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<22・Tyranny>

「あ、あああ、あああっ!」


 女性が尻餅をついてへたりこんでいる。その前に、重い足音と共に現れたのは――2メートル以上の背丈はあろうかという、緑色の巨大な怪物だ。

 その姿をなんと表現すればいいのだろう。

 二足歩行のカメレオンに近い外見、とでも言えばいいのか。全身をぬめぬめとした肌が覆い、その顔にはぎょろぎょろと蠢く真っ赤な一対の瞳がある。そして、口からは地面まで届こうかという、長い長い舌。れろ、れろ、れろ、と空気を嘗め回すかのように蠢く舌は、濃い紫色をしている。なんとも不健康で、気持ち悪い色だ。


「シャアアアア……」


 獲物を探すとように蠢いていた瞳が、座り込んでいた女性の姿を捕らえた。そして、次の瞬間長い舌が彼女の方へと伸びる。


「ぎゃあっ!」


 ざしゅっ、と音がして、女性の頬が血を吹いた。どうやら、怪物の舌はぬるぬるしているだけじゃなく、異常なほどザラついているらしい。ざらざらの猫の舌、をさらに悪化させたようなものだろうか、とかさねは思う。少し舐められただけで、結構な傷を負ってしまうようだ。


「痛い、痛い痛い!や、やめて、舐めないでっ!」

「シャアアア、シャアアアア、シャアアアアア!」


 まるで、変質者が今にも獲物をレイプでもしようと値踏みしているかのよう。そう思ってしまうのはカメレオンの舐め方があまりにも厭らしく感じるからだろうか。ただ、カメレオンが舐めるたび、女性から上がるのは快楽の喘ぎではなく痛みによる絶叫だ。女性の肩も、腕も、足も、腹も、額も。舐められるたび衣服が破れ、真っ赤な血を噴出させるのだから。

 そして、次の瞬間、カメレオンの舌がぐるん、と彼女の足に絡みついたのである。


「きゃああああああああああああああああああああああっ!?」


 左足を掴んで持ち上げられる女性。スカートが捲れ、下着が丸見えになることなどおかまいなし。否、そんなことを気にしている場合でさえないのだろう。カメレオンは彼女の足を掴んだまま、その体を振り回し始めたのだから。


「ああああああああああああああああああっ!痛い、痛い痛い痛い痛い痛いいいいいいいいいいいっ!助けて、誰か、誰かタスケテえええええええええええええええ!!」


 女性は絶叫している。それも当然だ。巻き付いた舌が、どんどん彼女の太ももに食い込んでいく。遠心力がかかるたび、棘が食い込むのか彼女の足はどんどん血まみれになっていくのだから。

 そして、このままでは放り投げられて大怪我をするのは必死。死に物狂いにもなろうというものである。だが。


「な、なんだよ、なんだよあれえっ!」

「ば、ば、化け物おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」

「け、警察、警察はまだっ!?」

「怖いよおおおおっ!」

「きゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!」

「いやだ、いやだあああああっ!」


 バタバタと逃げ回る人々。多くの人達が突然現れた怪物とその暴虐に、悲鳴を上げてパニックになることしかできない。何も知らずに走ってきた車が急ブレーキを上げて止まる。その車に、投げつけられた女性の体が激突する。さらに上がる悲鳴、血飛沫。――見れば、道路脇に他にも倒れている男性や女性がいるではないか。

 まさに、地獄絵図としか言いようがない。飛び出してきたものの、かさねの足もその場で凍り付いてしまったのだった。


――ひ、ひ、ひどい……っ!


 かさねは気づいていた。あの怪物の正体は――魔術王に出てくるカードの一枚、舞台怪人リザード・マンだ。舞台怪人という名前のカテゴリの一つであり、魔術王のとあるサブキャラクターが愛用するカードでもある。

 カードの精霊には、怪物だったり強面だったりする外見のモンスターも少なくはない。リザード・マンもそのうちの一つ。だが、まさかそのカードに、このような恐ろしいことをさせる人間がいようとは。

 そう、カードの精霊単体で強行に及ぶことなどない。どこか、それを操っている仮マスターがいるはずなのだ。誰かが精霊に命じて、このような暴虐をやらせているのである。


「何がしたいわけ……!?こんな、こんなこと、こんな……っ」

『力は、欲望を暴走させる、か』

「流転さん……っ」

『私には到底理解が及ばないが。こういうことをモンスターにさせて、楽しいと思う者がいたということだろう。しかも、聞こえてくる様子だと特定の人間だけ襲ってるわけではなく、完全に通り魔のような状態なのだな?……快楽殺人者。そういった人間に、カードが渡ってしまったのかもしれない』

