者の権利を守ることよ」
「適合者の権利?」
「ええ。政府は適合者を単なる道具として扱っている。能力の強い者は軍事利用され、弱い者は無視される。私たちはすべての適合者が自分の能力を自由に使える世界を目指しているの」
陽介は考え込んだ。確かに彼自身、能力が弱いという理由で就職にも影響が出ていた。社会の中で適合者の立場は微妙なものがある。
「あなたの能力は、政府基準では『実用性低』と判断されるでしょうね」
凛の言葉に陽介は驚いた。
「どうして分かるんですか?」
「政府には能力評価システムがあるわ。攻撃力、防御力、持続時間、影響範囲などでランク付けされる。時間減速は即効性がなく、持続時間も短いから、評価は低いはず」
陽介は苦笑した。そのせいで、公式登録しても特に声がかからなかったのだろう。
「でも私たちは違うわ。能力の強さではなく、使い方の巧みさを評価する。あなたのように、一見弱そうな能力を最大限に活かせる人こそ、私たちが求める仲間よ」
凛の言葉に、陽介は何か胸に響くものを感じた。これまで社会からは評価されなかった自分の能力が、彼女たちの目には価値あるものに映るのだ。
「それで、私はどんな活動をすることになるんですか?」
「まずは現在の配信活動を続けてほしいわ。ただし、私たちから特定の情報や探索ルートの指示が入ることがあるわ」
「つまり、表向きは普通の配信者として活動しながら、裏では同盟のために情報収集をするということですか?」
凛はうなずいた。
「そういうこと。あなたは合法的な配信者としての立場がある。それは貴重なカバーになる」
「それは……スパイのようなものですね」
「そんな物騒な。情報提供者よ」
凛はクスッと笑った。陽介は少し複雑な気持ちになった。確かに彼は真実を知りたいと思っている。だが、そのために嘘をつくことに抵抗もある。
「心配しないで。違法なことはさせないわ。ただ、政府が隠している情報を明らかにするだけ」
「政府が情報を隠しているという証拠は?」
「例えば、あなたが出会った水晶の守護者のこと。実は政府は既に存在を把握しているのよ。でも一般には公開していない」
「なぜですか?」
「パニックを避けるためという表向きの理由と、自分たちだけで利用したいという本音があるわ」
凛はカバンから一枚の写真を取り出した。それは首相と思われる人物が水晶の守護者と対面している場面を捉えたものだった。
「これは……」
「1年前の写真よ。政府高官が守護者と会談している。彼らは既に交渉をしていたの」
陽介は驚いた。彼が「発見」したはずの存在が、実は政府には既知だったとは。
「他にも、ダンジョンの出現が完全に偶発的なものではないという証拠もあるわ」
凛は別の資料を見せた。それは亀裂出現前の政府内部の会議議事録だった。そこには「異界接触プロジェクト」という言葉が記されていた。
「これが本物だと証明できますか?」
「今は無理ね。でも、同盟に参加すれば、もっと確かな証拠を見せられるわ」
陽介は沈黙した。情報が本当なら、これは大きな問題だ。政府が国民に隠し事をしているというのは深刻な事態だ。
「考える時間はあるわ。でも、せっかく会ったんだから、もう少し別の話もしましょう」
凛は話題を変え、陽介の日常生活について尋ねた。彼の配信を始めたきっかけや、ダンジョン探索の経験などについて和やかに会話を交わした。
「あなた、意外と面白い人ね」
「それは良い意味で?」
「もちろん。最初は真面目すぎるかと思ったけど、けっこう冗談も言うじゃない」
二人はコーヒーを飲みながら、しばらく探索の体験談を語り合った。凛の話す探索話は、陽介が経験したことのないような危険なものばかりだった。彼女は明らかにハイレベルな適合者だ。
「そろそろ時間ね」
凛は腕時計を見て言った。
「もう一つ、あなたへのプレゼントがあるわ」
彼女はカバンから小さな黒い箱を取り出した。箱の中には指輪のような金属製の装置が入っていた。
「これは『増幅器』。あなたの能力を強化するわ」
「能力を強化する? そんなことができるんですか?」
「理論的には簡単なことよ。能力の発現は脳内の特定部位の活性化によるもの。この装置はその部位に微弱な電気刺激を与えて、活性化を促進するの」
陽介は半信半疑で装置を手に取った。指輪のように見えるが、内側には複雑な回路が組み込まれている。
「試してみる?」
彼はうなずき、装置を左手の人差し指にはめた。
「使い方は簡単。装置を捻ると作動する。ただし、使用時間は一日30分までにして。それ以上は脳に負担がかかるわ」
陽介は装置を軽く捻った。すると、指輪の内側から微かな温かさが伝わってきた。彼は試しに能力を発動してみた。
「!」
彼の目の前で、カフェの風景がいつもより鮮明にスローモーションになった。普段なら視界の一部だけが影響を受けるはずが、視界全体に効果が広がっている。
「効果は感じられる?」
凛の声も、わずかにゆっくりとしていた。陽介は装置を元に戻し、能力を解除した。
「すごい……範囲が広がりました」
「これが私たちの技術よ。政府も同様の研究をしているけど、まだ実用化には至っていないはず」
陽介は改めて装置を見つめた。これほどの技術を持つ組織なのだ。彼らの情報収集能力も相当なものだろう。
「これをもらっていいんですか?」
「ええ。同盟への入会祝いよ。もちろん、まだ正式な決断をしていないなら返してもらうけど」
陽介は少し考え、決意を固めた。
「参加します。影の探索者同盟に」
凛は満足そうに微笑んだ。
「歓迎するわ、新しい仲間」
彼女は彼に小さなカードを渡した。それには暗号のようなQRコードが印刷されていた。
「これがあなたのIDカード。同盟のメンバーだけが読み取れる特殊なコードよ」
「これで何ができるんですか?」
「他のメンバーと接触する時の認証に使えるわ。それと、同盟の安全施設への入場にも必要」
「安全施設?」
「ええ。都内にいくつか拠点があるの。今度案内するわ」
二人はその後、今後の連絡方法や活動内容について詳細を詰めた。陽介は週に一度、凛と直接会って報告することになった。また、緊急時の連絡手段として、暗号化された専用メッセンジャーアプリもインストールした。
「それじゃ、次回は一週間後。同じ時間にここで」
凛は立ち上がり、カバンを肩にかけた。
「最後に一つ忠告しておくわ。これからはもっと注意深くなって。配信中に不自然なグリッチが起きたり、見知らぬ人に尾行されたりしたら、すぐに連絡して」
「政府に監視されるということですか?」
「可能性はあるわ。特に水晶の守護者との接触が配信で公開された以上、あなたは注目の的よ」
彼女は警戒するように言い、カフェを後にした。
陽介は一人残され、コーヒーを飲み干した。彼の生活は今日から大きく変わることになる。表の顔は配信者「ガイド」、裏の顔は影の探索者同盟のメンバー。二重生活の始まりだ。