「うごごごごご、そんなこと言われたって、私は困るんだよお……!」
ぐったり。
かさねは図書室のテーブルに突っ伏して呻いた。
「確かに、怪我するのは嫌だし。痛いのも嫌だし。怖いのも嫌ではございますが。だからって、カードのことでトラブルが起きてるの見たら、見逃すわけにはいかないじゃん?だって、同じくカードを持ってる人じゃないと解決できないこともきっとあるだろうしさ。お巡りさんたちに頼むのも危険すぎるしさあ。そこで見て見ぬふりしたらもう私じゃないっていうか……」
「あの」
そんなかさねを、呆れた目で見る人物が一人。
「悩みは理解したけれど、どうして貴女は私の前でそれを愚痴ってるの?あと、ここは図書室なの。静かにしてほしいんだけど?」
ぱたり、と本を閉じるのは――真正面に座っている瀬里奈だった。正直なところ、この悩みを一人で抱えるのは無理だったのである。
「今だけ許してよ。丁度他に人いないんだし」
ほれ、と後ろを振り返るかさね。実際、今の図書室に人はいない。ちょっと難しい本が多いからなのか、この図書室に人が少ないのは何も珍しいことではないのだった。かさね自身、本を読むために訪れることはほとんどない。なんといっても、漫画が置いてないのと、ラノベが少ないのがよろしくない。
ラノベはもっと増やしてほしいと要望を出したことがあったが、果たして司書の先生はそれをどれくらい前向きに受け止めてくれたのやら。なかなか頭の固いおばあちゃん先生だから難しいのかもしれないが。
「正直、カードについて相談できるの、カードのこと知ってる人だけなんだもん。お父さんやお母さん、江留みたいな一般人にお話しするわけにいかないでしょ?」
「それはそうなんだけど、私、貴女にぶっ飛ばされてカード没収されてるんだけど?」
「猫山さんが同じこと繰り返さないって約束してくれるなら返すよ。あ、というかそろそろ瀬里奈ちゃんって呼んでもいい?苗字で呼ぶのあんまり得意じゃなくって」
「馴れ馴れしいわね。……まあ、好きにすればいいけど」
「やった」
彼女もかさねに思うところがあるとわかっている。でも、どんな理由であれ自分と彼女には縁が出来たのだ。せっかくならば友達になりたい、と思うのは何もおかしなことではあるまい。そして友達になったら、出来る限り下の名前で呼ばせて欲しいのだ。
年下の李緒に関しては流れで名前呼びしてしまったが、同年代の女の子は話が別である。本人がOKしてくれたなら、遠慮なく今後は名前呼びさせてもらおうと決める。
「そんなわけで相談なんだけど。瀬里奈ちゃんはさ、自分だったらどうする?……卯月君が言うこともさ、一理あるとは思うから迷ってるんだけど」
かさねの言葉に――瀬里奈は、はぁ、とため息をついて言った。
「それこそ、相談する相手を間違えてるわよ。私、貴女みたいに正義感強い人間じゃないもの。赤の他人が襲われてたって、それが何?ってかんじ。私は正義の味方になりたいなんて思わないし、思えないわ。自分と自分の身近な人間にしか興味ないもの」
「そりゃ、私だってそうだよ。目に見えないところで困ってる人、全部を助けようなんて思ってない。つーか、そんなの無理じゃん。人間、自分の手の届く範囲なんて限界があるんだから。それこそ、世界中にカードはばらまかれてるかもしれないんだよ?それ全部に対応するなんて、できるわけないじゃん」
「わかってるじゃないの。だったら。無理なことなんて諦めた方がいいわよ。貴女も卯月君もね」
目を細めて告げる瀬里奈。
「カードの精霊の力を借りれるからって、私達はあくまでそれだけの存在でしかないの。スーパーマンみたいに身体能力が上がるわけでもない。超回復力があるわけでもない。精霊との戦闘に、都合よく使い手だけ巻き込まれないなんてこともありえない。……卯月君が今日まで生きてこられたのは奇跡みたいなものだと思うわよ。同じことを貴女がやって、生き残れる保証なんかどこにもない。彼が貴女を止めるのは道理よ」
それに、と彼女は続ける。
「たまたま目についた人だけ助けて満足したいなんて、そんなの偽善で、欺瞞じゃなくて?それで本当に世界を救えたことになるの?違うでしょう」
「…………」
辛辣な物言いだが、彼女の言葉は何も間違っていない。
よく、戦隊ものや魔法少女ものでは、都合よくヒーローとヒロインの前で事件が起きるものだが。現実は、そんなうまくいくはずもないのだ。
それこそ東京に住んでるヒーローが、大阪で事件が起きてすぐに駆け付けられるはずもなし。ヒーローが間に合って助けられるのはせいぜい、東京の、自宅近くで怪人が騒ぎを起こしたケースのみだろう。そして、東京で怪人を倒しているうちに、北海道で別の怪人が暴れて人が死んでいるかもしれない。東京の怪人だけ倒せても、ヒーローの務めを果たしたことになるのか?もっと言えば、地球の裏側で事件が起きることもありうる。そういうものを放置しておいて、果たして正義の味方足り得るのか?
