とりあえず、なんとかまだ力を残していたフロマージュに、プールの水を戻して貰う段取りはつけた。
じゃばばばば、とフロマージュが水を戻している間に(ちなみに、彼女の魔法は異空間に水を飛ばして操るというものであるらしく、吸い上げた水が特に汚れるということはないらしい)、かさねと李緒は説明を要求されることになる。主に、目の前にいる警察官に。
「ええっと、つまり……」
彼はこめかみに手を当てて、頭が痛そうな顔をしながら言う。
「朝起きたら、漫画『魔術王』のカードが枕もとにあって、そのカードの精霊とやらと意思疎通が図れるようになっていた、と。で、その力を使って犬養李緒くんは『プールの水を全部抜いちゃえばプールの授業がなくなって万々歳だ』と思った、と」
「うん」
「で、大馬かさねさんは、前にもカードを使って騒ぎを起こした人がいたので……今回もそうなんじゃないかと思って、流転の魔術師さん?のカードを持ってこっそり夜のプールに侵入してきました、と」
「そうです」
「で、正直なんで漫画の世界のカードが出現したのかもわからないし、本当に精霊が現れてしまったのかとかそういうことは何もわからないと」
「……ハイ」
どうにも、彼なりに一生懸命状況を噛み砕こうとはしているらしい。うんうん唸っていた彼は、やがてぽつりと呟いた。
「……こんなん、どうやって報告書書けばいいの」
「……スミマセン」
彼自身はもう、目の前であれこれ見てしまったので信じるしかないというのが本当のところだろう。いや、信じたくない気持ちでいっぱいだろうが。
で、一応証拠としてフロマージュと流転の魔術師の写真も撮影はしたものの。果たしてこれが、証拠としてどれくらい有効かどうかは微妙なところである。
今のご時世、現実そっくりのCGや合成なんていくらでもできるのだ。写真一枚だけで、カードの精霊たちの存在を信じて貰うのはあまりにも難しい。というか、動画があったところで所詮CGだろと言われてしまえばどうにもならない。実際に体験し、ずぶぬれになり、痛い目を見た人間だからこそ「信じるしかない」になっているのだから。まあ、それはかさね自身もさほど変わらないのだが。
「私は自分の目で見たから、君たちが嘘を言っているなんて思わないが。コレ、警察の上層部はどうひっくり返っても信じないだろう。人がわんさか死んだ『デスノート』でさえ、警察はすぐに動けなかったんだから」
某有名な死神手帳の作品を持ち出してくる彼。なかなか漫画好きであるらしい。そして、なるほどアレは良い例かもしれないなあ、なんて思うかさねである。
実際に犯行が可能だと信じていた『探偵』でさえ、死神の存在は実際に目で見るまで信じなかったのだ。人間とは、つまりそういうものである。己の目で見、怖い想いをしなければ脅威を脅威だと認識できない。そんなものいないはずだと信じていたくなる。それが、心の安寧を守るために必要な行為なのだから仕方ないのかもしれないが。
「そして信じて貰った場合、私達って多分カードを取り上げられちゃいますよね?」
かさねもしょっぱい気持ちになって言う。
「それは困ります。私はその、流転さんの力を使って何かしようなんて思ってないですけど……ただ、彼の力がないと多分、これから起きるであろうカードに纏わるトラブルに対処できません。それに、私は彼らが元の世界に戻るために手伝いたいんです。……多分それは、カードと仮契約した人間じゃないとできないことだと思うんで」
「……そうだな。実際、このカードが大量にばらまかれているとしたら大問題だ。さっさと回収するに越したことはないか」
「……」
不安そうにかさねとお巡りさんを交互に見る李緒。彼としては、やはり親に知られたくない気持ちが強いのだろう。
本当ならばここまでのことをしでかした以上、彼の親にも情報共有したいところだが――それはそれ、実際にトラブルを見ていない親を説得するのは並大抵のことではないわけで。
――手間なんだよなあ、正直。
面倒くさがりと言いたければ言え。お巡りさんの顔にもそう書いてある。かさねもきっと似たような表情をしていることだろう。
「……わかった」
悩んだ末、お巡りさんは告げる。
