エレキテル・マウスは派手に周囲を破壊するタイプのモンスターではなかった。
そのため、かさねと流転の魔術師は戦ったものの、学校の建物や地面を派手に抉ったり抉られたりということはなかったわけである。後始末が楽だったのは非常にありがたい。
それは、プールサイドで戦ったフロマージュも同じ。プールサイドが水浸しになったが、そもそもプールなのだから多少濡れていることはなんらおかしくはない。何より水を操る精霊は、ぶち撒けられた水を回収することも難しくはなかったのだ。
改めて思う。今後は同じようにはいかないだろう、と。
例えばそれこそ――今この場で、彼と戦う羽目になった場合。今度こそ、誤魔化しきれるかどうかわからない、と。いくら獣埼町交番のお巡りさんたちが協力してくれても、多数の目撃者が現れてはどうしようもないのだから。
「来たな」
先に校舎裏で待っていた少年、卯月螢は。相変わらずの無表情で、かさねを出迎えたのだった。
「逃げる可能性や、俺の口を封じにかかる可能性も少しは考えていたが、そうしなかったか」
「ど、とういう意味!?封じるって……」
「エレキテル・マウスとの戦いについてはお前も皆に知られたくないだろう?それを知っている人間が邪魔なら消す選択もあるということだ。なんせ、お前には法に裁かれずに人を殺すことの出来る手段があるのだから」
「……っ!」
やはり、彼はこの場所でかさねが瀬里奈と戦ったことを知っている。どこからか見ていたのか、あるいはそういう能力を持つカードを持っていたのかもしれない。実際、偵察や索敵に使えそうなカードもいくつか思い当たるのは事実だ。
「そんなことするわけないじゃん!人なんか、簡単に殺せないって!ましてや……大好きな流転さんに、そんなことさせられないよ!!」
かさねは吠える。彼の言う通り、自分にはあっさり人を殺すたけの力と手段があり、法に裁かれずに誤魔化すことだってきっと可能なことだろう。
だけどそこで足を踏み外したらどうなるか、そんなもの言われずとも明白だ。
自分は大好きな魔術王という作品を、推しの手を穢したくなどない。
自分が人間であることも、けして捨てたくはない。たとえそれが、ちっぽけなプライドだとしてもだ。
「私は魔術王って漫画が大好きだし、流転の魔術師さんのことも大好きなんだから!それを、殺人の手段にするなんてこと絶対にしないし、できない!」
「……ふうん?」
螢はスッ、と目を細める。
「ならば、少しばかり不思議だな。なんでお前のもとにカードが現れたのか」
「え」
「猫山瀬里奈も、犬養李緒も、カードが手元に来てすぐに自らの私利私欲のために使った。魔術王のカードが誰の手に渡るかはランダムではあるが、一つだけはっきりしていることがある。強い願望を持つ人間のもとに引き寄せられるということ。世界を変えたい者、憎い相手がいる者、強い恐怖心から逃れたい者、どうしても手に入れたいものがある者などなど。……何故か?カードを見つけて仮契約しても、使ってもらえなければ精霊は仕事ができないからだ」
「!」
「その理屈はお前にもわかるはずだ。カードたちはみんな、元の世界に帰りたがっている。その手段を見つける過程として、やむなくこの世界の人間と契約しているわけだからな……」
「――っ!」
ぐうの音も出なかった。言われてみればその通り。瀬里奈も李緒も、カードを見つけてすぐにその力を行使している。瀬里奈は大嫌いな綾を排除するために、李緒はプールをなくすために。
いくら仮契約してもらったとて、精霊たちはマスターに呼び出してもらえなければ具現化することも叶わない存在。カードの力を信じてくれないような人間や、箪笥にしまいこんで忘れるような人間は避けるというのは自明の理だろう。
――私のところに流転さんが来たのは……私にも願いがあったから?
