目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

<4・Showdown>

 多分だが。

 虎澤綾は、かさねの悪口もどこかで書いていたのではないかと思うのだ。まあ、このクラスの生徒の中で綾に悪口を書かれていなかった人間の方が少ないのだろうが。

 どうにもこの学校の裏掲示板があるらしく、彼女はそこに頻繁に出没していたらしい。自分は一切そういうところは見ないように意識していたが、気になって覗いてしまってクラスメートたちの多くが落ち込んでいたことは知っている。

 インターネットに根も葉もない噂を書きこんで誹謗中傷するなど、あまりにも卑劣な行為ではないか。

 一度友達の一人から相談されて、綾を呼び出して注意しにいったことがあるのだ。


『そういうの、やめたら?確かに、あんたが思う通りにならないことはたくさんあるんだろうけどさ。自分がされて嫌なことは人にするもんじゃないよ』


 かさねに言われて、綾は露骨に不愉快そうな顔をした。先生の前ではいつもニコニコと優等生の顔を貼り付けているというのにだ。


『わたし、間違ったことなんかしてませんわ。悪いことをした人達に、正しい裁きを与えてるだけです。こんなに悪い人達がいるんですよって、こういう人達とお付き合いしたら皆さんも嫌な思いをしますよって親切で教えてあげてるだけなのに。それに一応本名は出してませんよ?』

『鏡●、とかいう書き方じゃ伏せたことになってないけど?うちのクラスに鏡がつく男子なんか一人しかいないんだし。それに、自分を振ったからってだけでゲイに違いないなんてそんな噂流すもんじゃないと思うんだけど。他の人だってそうだよ、小学生なのにエロいことしてお金稼いでるとか、万引きの常習犯らしい、なんていくらなんでも度を越してると思わないの?』

『それが事実だと確定した言い方なんかしてないでしょ?こういう噂があるんで気をつけましょうね、って親切な注意喚起をしているだけなのに』

『悪徳雑誌と同じやり方じゃん。で、自分は名前明かさないわけだ。汚いよ、やり方が。まあバレバレだけどさ、あんたがやってるのは。臆病なんだね、あんたって』


 あの時は、さすがのかさねもイラっときて本音が出てしまった。すると、綾は眉を跳ね上げて、「貴女の方がよっぽど卑怯だわ!」と叫んできたのである。


『こんな校舎裏にわたしを呼び出してなんのつもり?不良少女の指導ってやつ?わたしをぼこぼこにして言うことを聞かせようっていうのね?サイテー!』

『は!?誰も手なんか出してないじゃん!』

『いいえ、貴女は言葉でわたしを殴りつけてるんだから同罪よ!そもそも、貴女が過去に何をしたのか、みーんな知ってるんですからね。男の子たちを殴ってケガさせて、先生に親が呼び出されたことがあったんでしょ?わたしはそんな野蛮なことしないわ。みんなに噂を教えてあげてるだけだし、何よりあの掲示板を使ってるのわたしだけじゃないもの!わたしだけ、こんな風に“虐め”られなきゃいけないなんてあんまりよ!このいじめっ子!加害者!クズ!』


 あっけにとられてしまった。確かに、過去ガキ大将どもに手を出してしまったのは事実だが、あの時は実際双方とも手を出している。でもって、やられた奴らの方も“自分達も殴った”ときちんと白状して、最終的には喧嘩両成敗になったのだ(そのへんは、あの連中も潔かったと言える)。

 そもそも、かさねが彼らと喧嘩をしてしまったのは、彼らが他の子をいじめたりパシりにさせているのを注意したところ発展したという経緯があるわけで――自分が一方的に少年たちをタコ殴りにされたと言われるのは甚だ不本意なのだが。事実の一部だけを曲解して、一体何を言っているのか。


――つーかそもそも、今私が過去に喧嘩したこと関係ある!?


 なんとなく察してしまった。彼女はこうして、注意されるたびに論点をずらし、のらりくらりと避けて己を正当化してきたのだろう。なまじ、知恵が回るばかりに。


『それに、あんたくだんない漫画とかアニメのオタクなんですってね。毎日、二次元の中のキャラクターにキャーキャーいってマジできもちわるいんですけど』


 はっ、と綾は軽蔑しきった顔を向けてきたのだった。


『毎日、漫画のイケメン見てオナったりしてるわけですか?ドン引きー』

『え』

『ああ、やだやだ、そんな手で触らないでください。そういう奴だって、みんなにも教えてあげなきゃ。楽しみにしててくださいね。あはははははっ』


 固まるかさねをよそに、彼女はスマホを取り出してひらひらさせると――そのままさささっと逃げるように立ち去ってしまったのだった。オタクを馬鹿にされたところまではわかる。しかし、この時、かさねが固まったのはその続きの言葉の意味がわからなかったからだ。


――?……おなったり、ってなに?