「……っ!」


 誰でもいいから殺したい。あるいは、殺されているところを見て見たい。そんなやばい人間がこの獣埼町にいて、カードを手にしてしまったというのか。かさねはじわり、と視界が滲む。怖い、以上に悲しくてたまらなかった。自分の大好きな魔術王のカードを、こんなことに使う人がいるなんて。


「いやあああああああああああああああっ!」


 リザード・マンが今度は女子中学生二人を襲っている。さっきの女性は血まみれの状態で、停車した車の上に乗り上げる形で気を失っているようだった。まだ生きてはいるようだ。しかし、倒れている全員が酷い怪我である。早く病院に運ばなければ死んでしまうかもしれない。

 だが、この状態ではとても現場に救急車など近づけないだろう。パニックになって、逃げていく人々も押し合いへし合いになっている状態。転んでけがをしている人もいるようだ。あの怪物をなんとかしなければ、さらに被害が増えるのは目に見えている。

 しかし。


――人間の犯人も見つけないと……!どこか、近くにいるはずなんだけど……!


 サイコパスだというのなら、この様子を近くで面白がって眺めている可能性が高い。あるいは撮影しているかもしれない。問題は、この付近にはビルもあれば公園もあるということ。遮蔽物が多すぎて、そこから一人の人間を探すのはあまりにも困難だということだ。

 そして、本当の快楽殺人鬼であった場合、本人もなんらかの凶器を所持している可能性がある。相手が成人男性であった場合、たとえ素手であってもかさね単体の力で抑え込むことはできない。


「……流転さん、一つお尋ねするんだけども。……精霊と仮マスターって、どこまで離れることができるものなの?」

『カードの状態なら、どこまでも遠くに行けるだろうな。ただし、精霊を具現化した状態だと話は別だ。仮マスターがあまり遠く離れてしまうと、モンスターの具現化は解けると思う』

「具体的に、どれくらいの距離?」

『すまないが、それは実証してみないことにはなんとも。ただ、私達は魔術王という漫画のキャラクターということになっているんだったな?カードゲームをやるにあたり、モンスターがマスターから離れて不自然ではない距離……と考えるのが妥当ではないか?』

「なるほど」


 というと、精々十メートルとかそれくらいだろうか。


「あああああっ!」


 そうこうしているうちに、中学生くらいの女の子にカメレオンの舌が襲い掛かった。慌てて顔を庇う彼女の右腕を大きく舐め上げる舌。血が噴き上がり、肉が大きく抉れる。


「ぎゃああああああああ!痛いいいいいいいいいいい!」

「シャアアアアアアアアアア!」


 まるで血肉を味わうように鳴き声を上げるリザード。このままぐずぐずしているわけにはいかない。一刻も早く助けなければ。


――いいの?


 かさねはそろりそろりと隠れて近づきながら自問自答する。


――こんなたくさんの人が見ている前で、流転さんを出したらもう戻れない。私も、カードを使う人間だってことが露呈する。大騒ぎになるのは必死。それに……この敵は今までの相手とは違う。相手を殺したり、傷つけたりすることをなんとも思わないような人間が操っている。敵として認識されたら、きっと私も無事じゃすまない。





『俺が言いたいことはこれでわかっただろう、大馬かさね。……お前が悪人だとは思わない。でも、これだけはわかっている。カードを持っている人間同士は引き寄せあうんだ。俺が不自然なほどカードの事件に遭遇したのも、間違いなくこの引力のせい。カードを持っていれば、お前もいずれそうなる』




 螢の言葉が蘇る。

 自分は本当の意味で今、覚悟が問われているのだ。本物の危険に身を投じてでも、流転の魔術師たちを助けたいのか。カードを悪用する者達から人々を助けたいのか。それだけの勇気が、己にあるのかどうか。

 痛みを伴わずして、得られるものなど何もないのかもしれない。では、自分はその痛みという代償をどこまで払うことができるのか?


――わからない。私は、そこまで強い人間じゃない。だけど……!


 ここで見て見ぬフリをしたら、きっともう自分は自分ではない。意を決してかさねがポケットに手を突っ込んだ、その時だった。


「そこの化け物、止まれ!」

「!!」


 パトカーが現場に到着したのである。そして、車から複数人の男女が降りてきた。かさねは目を見開く。つい最近お世話になったばかりの、獣埼町交番のお巡りさんたちではないか。勇敢に、真っ先に銃を構えたのは鳩ヶ谷零次巡査だ。


「シャアアア……?」


 怪物の動きが止まり、警察官たちの方を振り向く。この隙を逃す手はない、とかさねはカードを引っ張りだした。


「来い、流転の魔術師!」


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