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<6・Strength>

「か、返して!カード、返してよ……私のよ!」


 運動神経でも体格でも、瀬里奈ではかさねに勝つことはできない。地面に押さえつけられて馬乗りにされた状態では、瀬里奈がかさねからカードを取り返すことは困難を極めた。

 賢い彼女ならそれがわかっているはずだ。それでも、髪や背中が土にまみれるのもいとわず、じたばたと暴れ続けている。


「私、やっと手に入れたの……何にもなかった私に、他に何の取り柄もなかった私にも選ばれた証が!世界を変える力が!それを取り上げられたら私は何もできなくなっちゃう……せっかく、悪い奴らをやっつける方法が見つかったっていうのに!」

「……猫山さん」


 彼女が何を求めてしまったのか、十分すぎるほど想像はつく。

 大人しく、教室の隅っこでクラスの状況を見ているしかできなかった少女に――この魔術王のカードは、さながら地獄に垂らされた蜘蛛の糸のように映ったのだろう。このカードさえあれば、自分の鬱屈した世界を変えられる。あの虎澤綾のような人間を排除し、優しい世界を作ることができると。

 力さえあれば。そう思ってきた人間にとって、まさにこのカードは魔法のように映ったはずだ。ましてやそれが、現代の日本の法律で立証できないような力であり――法律で裁かれることがない小学生の手に渡ってしまったなら尚更に。

 だから、かさねは。


「ありがとうね、猫山さん」

「!」

「貴女は貴女なりに……クラスを良くしてくれようとしたんでしょ?みんなを悲しませる悪いやつをやっつけようと頑張ってくれたんでしょ?……貴女がクラスのためを思ってしてくれたこと、その気持ちまで否定はしない。だから……ありがとう」


 彼女の行為を肯定するつもりはない。でもその気持ちまで否定するつもりもないのだ。

 かさねがそう告げた途端、瀬里奈は目を大きく見開き――そしてその瞳に、じわり、と涙が滲んだのが見えた。自分の気持ちを分かってもらえた――そう感じた瞬間、人は緊張がゆるむものだと知っている。


「私もね、虎澤さんのことはなんとかしなきゃと思ってたの。でも、注意してもどうにもならなくてさ。……先生たちにも相談したけど“所詮ネットのこと”ってかんじで。……先生の中にもさ、いるんだよね。ネットの世界は現実の世界じゃないんだから、気にしなくてもいいでしょ……みたいなタイプ。そんなことないよね。ネットと現実は確実に繋がってる。ネットの世界の自分だって、自分自身だもの。それが貶められて、傷つくなっていうのは無理があるよ。忘れろったって忘れられるはずないよ」


 本当は。かさねも、掲示板を見に行こうかと悩んだことがあるのだ。でも、瀬里奈に注意するためにちらっと覗いただけで断念したのである。

 世の中には、どんなに気になっても知らない方がいいこともあると。もしかさねが、自分自身の誹謗中傷を目にしてしまっていたら――立ち直ることはできなかったかもしれない。

 強がっていても、かさねだって十二歳の女の子だ。けして強いわけではないのえである。


「私は強い人間じゃないから、見ないことで誤魔化してどうにか立ってたけどさ。見ない、って選択だって本当に正しいのかわからないし。一度でも見てしまったら、怖くて覗きたくなる気持ちも想像がつくよ。猫山さんも、きっと酷いこと書かれちゃって、すごく苦しかったんでしょう?」

「……そうよ」


 ぽろり、と。仰向けたままの瀬里奈の頬を、涙が伝った。


「ただ、本を読むのが好きなだけ。一人で静かにしているのが好きなだけなのに……虎澤さんの誘いを一度断っただけで、オタクだの暗いだのって。しまいには、私がカバーをかけた本を読んでるのをいいことに、しょ、小学生なのに読んじゃいけないえっちな本を読んでるとか、根も葉もないことばっかり書いて……」

「そっか」

「掲示板、いつも目が離せなかったの。自分がまた書かれたらどうしようって、誰かにそれを信じられたらどうしようって。でも、擁護を書きこむと自演って言われるし……せ、先生に相談しても気にするな、の一点張りで。もう、ほんと、どうすればいいのかわからなくて。そ、そしたらカードが……あの力があれば、あの女を学校から追い出せるって。そうすれば、平和になるはずだって、だから……!」

「うん」


 きっと。きちんと話を聴いてくれる大人を見つけて相談できれば。いやいっそ、弁護士や警察だって視野に入れて考えても良かったのかもしれない。そういう選択肢も含めて落ち着いて考えれば、他にもやりようはあったのかもしれない。

 でも、目の前にとても簡単でバレない方法を提示された時、犯罪の誘惑から目を逸らせる人間は多くはないものだ。ましてやそれが、精神的に追い詰められた者なら尚更に。


「虎澤さんに、罪がなかったなんて私も思ってないよ。庇うつもりなんて全然ない。でもさ。……それを罰するために、自分も罪を犯していいかっていうのは、話が別だと思うんだ。たとえ法律が私達を処罰できなくても、私達自身はそれを一生背負っていかないといけないわけだから」