 訳がわからず、この日の夕方ネット検索をしてひっくり返ったものである。こんな言葉が出てくる小学生の方がドン引きではないか。ネットに染まりすぎである。彼女こそ、年齢誤魔化してこっそりエロサイトでも見ていそうな気がしてならない。

 多分あの日、かさねも変な噂を書きこまれたのだろう。わざわざそれを確認しにいってやるほどお人よしでもなかったが。もしかしたらネットの中で、自分のキャラは『エロいこと大好きな気持ち悪いオタクヤンキー』ってことにでもされているのかもしれない。

 不愉快だが、それだけだった。あのような人間を相手にしてやるほど暇ではないからだ。ただ。


――想像はつく。……不愉快だ、だけで。済ませることができる人間は、多分そう多くはないんだろうなってことは。


 考えた末。かさねは今、校舎裏の使われていない花壇の前にいる。目の前には、虎澤綾が怪我をした場所を笑いながら見ていた、猫山瀬里奈の姿が。

 綾を呼び出したのと同じ場所に瀬里奈を呼び出しているなんて、何とも皮肉な話ではあるが。


「……猫山さん、何か知ってるんじゃないの?ひょっとして」


 綾に噛みついたという動物は、今のところ見つかっていない。そして他の被害者は出ていない。まるで最初から、綾一人を標的にしていたかのように。


「虎澤さんが、クラスのみんなに煙たがられてたのは事実だろうし……彼女を排除するために、何かを仕掛けた人がいてもおかしくないなって思うの。実際、彼女の靴箱から黄色の動物?みたいなのが飛び出してきたのを見たって言った人がいるし」

「……それ、私がやったって言いたいのかしら?」

「証拠はないから、違うなら違うって言ってね。でも、虎澤さんが怪我をした様子を、なんかすごく嬉しそうに見てたからどうしても気になって」


 根も葉もないことで疑われた人間は、本来焦るか、怯えるような顔をするものだと知っている。だからきっと、猫山瀬里奈もそういう反応をするとばかり思っていたのだ。

 しかし、彼女はかさねの言葉に、はあ、とため息をついて言ったのだった。


「正義感が強いのね、大馬さんって。そういうところは、嫌いじゃない。でも……犯人捜しなんかやめた方がいいと思うわ。だって、大事なのは結果でしょ?事故かそうでないかなんて、どうでもよくない?それよりも……みんなを困らせていた、あの女がいなくなったってことの方が重要だわ」

「どうでもよくないよ!」


 瀬里奈が今まで、綾をどう思っていたのかはっきりわかる発言だ。しかし、流石にこれは聞き捨てならない。


「事故ならこれで終わりじゃないかもしれない。他の人も怪我をするかもしれないんだよ?早くなんとかしないと危ないじゃん。先生がずっと探してるのに、原因が全然わからないのもおかしいし……!それに、仮に虎澤さんだけをターゲットにしたなんらかの攻撃だったとしても、だからとして肯定していいことにはならないよ。いくら困った人だったとしても、あんな大けがさせられていいなんてやっぱりおかしいって!」

「貴女も、虎澤綾には相当酷いこと書かれてたじゃない。それなのに庇うの?」

「庇ってなんかないよ。でも、これが報復だとしたらやりすぎだと思う……!虎澤さんを止めるなら、他にやり方があったんじゃないの?それこそ警察に相談するとか、先生に相談するとか……っ」

「それで止められると思う?小学生は、十二歳の子供は警察で逮捕もされないのよ?ああいうクズは、大怪我するなり死ぬなりでもしなきゃ……腐った性根は治らないんだから」

「!」


 にいい、と笑みを浮かべる瀬里奈。眼鏡の奥の瞳が、三日月型に歪む。かさねはぎょっとした。その言い方は、まるで。


「本当に、猫山さんがやったの……?」


 ほぼ、認めたも同然ではないか。

 自分が彼女を罠にかけたのだと。


「……そうね。貴女は正義の人だもの。誰かには伝えておきたかったし、丁度良かったかもね。……私が、どういう力を得て、極悪人に罰を下したのか」


 瀬里奈はスカートのポケットから、一枚のカードを取り出した。裏面のキラキラとした模様。チョコレート色の裏地に十字架の紋章。――間違いない。あさねが大好きな漫画、『魔術王』のカードではないか。そう。かさねがポケットに入れたまま忘れかけていた、『流転の魔術師』と同じ。