思わずかさねは自問自答する。
自分は何か、願うことがあっただろうか。家族にも友達にも学校にも不満はない。幸せオタクデイズを満喫していたのだ。別に特別やりたいこととか、カードの力を借りて叶えたい願いがあったなんてことは――。
「あ」
「どうした、大馬かさね」
ふん、と鼻を鳴らず螢。
「お前にもあったのだろう?カードの力を使って変えたい世界や、果たしたい欲望が。だから精霊がお前のもとに……」
「推しに会いたいなあって」
「は?」
「いや、その。自分で語るのも恥ずかしいのでございますが、わたくし魔術王のかなりのオタクでございまして。……推しが出てくる同人誌も買ってるし際どい同人小説とかも読んじゃったりしてて、推しが目の前に現れてくれないかなぁとか随分長いこと妄想してまして、それで……」
「それで?」
「それがその、願いだったのかなぁと。だから、流転さんが目の前に顕現してくれてお話してくれただけで目的は達成されちゃってると言いますか……」
「…………」
しばし、クールな少年はぽかーんとしていた。
いや、自分が彼の立場でもそうなるだろうなと思うが。だって、カードの凄まじい力とか、それを使って犯罪しようとかではなく。本当の本当に、思い当たる願望がそれしかないのだ。
推しに会いたい。触りたい。
ある意味、究極のオタク魂だし、変態もここに極まれりだというのがなんとも恥ずかしいが――。
「ぷっ」
やがて、螢がもろに吹き出した。
「あっははははははははははははははははははははははははは!ははははは、はははははははははははははははははははは、はは、ははははははははははははははははははははははははははははははっ!」
「ちょ、そこまで笑うほどのこと!?」
「い、いやだって、あんまりにも、しょうなっ……ははははははははははははははははははははっ!」
「む、むう……っ!」
悔しい。そこまでお腹抱えて笑うことないではないか。そして、ちょっとだけ思ったのだ。このお人形みたいに綺麗な少年も、こんな風に笑うことができるよかと。
――なんだよ。ツン、と済ましてるよりずっと可愛いじゃん。
いつも無表情でクール、何考えているかわからないと感じていたが。存外彼も、普通の小学生らしいところがあるのかもしれなかった。
「わ、悪かったな……オタク根性丸出しで!」
かさねがぷう、と頬をふくらませると。笑いの波がやっと去ったのか、悪かった悪かった、と言いつつ彼は肩を震わせた。
「ははははははっ……そうか、そうか。まあ、そうだな。なんだか変に納得した」
「納得てお前な……」
「お前がいじめっ子を許せない、正義感に満ちた人間なのは知っていた。男子の間でも評判だったからな。だから逆に危惧していたんだ。世界をより良くしてやろう、と情熱に燃えるタイプは往々にして……その責任感を暴走させやすいからな。それがやがて、悪意のない暴力や恐怖政治に変わっていく。Twitterで、犯罪者だと思った相手を容赦なく叩くのと同じようにな」
「それは……そうかもだけど」
実際、瀬里奈はそのタイプだったと言える。彼女は自分が迷惑だったから綾を消そうとしたのと同時に、同じだけクラスの治安を守ろうとして暴走してるしまったタイプと言える。
苛烈な正義は時として、どのような巨悪よりも脅威になりうるものだ。
このカードが、正義の味方タイプの人間に渡ればそれはそれで油断ができないという証明なのだろう。
「だが、今のところお前は……同じようなカードの持ち主が暴走したときのみ、カードの力を行使しようとしているようだ。実際、カードの精霊を倒すには同じカードの精霊の力がなければ厳しいしな。……なるほど、そういう願望ならわからなくもない」
どうやら、螢は自分の中で自己完結したらしい。ひょっとして、かさねかオタクだってことは小学生男子の間でもそこそこ有名だったりするのだろうか。一部女子には(といっても綾くらいだが)、腐女子だのキモいだのと馬鹿にされていることを知っていたが。
――うう、オタバレして恥ずかしいと思うべきか、それでも信じてもらえたからいいやと思うべきなのか……!
複雑な感情に拳を震わせていると、本題に行くぞ、と螢が居住まいを正した。
「お前の信念は理解した。その上で言う。……カードを俺に渡せ」
「は!?」
「流転の魔術師、エレキテル・マウス、フロマージュ。今お前のもとには三枚のカードがあるはず。その全てを渡してくれないか」
「……どういう意図で言ってるの、それ」
困惑するしかない。かさねが私利私欲でカードを使わないと、彼はたった今納得してくれたのではないのか。信じているのにカードを預かると言うのは理屈が通らない。
「魔術王のカードがばら撒かれたのは、最近のことじゃないんだ」
そんなかさねに、螢は静かな声で告げる。
「正確には、同じタイミングで一斉にばら撒かれたのが……世界を渡る際にズレが生じたのだと思う。お前たちはごくごく最近カードを手にしたのかもしれないが俺は違う。俺が魔術王のカードを手にしたのは……小学校一年生。六歳の夏のことだった」
彼はポケットから、一枚のカードを取り出す。そして、ひらりと表面をこちらに向けて見せた。
かさねは目を見開く。それはあまりにも有名なカードだ。なんせ、魔術王の主人公のライバルキャラクターが使うドラゴンなのだから。
ダークネス・メス・ドラゴン。
攻撃力3000、絶大な火力を誇る上級モンスターだ。
「六歳の頃俺はこのカードを手にして……同じくカードを手にした人間と遭遇することになった。引き起こす事件にもな」
螢は苦しげに眉をひそめる。
「魔術王のカードを持ち、仮の主を続けるということはつまり。すべてが終わるまで、戦いに巻き込まれ続けるということなんだよ」