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<25・Dragon>

――くそがっ!くそくそくそくそくそくそがあああああああああ!


 健次郎は罵倒しながら走る、走る、走る。

 でっぷりと飛び出した腹が、たぷたぷと足についた贅肉が動きを邪魔する。長らくデスクワークばかりしていてなまった体が恨めしい。あのカードさえあれば、自分自身が体を鍛える必要なんてないとばかり思っていたのになんてザマだ。


――リザード・マンめ!こんな簡単にやられやがってえ!俺がいなくちゃこの世界に出てくることもできねえくせに役立たず、役立たずめ!モンスターのくせに、警察官の銃なんかでやられてんじゃねえよ!


 ああ忌々しい。

 ああいう精霊の類って、人間の物理攻撃は効かないのがデフォルトではないのか。もしくは、効いたところで大したダメージにならないとか、そういうのがお約束ではないのか。

 何でちょっと撃たれたくらいであっさり倒されているのか。

 自分はもっともっと楽しみたかったというのに。忌々しい人間どもが血まみれになり、苦しみ悶えて地面を這いつくばる様を。みっともなく命乞いをして、助けを求める様を。

 自分よりずっとずっと底辺なのだと、自分達の方がゴミなんだと証明するようなその姿を!


『いやあああああああああああああああああああああああああああ!』

『お、おばけ、おばけええ!』

『痛い、痛いよお、痛いよおっ!』

『だ、誰かあ!助けてええ!』

『うわあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!』

『怖い怖い怖い怖い!』

『き、き、きもちわるっ』

『うううう、痛い、痛い、やだ、やだぁ……っ』

『なんで、なんでこんな目に、何でええっ……』


 さっきの光景が、眼の奥に焼き付いている。

 リザードに全身を舐められた人間は、総じてとげとげした舌で血まみれになるのだ。足を舐められ、肉が切り裂かれ、骨が露出して泣き叫ぶ少女の姿を見た。股間を舐められ、激痛で悶え苦しみながら泡を吹いていたサラリーマン風の女は、股間から血と一緒に情けなく排泄物を垂れ零していた。

 それ以外にも、逃げようとして転んで顔面を打ち付け、頭から血を流している男。

 怖い怖いと泣き叫ぶばかりの足手まといの子供。

 パニックになり、人を押しのけて逃げようとする男女などなど。とにかく人間の醜さ、みっともなさ、汚さを集約したような景色を拝むことができたのである。

 酷く興奮した。

 それは、動物を殺した時の非ではない。股間がぐつぐつと煮えたぎるようになり、獣のように吠えながら撮影する手を止めることができなかった。自分がこの景色を齎したのだと、あのゴミ人間どもの命を握っているのだと思うとたまらなく嬉しかったのである。


――ああ、お前らが馬鹿にしてた俺って人間がよ!全部全部全部全部……そう、お前らの命全部をだ、この手で支配してやってんだ!ざまあみろ、ゴミ、ゴミ、ゴミどもめっ!


 なんという快感。

 なんという愉悦。

 スプラッタ映画がひときわ好きだったわけでもなければ、リョナやグロにハマる趣味がもともとあったわけでもない。血まみれなのがいいとか、そういうのとはまったくの別次元なのだ。とにかく、自分を見下しているであろう社会の人間どもが、這いずりまわって逃げる姿や命乞いをする姿に最高に“萌え”るのである。その精神的優位性が、それを実感できるこの瞬間が、どんな自慰よりも自分を興奮させ天国へと連れていってくれるのだ。

 動画を撮影し、時々写真に切り替える。ズームして、鼻血を噴出しながら倒れているサラリーマンの顔をアップにする。それから、糞尿を零しながらびくびくと痙攣している女のパンツも。

 そう、この地獄の支配者たる喜悦を、もっともっと味わいたいとばかり思っていたのに。


――あのクソガキが……!あのお巡りがっ!許さねえ、ただじゃ許さねえ!絶対ずたずたのギタギタにしてやらあ……!


 とにかく今は所定の場所まで逃げなければ。

 カードが再び使えるようになればこっちのもんだ。あの少女の顔も、警察官の顔も覚えた。顔さえわかれば、探すことも難しくはないだろう。必ず報復して、地獄を見せてやろうと心に決めていた。

 特に、あの小学生か中学生らしき娘が気に食わない。ガキのくせに、きっと自分を見下していたのだ。正義の味方を気取って、精霊の力を使ってリザード・マンを攻撃して。ああいう生意気なガキは文字通り“わからせ”てやらなければ気が済まない。

 ロリコンの趣味はないが、正当な仕返しのためならば何も問題はあるまい。アレだって生理くらいは来ているだろう。子供パンツを破って、ブチ犯して、痛い痛いと泣き喚かせてやるのも一興ではないか。

 なんならリザード・マンの力でずたずたにして、血まみれにしてからレイプしてやるのも悪くはない。傷の痛みで抵抗できなくなったところを突っ込んでやろうか。いや、この際純粋にボロ雑巾にしたあとで顔に糞尿をぶっかけてやるのも面白そうである。

 そうとも、散々滅茶苦茶にしたあとで捨ててやる。顔を踏みつけて性別もわからなくなったところで上からクソをなすりつけてやる。そして、文字通りゴミのように捨ててやるのだ。ああ、想像するだけで再び股間が熱を持ちそうだ!


