「魔術王のカードについて、俺もそんなに多くのことがわかっているわけじゃない。参考文献として漫画やアニメも見たが、この世界で動いているカードと漫画のカードには多くのところで差があるしな」
ひらひらと自らの持っているカードを見せながら、螢は言う。
ダークネス・メス・ドラゴン。
攻撃力3000、守備力2500、闇属性のドラゴン族モンスター。流転の魔術師の火力を500も超える、押しも押されぬ最上級モンスターの一角だ。魔術王の世界では、このモンスターの登場率も非常に高い。主人公・蒼井星空のライバルである
流転の魔術師が自分の手元に渡っているのであれば、どこかでダークネス・メス・ドラゴンも存在するのではと思っていたが――案の定だった、というわけらしい。まさか本当に同じ小学校にそのカードを持っている人間がいるとは思っていなかったが。
――しかも、小学校一年生の時にって。
かさねはハッとする。そういえば、二年生くらいの時に、うちの学校でちょっとした事件があったのではなかっただろうか。
通称、連続神隠し事件。
男の子ばかりが何人も、帰り道で行方不明になるというのが勃発したのである。それも、低学年の、まだ小さくか弱い少年ばかり。男の子が好きな変態が誘拐しているのではと疑われたが、犯人の足取りがまったくつかめず、捜査が難航したと聞いている。
そんな事件が、発生から半月後に突然解決した。犯人は見つからなかったものの、消えた子供八人が、全て一斉に戻ってきたのである。そして帰ってきた少年たちは一様に「真っ暗な闇の中にいた」と証言し、それがますます「犯人は人間でないのでは」と世間を騒がせるに至ったのだが。
「……ひょっとして、二年生の時の神隠し事件。あれも、カードの仕業だったってこと?」
「よく覚えていたな、その通りだ」
螢はあっさりと、かさねの言葉に頷いた。
「実は、あの事件で誘拐された被害者のうちの一人が俺だ。他の生徒にあわせて『真っ暗な闇の中にいて、何も覚えてない』としらばっくれたけどな。本当は、俺だけは真相を知っている。むしろ、自分を囮にして犯人を引きずり出したというのが正しい」
「どういうこと?」
「消えた生徒たちには共通点があった。全員が、ある『秘密基地』を知っていたことだ。男子の間で、とある小さな林に作った段ボールの秘密基地が当時流行していて、そこで遊ぶ奴が多かったんだよ。大人にバレたら回収されてしまうと思って、誰もが警察にさえその存在を黙り通したんだけどな。……裏を返せば、該当する年齢の男子が一人でその秘密基地に行けば、犯人が姿を現すだろうという確信があった」
かさねはあっけにとられる。
自分と同い年で、しかも標的にされる年齢だったわけだ。彼もまだ、七歳か八歳の子供だったはずだというのに。カードを使った犯行と睨んで、大人にも頼らず一人で事件を解決したというのか。自らを囮にしてまで。
「犯人は……幼い男の子に性的欲求を覚える変態野郎だった。そいつがカードの力を使って、次々異空間の子供を拉致していたんだ」
よほど気分の悪い事件だったのだろう。螢は吐き捨てるように言う。
「だから、その男をぶちのめして、カードを回収した。その後、ダークネス・メス・ドラゴンの能力で少年たちの記憶を消して元の世界に帰したんだ。このドラゴンには二つ効果があって、そのうちの一つが記憶を消去するというものだったからな」
「記憶……あ、ひょっとして、『名前を消去する』っていう、あれ?」
「察しがいいな。さすがは魔術王オタク」
「うっさいわい」
ダークネス・メス・ドラゴンの二つの効果のうちの一つは。相手のカードの名前を『名無し』にしてしまうことである。これに何の意味があるの?と思うかもしれないが、カードバトルにおいては実は非常に有用な効果なのである。
例えば、魔術王のカードには多くのサポートカードが存在している。流転の魔術師のカードならば、主人公の蒼井星空はよく『流転復活』というトラップカードを使用する。これは、『このカードが墓地にある時、敵のダイレクトアタックを受ける際墓地から流転と名のつくモンスターを復活させる』という効果を持つ。つまり、モンスターに『流転』という名前がついているのが非常に重要なのだ。
魔術王のカードにはこのようなものが多い。“フィールドにダイナと名の付くモンスターがいる時”という条件だったり、“墓地に八景とつくモンスターが存在する時”だったり。つまり、名前を奪われてしまうとこういった効果全てが使えなくなってしまうのである。
どうやら、螢はこの名前を奪うという効果を、記憶を消す能力として応用したということらしかった。
「ダークネス・メス・ドラゴンのもう一つの効果はライフ回復……つまり治癒能力だからな。記憶を書き換え、体の傷も消せば、子供達は何の問題もなく元の生活に戻ることができたわけだ」
その物言いから、かさねは察してしまった。犯人は、男の子大好きなド変態だったと聞く。そんな男が、拉致した子供達をただ愛でるだけで済ませていたとは思えない。口にしたくもない恐ろしい暴力の数々を加えていたということなのだろう。
