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【第七章:光の鍵】

 その夜。

 ジェラルドとアリスはホルボーンの裏通りを抜け、大学へ向かった。

 グレイスは安全のため、ジェラルドの旧知の書店主夫婦に留守を頼んで事務所に残して来た。以前、殺人未遂事件の依頼を受けて解決した縁で、何かと力になってくれる信頼できる二人だ。今日は店が休みだと言うので委ねて来ていた。

 キャンパスの石造りの建物が霧にぼんやり浮かび、濡れた蔦が壁を這っている。学生の姿ももうなく、キャンパスは静寂が支配していた。

 ハリソン教授の研究室は長い廊下の突き当たりにあった。重いマホガニーのドアが内部の薬品の匂いを漂わせている。

 ジェラルドは鍵をこじ開けてアリスと二人で埃っぽい室内に足を踏み入れた。古い本棚には化学書が乱雑に並び、机の上にはガラス瓶や書類が散らばっていた。

「教授が監査局と繋がっているならその痕跡を探す。結晶のことは当然知ってるんだからな」

 ジェラルドが書類を捲っている間にアリスが壁に触れて「透視」を試みるが、前回と同じく教授が青い光の瓶を手に誰かと話す姿が断片的に浮かぶだけだった。

 相手の黒いコートだけが残像のように映り、頭痛が彼女を襲う。

「監査局と関わりがあるのはおそらく間違いないわ。でも、何を企んでるかまではわからない。──彼がどちら側の人間なのかも」

 ジェラルドが机の引き出しから古い教会の時計塔の設計図を見つけた。そこには台座の紋様と似た記号が記されている。

「これだ。教授が時計塔の封印のことを知ってる証拠だ」

 廊下で不規則な足音が響き、霧が窓を叩いた。黒いコートに青白い光を従えた監査局員が現れ、低い声で脅迫する。

「遺産の鍵を渡せ」

 ジェラルドが水晶を握り霧の障壁を張るが、視界が歪み額に汗が滲む。

 どうにか光の矢の攻撃を跳ね返して、相手を逆にその矢で突き刺す。急所は逸れて右脚だったが、強い力を持つからこそ自らの能力を浴びた彼は呻いて屈み込む。

 肩で息をしているジェラルドにアリスが叫んだ。

「グレイスが危ない! 事務所に戻るわ!」

 二人は研究室を飛び出し事務所へ急ぐ。

 事務所に駆け込むと、すぐ目の前に監査局員らしき男が立ち、書店主は床に倒れて夫人がその横に座り込んでいる。グレイスはソファに縮こまっていた。

 アリスが「透視」で、事務所に押し入った監査局員がグレイスを庇おうとする書店主から少女を奪おうと銃を向けるのを視る。必死で苦痛を堪えながらその先を追うと、グレイスの腕輪が光って「共鳴」が霧を呼んで室内が白く曇るが、暴走することなく監査局員の銃を弾き飛ばしていた。

 書店主は銃を向けられたショックでか一時的に失神しただけのようだ。

 限度を超えた「透視」で動けないアリスをソファに押しやって、ジェラルドが水晶を握り、監査局員と向き合った。霧が渦巻き、暖炉の火が一瞬消え掛ける。アリスが痺れる腕を伸ばしてグレイスを抱き、そっと囁く。

「もう大丈夫よ、グレイス。私たちが来た」

「チャールズおじさんは!?」

 書店主を心配するグレイスに、彼の傍についていたメリッサ夫人が「大丈夫よ」と微笑んでくれた。

「この人は意外と頑丈だから。すぐに目を覚ますわ」

「その娘の『共鳴』は遺産を解き放つ鍵だ。社会の均衡を崩す力は我々が制御する」

 監査局員が低く言い放つ。

「この子は絶対に渡さない!」

 ジェラルドが怒りのあまり、ほぼ使ったこともなかった鋭い霧の刃を相手に向けて飛ばした。

 おそらくは能力者ではない監査局員は一旦引くことにしたらしい。ドアを開けて彼は姿を消した。

 少し動けるようになったアリスが目を細め、決断した。

「結晶を完全に封印しないと、グレイスが狙われ続ける。時計塔に戻るしかないわ!」

「ああ、その通りだ」

 ジェラルドが承諾の言葉を吐く。

「グレイスを守ってくださってありがとうございます」

 すぐに意識を取り戻したチャールズと、夫人であるメリッサにジェラルドが心からの礼を述べた。

「本当に申し訳ありません。大変なことに巻き込んでしまって──」

 アリスもどうにか言葉を絞り出して詫びるのに、メリッサは場違いなほど明るく笑う。

「先生にはこのくらいじゃ返せない御恩がありますもの。あの時チャールズこの人が捕まって罪に問われていたら、店だって続けられませんでした。あたしも息子も『犯罪者の家族』と周囲に後ろ指さされて、路頭に迷ってたかもしれません。少なくともこの街にはいられなかったでしょう。だからあたしたちにできることなら何でもいたします。いつでも頼ってください」

 チャールズは如何にも人の良さそうな、……だからこそ友人に裏切られ冤罪に陥れられそうになった人物だ。しかし彼はともかく、おそらくメリッサは「人の親」としてグレイスに関する「事実」を見抜いている。

 けれど一切匂わせることさえせず知らぬふりを通してくれる夫人に、ジェラルドとアリスに改めて感謝の気持ちが湧いた。

 帰って行く二人を見送り、三人は霧を割って時計塔へ急ぐ。グレイスがジェラルドのコートを握り、震える声で告げた。

「怖い……。でも守りたいの」

 ジェラルドが彼女の手を握り返し、静かに答えた。

「怖いのは当然だ。俺とアリスが一緒に守るよ」

 時計塔へと急ぐ道中にも、グレイスの腕輪が光り、ひびが広がる。もし腕輪が砕けたら共鳴の力が解放されて、他の何かをも巻き込むことになるかもしれない。

 螺旋階段を駆け上がって時計塔の最上階に辿り着くと、封印された結晶が台座で青く光っていた。

 円形の部屋の隅の錆びた歯車が、霧に濡れて鈍く光る。

 アリスが台座の紋様に触れて、ロナルドが込めたものを必死の思いで読み取った。

「『歯車とともに封印を』。──ジェラルド、歯車を動かせば完全封印できるのよ!」

 ジェラルドが円形の部屋の片隅にある歯車を動かそうと試みた。しかし錆びついていて上手く行かない。

 アリスがロナルドの呪文を唱える。すると、ジェラルドの押す手に歯車が緩慢に動き始めた。まるで錆を拭って機械油を差したかのように。

 同時にグレイスの「共鳴」が封じられた結晶と溶け合い、台座が強い光を放った。青い結晶は完全に封印され、「光の遺産」の安全は確保されたのだ。

 だがグレイスの力が遺産と繋がっているため、監査局の標的であり続けることは避けられない。

 グレイスがジェラルドのコートを握り、小さな声で尋ねる。

「ロナルドさんが守ろうとしたものを、本当に私が守れるの?」

 アリスが彼女の手を握り、暖炉の温もりを思い出すような声で答えた。

「私たちも一緒に守るわ、グレイス。いつも一緒にいるから」

 ジェラルドが霧を見据え、決意を口にする。

「ハリソン教授を追う。奴が監査局の鍵だ。味方かどうかは関係ない」


 ──霧がさらに濃くなり、テムズ川の汽笛が低く響く中、次なる戦いが予感された。


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