まぶたの向こうに、柔らかな光が満ちていた。
その光に当てられ、少女はゆっくりと目を開ける。
少女は重い体を起こし、裸足で床に降りた。
傍らの机の上に、眠る前まではなかったはずの上着が綺麗に折りたたまれて置かれていた。
その上着の上には紙切れが落ちており、少女はそれを拾い上げる。
『上着を渡すの忘れてたからお届けだよ、寒い時は重ね着が1番だね。ルビアより』
少女は紙をポケットに入れて薄手の上着を羽織ると、まだぼんやりとした頭でドアを開ける。
遠くから船員たちのくぐもった声が聞こえるばかりで、その通路は昨夜から依然として静けさを保っていた。
ランプの光に代わり、天井に設けられた小窓から陽が差し込み、静かな通路を明るく照らしている。
蒸気の匂い、油の匂い、焼きたてのパンのような匂いも、微かに漂っていた。
少女は小さく息を吸い、昨日と同じ道を辿った。
古びた手すりに沿って階段を上り、外へ出る扉を押し開ける。
甲板の上は、すでに活気に満ちていた。
空は昨日の灰色の雲が遠くに浮かび、青空が船の上に広がっていた。
船員たちが荷物を運び、別の誰かが帆の手入れをしていたりと既に喧騒に満ちていた。
少女は甲板を横切り、柵の近くまで歩み寄った。
そして昨日と同じ、しかし少し違って見える広大な地上の景色を眺める。
朝の陽光が禁足地の大地を黄金に染め、大地の裂け目を柔らかく撫でている。
遠くの遺構は朝霧に薄く霞み、地平線の彼方では、朝焼けの赤と青が溶け合い、果てしない空と大地が一つに繋がる瞬間を織りなしていた。
少女は柵に手をかけ、白い髪を朝風になびかせて、しばらくその景色に見入っていた。
「ここからの景色気に入ったの?」
耳に届いた声に、少女は小さく肩を跳ねさせた。
振り返ると、ルビアが軽やかな足取りで近づいてくるところだった。
彼女は朝の光を浴びながら、ふわふわとした尻尾を揺らして、眩しそうに目を細めて笑っている。
「あ、ルビアさん、おはようございます」
少女がぎこちなく頭を下げると、ルビアはにこりと微笑みながら、すっと少女の隣に並んだ。
甲板に吹く朝の風が、ふたりの間をすり抜ける。
ルビアは手すりに肘をかけ、遠く広がる景色を一度見渡してから、横目で少女を見た。
「おはよう。ちょっと白髪ちゃんに伝えないといけないことがあってねー」
ルビアの言葉に、少女の胸がわずかに強張った。
軽やかな口調の裏に、何か大事なことが隠れているのではないかと、不安が胸の奥をかすめた。
「はい、なんでしょうか」
少女は小さく首を傾げ、ルビアをじっと見つめる。
甲板の喧騒が一瞬遠のき、船員の笑い声や帆の擦れる音が、彼女の胸に響く不安を掻き立てるようだった。
「昨日の灯りの件もあってね、あの場所に調査しに行くつもりなんだけど、白髪ちゃんさえ良ければ、その調査に同行して欲しいの」
ルビアは手すりに肘をかけ、朝の風にふわっとした尻尾を揺らしながら言う。
彼女の声は真剣な色が宿り、少女の反応をそっと窺うような柔らかさがあった。
甲板の喧騒が響く中、朝陽が二人の影を長く伸ばし、禁足地の金色の大地を背景に、2人は見つめあった。
「私は、大丈夫です、けど……皆さんの足を引っ張らないか不安です」
少女は小さく息を吸い、ルビアの言葉に答えた。
彼女の鈍色の瞳は、朝の光を受けて揺れ、不安と決意が交錯するようにかすかに潤んだ。
彼女の声は控えめで、言葉の端にためらいが滲んでいる。
「へーきへーき、逆に白髪ちゃんが調査のプロフェッショナルだったら私びっくりしちゃうよ?」
ルビアはにんまりと笑い、片手を軽く振って大げさに肩をすくめ少女をからかうような仕草を見せた。