答えは否だ。
それくらい、かさねにだってわかっている。偽善、欺瞞。そう言われても仕方ない。
それでも自分は。
「……私、正義の味方になりたいわけじゃないよ」
かさねはペットボトルのお茶を開けて飲む。図書室でも、キャップがしめられるペットボトルと水筒はルールで持ち込みOKになっているからだ。
「自分に、そんなことまでできる力があると思ってない。それに、私は卯月君とも違う。自分を犠牲にしてまで、名前も知らない人を助けようなんて思うほど献身的にはなれない」
「じゃあなんで?」
「ちょうど、瀬里奈ちゃんが言った通りなんだよ。……手の届く範囲の人を、自分の身近な大切な人を守りたい、助けたい……それだけ。でもってさ、テレビの中のヒーローだって本当はそうなんじゃないかなって思うんだ。自分の愛する人や、大切な人だけ本当は守りたい。知らない人達全部の命が背負えるなんて思ってない。ただ……世界を守ることが、愛する人達のことを守ることに繋がるから、だからヒーローをしてるんじゃないかって」
人の腕が届く距離は、限界がある。
時々、その範囲を見誤って――あれもこれもと抱え込もうとして、腕がちぎれてしまう人がいる。かさねも十二歳だ、それくらいの現実はわかっているつもりなのだ。そしておそらく、卯月螢はもうその腕がちぎれかけている段階なのではないかということも。
だから、自分はけして無理などしない。己の身を犠牲にしていいとも思ってない。むしろ、そうであるからこそ。
「私もそうなんだよ。身近な人を守りたいだけ。そして、沖縄で死にそうになってる人は助けられなくても……獣埼町で襲われてる人は助けられるかもしれない。自分にできることがあるのにやらなかったら、多分私は一生後悔する。それだけはしたくないの。そこを見失ったらもう、私は私じゃなくなるから。……すぐ傍の事件だけ解決して満足するのが正義の味方足りえないなら……偽善者だというのなら。私は、それでいい。誰に偽善者って言われても構わない」
そうだ、とかさねは思う。
螢の話を聴いて思ったのは、カードと戦うことは恐ろしいという現実だけではない。悲しいと思ったのだ。彼は自分の兄を傷つけた奴らが許せなくて、それが半ば自暴自棄のような自己犠牲に走ってしまっているように見えたから。
放置していればきっと、螢は死んでしまう。
心の奥底で助けを求めているのはきっと彼も同じ。ほっとくことなんてできない。見捨てた結果彼が死んだら、自分は死ぬまで後悔し続けることになるだろう。
「怖くないなんて言ったら嘘になるけど。私は、手の届く範囲にいる人だけでも助けたい。できることは全部したい。……無茶なことやってる、卯月くんのことも」
かさねが決心の元告げると、瀬里奈は――まるで呆れたと言わんばかりに肩を竦めたのだった。
「まったく。……私に相談するまでもなく、貴女自身で答え出てるんじゃないの」
「あ、いやその……」
「自分の身はちゃんと護る。その上で、己の信念も守るっていうんでしょ。だったらもう、私や他の誰かが何を言っても無駄じゃないの」
「そ、それはそう、かも……?」
いや、無駄ではなかったはずだ。
きっと瀬里奈がきっちり言うべきことを言ってくれたから、そのおかげで決心が固まったのだから。
「カードを持っている人間のところに、カードの使い手は集まる傾向にある。……きっと、貴女が思っている以上に危険なことがたくさんあると思うわよ。それでもやるのね?」
「……うん」
かさねは頷く。助けたい対象は、身近な人だけではない。
自分を頼り、信じてくれた流転の魔術師、そして使い手たちにゆだねられて犯罪に加担させられているかもしれない精霊たちのこともそうなのだから。
「私は私にできること、するよ。……瀬里奈ちゃんはどうする?カード、まだ私が預かってていい?」
「……」
決断しなければいけないのは瀬里奈も同じ。彼女は暫く沈黙した。
何も知らなかった時は、カードをすぐ返してもらいたがったことだろう。でも今は違う。力を再び手に入れることは、彼女もまた戦いに巻き込まれていくことを意味するのだから。
「……私は」
再び瀬里奈が口を開くまで、やや長い時間を要したのだった。