ならば心にも体にも傷を負った少年たちは多かったはず。螢が助けなければ、彼らはどうなってしまっていたことやら、だ。
「……あれ?」
そこで、かさねはもうひとつ思い出す。確か、戻ってきた少年のうち一人だけ負傷していた子供がいたのではなかっただろうか。
カードの力で傷が消せるのならば、そのダメージも消せていそうなものなのだが。
「八人の子供のうち、怪我してた子が一人いるとか聞いたような。……って、それひょっとして」
「俺のことだな」
「……!ちょ、あんた何し、て……」
かさねは思わずひっくり返った声を上げてしまった。だってそうだろう、螢がいきなりワイシャツのボタンを開けてきたのだから。
いくら男の子とはいえ、美少年の上半身が露わになるというのはなかなか心臓に悪い。わたわたと慌てたところで、かさねは次の瞬間別の意味でぎょっとさせられるのだった。
「あ、あんた!それ、その傷……!」
胸元から、脇腹にかけて。彼の体は傷だらけだった。
正確には、どれも完治してはいるようだ。ただ、白い肌に痛々しく、ボコボコと浮き上がった傷跡が残っているのである。
「……これ」
螢は、その傷跡のうち、臍の右側にある大きな傷跡を指さして言った。
「その時に負った傷だ。変態男とそのカードを倒す時に負った。まさか、やぶれかぶれになって包丁で刺してくるとは思ってなかったからな」
「ほ、包丁って……」
「致命傷だった。ダークネス・メス・ドラゴンの能力がなければ死んでいただろう。……ただ、このドラゴンの回復能力は俺には一番効きにくい。他の人間の傷を治す方が遥かに得意なんだ。だから、傷を完全に治すのが間に合わない状態で現世に戻ることになってしまった。……しかもあの時は、変態男の持っていたカードの力が暴走したからな。子供達を助けるだけで必死で、男とカードを回収する暇がなかったんだ」
「ということは……」
「変態男は異空間に飲まれて消えた。事件が迷宮入りになったのはそのためだ」
「…………」
言葉も出ない。かさねは彼の傷をまじまじと見た。
大きく浮き上がった傷跡から、どれほど深い傷だったのかが窺い知れる。そして、腹部の傷だけではない。心臓にほど近いところにも刺されたような傷跡があるし、他にも袈裟懸けに切りつけられたような傷も残っている。さらには、肩に近い場所や、首に近いところまで細かな傷がびっしりと。
今まで彼が、どれほど危険な目に遭っていたのか想像するに余りあるというものだ。
「ひょっとして、水泳の授業に出ないの……その傷跡を隠せないから?」
「そうだ」
こくり、と少年は頷く。
「二年生の時の事件は先生たちも知っているからな。これだけグロテスクな傷跡が残っているともなれば、さすがに配慮せざるをえなかったんだろう。こっちとしても、説明を求められたら困るから丁度良かったわけだが」
「その誘拐事件んときだけじゃない、よね?それ以外でも、カードを操る人達と戦ってきたの?一年生の時から?」
「ああ。それが、俺の使命だと思ったからだ」
螢の目に、暗い光が宿る。
「カードの精霊は何も悪くない。彼らは元の世界に戻りたいだけ、そのために必死で足掻いているだけだ。だが、それを悪用する連中は違う。俺は絶対に許さない。カードの力で欲望を満たし、人を傷つけることもいとわないクズどもを。……もう二度と、兄さんのような犠牲者を出すわけにはいかないから」
「兄さん?」
「俺の実の兄さんだ。カードの力を使ったやつの事件に巻き込まれて重傷を負った。今でも昏睡状態でベッドの上にいる」
「…………」
それで、色々察してしまった。彼がそんな傷だらけになってまで、カードによる事件を解決しようと奔走してきた理由。
それから、かさねのカードを回収しようとする理由も。
「俺が言いたいことはこれでわかっただろう、大馬かさね。……お前が悪人だとは思わない。でも、これだけはわかっている。カードを持っている人間同士は引き寄せあうんだ。俺が不自然なほどカードの事件に遭遇したのも、間違いなくこの引力のせい。カードを持っていれば、お前もいずれそうなる」
だから、と螢はやや寂しそうな顔をして、かさねに手を差し出してきたのだった。
「流転の魔術師のカードと、他二枚のカードを俺に預けろ。……お前は俺みたいな目に遭う必要はない。たかが小学生の女の子のお前に、できることはたかが知れている。これ以上……この世界に首を突っ込まない方がいい」
「う、卯月、くん……」
心からかさねを心配する声、言葉。かさねはとっさに、なんと返せばいいのかわからなくなってしまったのだった。
彼が本気で自分を心配してくれているのはわかる。そして危険から遠ざけるために、カードを回収しようとしているのも。実際、前二つの事件で、かさねがほとんど怪我をせずに済んだのは奇跡と呼んでも過言ではあるまい。流転の魔術師には、傷を治す効果なんてないのだから――彼よりも取り返しのつかない怪我をしてしまう可能性は、十分考えられるはずだ。
――でも、私は……。
危険だとわかっていても、すぐに決断することはできなかった。
だってそうだろう。ここで流転の魔術師を渡すということはつまり、過酷な運命を卯月螢一人に押し付けるということに他ならないのだから。