彼女は手すりから身を起こし、少女に軽くウインクして、笑い声を小さく弾けさせた。
「……それなら、同行した方が都合がいいのなら、私は大丈夫です。同行します。」
控えめな声にはまだ不安の余韻が残っていたが、言葉の最後には静かな決意が滲み、唇の端に小さな微笑が浮かんだ。
「おっけー!でも、出発までまだ時間がかかるだろうから、後で呼びに来るね!」
彼女の声は、まるで船員たちの喧騒に負けない明るさで響き、少女に振り返りながら親指を立てた。
「調査って、やっぱり色々と準備とかがあるんですか……?」
少女はルビアの明るい笑顔を見ながら、そっと呟いた。
甲板の活気が彼女の周りで脈打ち、蒸気と油の匂いが彼女の鼻先をかすめる。
「そだねぇ、今は船長へ確認を取ってる最中かな、あとは調査の人員の調整とか支度とかナントカカントカ、そんな感じだよ」
ルビアの声は気さくで、まるで難しい話を簡単な雑談に変えるような軽快さがあった。
おそらく、彼女自身も細かいことは把握しきれていない様子だった。
「もしあの灯りが、白髪ちゃんを探してる人のものなら、早めに駆けつけた方がいいしね」
ルビアは朝の陽光に目を細めながら言い、彼女の声は明るくもどこか真剣な響きを帯びていた。
朝風が彼女の服の裾を軽くはためかせ、遠くの遺構の金色の輝きが、彼女の言葉に重みを添えるようだった。
船員たちの荷物運びの声や帆の擦れる音が周囲で響き、ルビアは少女をちらりと見て、口元に小さな笑みを浮かべた。
「迷惑をかけてしまって……申し訳ないです」
少女はルビアの言葉に小さく肩をすくめ、視線を足元の甲板に落とした。
彼女の言葉の端に、自分の存在が負担になっているのではないかという不安が滲んだ。
禁足地の大地が遠くで輝く中、彼女の小さな背中は、まるでその広大な景色に呑まれそうに儚げだった。
「気にしないで、元から私たちは人助け好きの集団だしね。じゃあ私はその意向を伝えに行くから。これ、あげる」
ルビアは明るく笑い、少女の肩をポンと軽く叩いた。
彼女の声には、少女の不安を吹き飛ばすような力強さがあった。彼女は腰のポーチから小さな包みを素早く取り出し、少女の手にそっと押し付けた。
少女の手のひらの上でルビアが包みを開くと、そこには太陽のような花の形をした金属のブローチが輝いていた。
朝陽の光を受け、ブローチの細やかな花弁が鈍く金色にきらめき、中心に小さな青い石が朝の空の色を閉じ込めたように澄んでいた。
金属の表面には、紋章が繊細に刻まれ、触れると冷たい感触が少女の指先に伝わった。
ルビアは少女の反応を楽しみにするように、ふわふわした尻尾を軽く揺らしながら見つめた。
「……かわいい」
「ふふん、これは、白髪ちゃんがこの船で正式なお客さんってことを示すための物だよ!」
ルビアは胸を張り、得意げに鼻を鳴らした。
彼女は、少女に軽くウインクする。
「これを付けていれば、みんな優しくしてくれるはずだから……船内を好きに見て回るといいよ!暇でしょ?」
ルビアはにこにこしながらブローチを指差し、少女に軽く肩を押した。
「もしなにか聞かれたら、見学って言っとけばいいから!」
ルビアは片手を腰に当て、いたずらっぽく片目をつむった。
彼女は少女に親指を立ててみせ、船内の雑多な活気と調和するように、軽快な仕草で次の言葉へと繋げた。
「じゃ!そゆことで!」
ルビアは親指を立てた手を解き軽く振ると、くるりと踵を返した。
彼女の声は、船員たちのざわめきに溶けていった。
少女はブローチを握りしめ、ルビアの背中を見送りながら、禁足地の金色に輝く大地を背に、静かに息を吐いた。