「貴女は確か、漫画・魔術王が大好きだったわよね。だったら、これも知ってるんじゃない?……おいで、エレキテル・マウス!」


 彼女がカードをくるりと裏返し、名前を呼んだ瞬間。ばちばちばち、とその場に電撃が走った。うそ、とかさねは目を見開く。自分達の間に出現したのは、黄色の大型ネズミのようなモンスター。赤い目をし、黄色の毛をばちばちと帯電させながら尖らせている。

 知らないはずがない。

 魔術王の物語で、とある敵キャラクターが使ってきたモンスターカードの一枚なのだから。


「な、な、なんで……漫画のモンスターが、具現化してるの?現実に?え?」


 流石に腰を抜かすしかない。これは夢か、幻か?あっけにとられるかさねに、そうではないと示すようにマウスが鳴き声を上げた。そして、ばちばちばち、と激しく毛を帯電させる。

 これは現実だ、それを認めろと言わんばかりに。


「驚いた?凄いでしょう?今朝、私の枕もとにあったの。……私もこの漫画は好きだったから、驚いたわ。しかも試しに名前呼んで念じてみたら、本当にモンスターが具現化されたんですもの。……私は理解したわ。これは、神様が選ばれた人間に渡してくれた特別な力なんだってこと」

「特別な、力?」

「そうよ。……法で裁けない悪いやつを、人間の言葉が通じないクズを罰するために神様がくれた力!行使するのに迷いなんかなかったわ。虎澤綾……あの女一人いるだけで、うちのクラスの雰囲気はどんどん悪くなる一方だったんだもの。だから命じてやったわよ、あの女の指を噛み千切ってやれって。取り返しのつかない怪我をすれば、あいつも身の程を知るでしょうからね!」

「な、な……!」


 信じられない。信じたくない。しかし、目の前のこの威圧感は。そして狂ったような彼女の言葉は、到底夢とは思えない。


「あの女は、怪我が癒えたらまた学校に来るかもしれないし……病院でもクズな書き込みを繰り返すかもしれない。否、あの女以外にもきっとゴミのような人間はいくらでもいるわ」


 熱に浮かされるような口調で、瀬里奈は続ける。


「だからね、私はこれからも……このエレキテル・マウスの力を使って罰を下そうと思うの。私の力で自由に出し入れできる。カードの精霊なんて、凶器として認定できるはずもない。そして仮にバレても私は小学生、法律で裁かれることもない!そうよ、正義を執行するのにこれ以上相応しい存在はいないわ!ね、貴女も協力して頂戴。世の中のゴミどもに辟易していたのは、大馬さんも同じでしょう?」

「ね、猫山、さん……」


 ああ、なんということだろう。

 かさねは悲しくなった。確かに、虎澤綾は問題児だった。警察や教師に相談して、簡単にどうこうできる相手ではなかったのかもしれない。しかしだからといって、こんなやり方で排除するのが正しいことなのだろうか。

 何より、瀬里奈は気づいているのか。小学生だから裁かれないなんて――その理屈は、年齢を盾にして誹謗中傷を繰り返した綾と同じであるということに。


「だ、駄目だよ……そんなのダメ!」


 大好きな魔術王のキャラクターが、こんなことに使われるなんて。どうして具現化したのかなんてわからないが、それでも思うことは一つだ。

 あまりにも悲しい。そしてどう考えても――瀬里奈がしたことが、正しいとは思えない。


「目を覚まして、猫山さん!力に溺れたら、漫画の敵キャラと同じになっちゃう!それに、年齢を盾にしていくら人を傷つけてもいいなんて……それじゃ、虎澤さんと変わらないよ!いくら悪い人相手だからって、やっていいことと悪いことはあるよ……!」


 慌てて説得しようとしたかさねに、瀬里奈は何を思ったのか。そう、と目を細めて手を挙げたのである。


「……残念だわ。じゃあ、知られてしまった以上……貴女にも消えてもらうしかないわね」

「ちょ、猫山、さ」

「エレキテル・マウス。その女の口を封じて頂戴」


 シャアアアアアアアアア!と黄色のネズミが牙をむき出しにして鳴いた。嘘、と思った次の瞬間――そいつは大地を蹴って、かさねに襲いかかってきたのである。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?