 かさねは真っすぐ瀬里奈の目を見て言う。


「それにね。多分、虎澤さんがいなくなっても……それだけで簡単に変わるほど、世界は優しくないんだよ」


 ぎゅっと拳を握りしめる。

 この世の中に、“こいつだけがいなくなれば世界が平和になる”なんて巨悪がどれほどあるだろうかと。本当に、この世の中はそんなシンプルにできているのかと。


「虎澤さんがいなくなったら、取り巻きの子たちがいじめの主犯になるかもしれない。あるいは、虎澤さんがいたことで大人しくしてた別の人がいじめっ子になるかもしれない。いじめはなくても、別の問題が浮上するかもしれない。……そういう人達を気に入らないからで消していったら、それって結局独裁者と同じ。最後は独りぼっちになっちゃうんだよ」


 某、猫型ロボットアニメの有名な話を聴いたことがある。気に食わない人間を、スイッチ一つで消して言った少年が、最後どれほど孤独にさいなまれることになったか。

 こいつさえいなければ。そう思って一人を消しても、別の人間が自分の前に立ちはだかる。いくら繰り返しても終わりなんてなかった――世界が、彼一人になってしまうまでは。

 独裁スイッチ。

 人の欲望は、願望は、留まることを知らない。取り返しのつかない状態になってからそれに気づいてももう遅いのだ。


「次はきっと、人を殺してしまう。そうなったらもう……人生に、世界にリセットボタンなんかないよ。私達の元にどうしてカードが来たのか、それが選ばれたってことなのかはまだわからないけど……でもこの力の使い道、もう少しゆっくり考えたっていいんじゃないかな。誰かを、自分を幸せにできる本当の使い方って言うのが何なのか……猫山さんには考える時間が必要だと私は思うよ」


 だから、とかさねはエレキテル・マウスのカードをポケットにしまう。


「これ、少しの間預かっておくね。……猫山さんが答えを出せたら、その時に返すから」

「答え、なんて出るのかしら。私……私貴女みたいに、強くなんかないのに」

「私だって強くなんかないよ。でも……私は自分が弱いってこと、ちゃんと知ってるってだけだから」

「……そう」


 瀬里奈は顔を覆って、そしてぽつりと呟いたのだった。


「確かにそれは……それこそが、本当の強さなのかもしれないわね……」




 ***




 瀬里奈はもう抵抗する気もないようだった。拘束したり、気絶させる必要もないだろう。

 彼女の元から離れると、かさねはようやく流転の魔術師のところへ向かう。血まみれになった彼は校舎の壁に背を預けて座り込んでいた。――いくら瀬里奈を説得するためとはいえ、戦ってくれた彼への労いも遅れてしまった。本当に申し訳なく思う。


「ごめんね、流転さん。戦ってくれて、本当にありがとう。け、怪我、凄く痛そう……」

「……問題ない。カードに戻って、少しばかり時間をかければ治る。さっきのエレキテル・マウスも時間をかければまた復活するだろう。それがカードの精霊というものだからな」

「そうなんだ、良かった……!」


 純粋に喜んだかさねに、流転の魔術師は複雑そうな笑みを浮かべた。


「そうだ。傷ついても、死んでもなお蘇り、延々に戦い続ける。それが我々カードの精霊のさだめ。……マスターはそのさだめから、我々をいつか解放してくれるとそう約束してくれたんだ」

「!」


 マスター。誰のことかは明白だ。蒼井星空。魔術王という作品の主人公であり、流転の魔術師の本来の使い手である。


「それって、星空さんのこと、だよね?高校生の」

「知っているのか?」

「うん。その……貴方たちカードの精霊も、星空さんも。私達の世界では、漫画のキャラクターってことになっているの。『魔術王』っていう漫画の登場人物で……」

「何……?」

「意味わかんないよね。私も全然わかんない。だから、混乱してるんだよ。どうして漫画のキャラである貴方たちが、世界に具現化したのかっていう……。しかも、流転さんだけじゃなくて、エレキテル・マウスまでこの世界に来てたわけだからさ」

「…………」


 困惑したように沈黙する流転の魔術師。どうやら、彼もあまり自分の状況を理解しているわけではなさそうだ。

 どうしたものか。そう思っていたところで、さらに爆弾が投下される。


「私達だけじゃないかもしれないわ」


 体を起こし、スカートについた土を払っている瀬里奈だ。


「……魔術王の漫画は私も読んでるから知ってる。あの世界に登場するカードだけで何万枚とあったはずよ。その一部であるとしても……カードが複数枚ばらまかれた可能性は、十分考えられると思わない?」

「なっ……」

「魔術王のカードの力は魅力的だもの。……また何か、事件が起こるかもしれないわね。そのカードを拾う人間がいる限り」


 思わず、流転の魔術師と顔を見合わせてしまう。

 自分達はひょっとしたら既に、とんでもない事件に巻き込まれてしまっているのかもしれなかった。

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