――はははははははは、俺は、俺は絶対捕まらねえ!逃げ延びて、必ず仕返しをしてっ……!


 ぜえぜえと息を吐きながら、ビルのすき間を抜けて空き地に出た時だった。


「そこまでだ」

「!?」


 突然、目の前に立ちふさがった人間がいた。思わず健次郎は足を止めてしまう。


「だ、誰だてめぇ!?」


 ボブカットのさらさらとした黒髪。まるで日本人形のような顔をした子供がそこにいた。

 そういう趣味のない健次郎でさえ、ちょっと驚いたくらいの美少年。――多分少年だろうと思ったのは、彼の服装が男の子っぽかったことと、胸が平だったからなのだが。顔と、声変わりが来ていないであろう声だけでは性別が判別できなかったことだろう。

 さっきの忌々しいメスガキと同じくらいの年、となんとなく判断した。


「散々人を傷つけておいて、カードがやられたらあっさり逃げるのか。大人どころか、人間の風上にもおけないクズだな。……思った通りのルートで逃げてくれて何よりだ」


 彼は子供らしからぬ大人びた口調で、すっと自らの右手を掲げた。今度こそ健次郎は言葉を失う。

 その、十字架のような裏面の模様。紛れもなく、自分が持っているのと同じ――魔術王のカード。


「来い、ダークネス・メス・ドラゴン!」


 彼がその名を呼ぶと同時に、空気が一気に熱を持った気がした。闇色のオーラがカードから噴き出し、やがてそれは仰々しい黒龍へと姿を変える。黒曜石のように艶めく体に同じ色の大きな翼。深紅の瞳を持ったドラゴンは、男の道を塞ぐように大地に降り立ったのだった。


「て、てめえ……!」


 何故少年が空地で待ち構えていたのかは明白だった。ダークネス・メス・ドラゴンのサイズは大きい。狭い通路では身動きが取れなかったことだろう。


「ま、まさかそいつで、人間の俺を攻撃するつもりじゃねえだろうな!?ふ、ふ、ふざけてんじゃねえぞ!お、お、俺はカードの精霊がやられて丸腰なんだ。そんなの受けたら死ぬだろうが!こ、こ、この人殺しめ!が、ガキだからってざけてんじゃねえぞゴラア!」


 あまりの威圧感に、声をひっくり返らせながら叫ぶ、叫ぶ。ちらちらと辺りを気にした。ドラゴンの巻き起こす風と咆哮のせいで、周囲の音が全然聞こえない。自分が此処に来たことも、“あっち”は気づいていると思うのだが。


――そ、そうだ。できるわけねえ。そんなでかいモンスターの力を、人間に向けるなんてこと!こんな小学生のガキに、そんな決断できるはずがねえよ!


 力を使うことを割り切った自分のようなオトナとは違う。絶対に怯むし、躊躇うはずだ。とにかく、その隙を突くしかない、と男はポケットに手を突っ込んだ。そこには、護身用のサバイバルナイフが入っている。こんな小さなガキ、素手でも制圧できるだろうが――ナイフを使えば確実に仕留められるだろう。

 カードの精霊は、仮マスターの力なくして顕現できない。だから、仮マスターがやられると時間差こそあれ、元のカードへと戻ってしまうと聞いている。ならば、どれほどドラゴンが強大であろうと、この少年を殺してしまえば突破することは可能なはずだ。


「できないとでも思っているのか?」


 とにかく隙を伺わなければ。そう考える健次郎に、少年は冷たく言い放つ。


「この世の中には、死にでもしないと腐った根性を叩き直せないようなクズもいる。お前なんぞはその代表格だろう。……人を面白半分で傷つけて、それで愉悦を得るようなダニに、なんで俺が躊躇わないといけない?」

「な、なんだとっ……!」

「お前みたいな人間は、刑務所に入ったところで更生なんざしない。だったら、俺が今ここで終わらせてやる。地獄で閻魔様に根性を叩き直して貰うんだな」

「な、なななっ……!」


――ま、ま、まさか本当にやる気か!?


 後退りをする健次郎。少年の目は本気だった。まずい、と来た道を引き返そうかと考える。だが。


――だ、駄目だ。あのお巡りどもが追いかけてきてるかもしれねえ。戻ったら、そっちに捕まる!あっちだって銃持ってんだぞ……!


 前にも後ろにも進めない。パニック寸前の健次郎の前で、少年が右手を挙げた。


「人を人とも思わないゴミはここで死ね。……やれ、ダークネス・メス・ドラゴン」

「や、やめろ、やめ、やめてくれええええええええええええええ!!」


 次の瞬間。凄まじい突風が、あたりを包み込んだのだった。

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