「申し訳ないが、私は今年の四月から交番勤務になったばかりの超新人警察官なんだ。……仲間に応援要請するのも忘れるくらいの」
「あ、自分でも気づいたんだ」
「ほっとけ!……だから私の一存で判断するのは難しい。同じ交番の先輩や、所長にまでは相談させてもらう。ただ、話をそこで止めて貰えるよう説得する。これでどうだ?……恐らく今後も似たようなトラブルは多きるんだろうし、『交番のお巡りさん』の理解と協力があった方が君も助かると思う。悪い話じゃないだろう?」
まあ、妥当なところだろう。本当はこの警察官だけで黙っていてほしかったところだが、新人だというし仕方ないところではある。
「わかりました。えっと、お巡りさんの名前は?」
「
「はい、よろしくお願いいたします。……とりあえず、それでいいよね?李緒くん」
零次と握手をしながら言えば、李緒はこくりと頷いた。
「はい……よろしくお願いいたします」
***
水を完全に戻すことに成功したところで、かさねは零次、李緒とともに
そして、待機していた所長と先輩の二人に、手間暇かけて状況を説明することになったのだった。もう面倒くさいので、かさねと李緒がカードの精霊を呼び出して実演することで無理やり納得してもらったわけだが。
「胃が痛い……」
「頭が痛い……」
「報告書どうすれば……防犯カメラ壊れてるから何もなかったことにするわけには……」
「うごごごごごごごごごごご」
中年の男性所長と、若い女性の先輩警察官がこぞって机に突っ伏して頭を悩ませているという状態。零次がそれを見て、あわわわわ、と困り果てている。
「……確かに、これはそのまま上に報告するわけにもいかんな。我々が揃って麻薬でもやっているのかと疑われそうだ。そして、下手に公にするわけにもいかん。カードの持ち主が小学生である上、こんなものがばらまかれたと知ったら最後世間は大パニックになるからな……」
大柄な交番所長は、もじゃもじゃした頭を持ち上げて呻いた。どうやら、彼らも話そのものは信じてくれたらしい。やっぱり、どんな証言より実演に勝る説得はないということのようだった。
「防犯カメラの映像も一度確認させてもらった方がいいですね」
同じく、どうにか復活してきた女性警察官が言う。
「話の内容を聞くに、既に李緒くんの姿が映りこんじゃってる可能性もあります。ていうか、かさねちゃんとうちの犬養の姿も。その証拠が残ってると、今夜のことを誤魔化すのは相当難しいですよ」
「その場合は証拠隠滅するしかないだろう。ああ、でも防犯カメラが壊れたことをどう説明するかだなあ。自然に壊れた、というのは無理があるだろうし。どう転んでも『誰かが投石してカメラを壊した』ことにするのが精々で、その場合投石した犯人を捜さないわけにもいかなくなるんだが」
「……それなんですけど」
ハイ、とかさねは手を挙げる。
「私の記憶が正しかったら、あの防犯カメラって設置されてそんなに過ぎてないのに、一回か二回壊されたことがあるんですよね。石ぶつけられて、プールサイドに落下してたことが何度か。で、そのあと修理されてたみたいなんですけど、結構その修理がずさんだったというか。……そのせいで、自然におっこちちゃった、なんてことにできません?」
「…………」
かさねの言葉に、三人の警察官は顔を見合わせる。そして、やがて零次が口を開いたのだった。
「所長、先輩。……とりあえず、落下した防犯カメラを調べさせてもらいましょう。かさねちゃんの話で誤魔化せそうだったら、もう強引にそれでいくということで」
正直なところ。警察の仕事というのは、そんな甘い理屈が通用するものではないと知っている。ドラマでは綺麗なところとか、都合の良いところばかり切り取られる傾向にあるが。
だから、彼らも誤魔化すためには相当苦労したはずだ。それでも、かさねと李緒のために色々と手を尽くしてくれたのだと後で知ることになるのである。幸い防犯カメラにはっきり李緒たちの姿が映っていなかったというのも大きいようだ。
カメラは修理不全で落下して損傷。
プールの水がなくなる事態は二度と起こらず、迷宮入り。ひとまずそういう形になったのだった。
本当の意味では何も解決していないというのが、なんとも辛いところであるのだが。