目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

<26・Rebellion>

 巻き起こった旋風は、眼の前の黒竜が起こしたものではなかった。寸前で気づいて振り返った少年が、突然の疾風に吹き飛んでいく――顔と首をかばった両腕と脇腹から、鮮血を噴き出しながら。

 そして地面を転がって動かなくなった。黒竜が派手に吠える。主をなんとするのだ、と叫ぶように。


「は、はははは、ははははははっ!ざ、ざまぁみろやっ!」


 間に合った。

 ああ、間に合った!

 健次郎は喜びに声を上げる。


「おせぇんだよ、猿渡さるわたりィ!あ、あ、危うくこのガキにナメた真似されるところだっただろうがよ!」

「なんだよ、助けてやったのにその言い草はヨォ。お前がちゃんと所為の場所まで来ねぇから、迎えに来てやったってのニィ!」


 現れたのは、長く鋭い嘴を持った巨大な緑色の鳥。名前を『クイック・ハルバート』という。その上に乗っているのは、健次郎と違ってひょろりとした体格の中年男だ。無精髭が残る顎を撫でながら彼、猿渡克さるわたりかつがモンスターの上から飛び降りてくる。


「ギシャアアア、シャアアアア!」


 黒竜が怒ったように吠えた後、煙のように姿を消していった。健次郎は心の底から安堵する。ダークネス・メス・ドラゴンはとにかく火力が高い。猿渡のハルバートも、そして仮に無事であったとしても自分の舞台怪人リザード・マンも真っ向勝負では勝てなかったことだろう。

 ドラゴンが消えたということは、少年にそれだけの余力がなくなったということでもある。地面に伏せたままの彼はぴくりとも動かない。完全に意識を失っているようだった。


――バーカバーカ!俺には仲間がいるんだっつーの!


 知らずに自分を追い詰めた気になっていたのだから、なんと愚かな小学生だろうか。

 そう、残酷な光景を楽しみたい、安全圏から血と悲鳴のショーを観劇したい――そんな趣味を持つ人間は健次郎だけではなかったのである。動物を殺そうと侵入したとある中学校で、たまたま出くわした先客。それがこの猿渡克だったというわけだ。

 これからの目的を達成するならば、二人である方がいい。二人いればカードも二枚になり、充分すぎるほどの戦力となる。彼は健次郎にとって、初めての同胞と言っていい存在なのだった。


「このガキが!テメェも嫐り殺しにしてやるよ、オラッ!」


 健次郎はズンズンと倒れた少年に近付いていく。


「お綺麗な顔してたみたいだからよぉ、そういうガキが俺は一番嫌いだからよぉ!とにかくぐちゃぐちゃにして、ズタズタにしてやんぜ性別もわからないくらい顔を潰して耕してやる!……いや、その前にたっぷり俺と遊んでもらうかぁ。男をやる趣味はねぇが、お前なら食指も動かなくはねえな、げへへへへ!」

「本当にゲヘヘって笑うやつ初めてみたゼ。なんだよ、お前ショタなら男でもイケるクチなのカヨ?」

「尊厳を踏みにじるっつーのが気持ちいいんだよ!男が男にヤラレること以上の屈辱ってのはねーべ?なんならお前も参加するかよ猿渡ぃ?」

「おいおい、今ここでやる気か?やめとけ、追っ手が来てるんだろうガ」

「おっと、そうだったな」


 いけないいけない。興奮しすぎて忘れるところだった。ぐったりとした少年の長い髪を掴んで持ち上げる。僅かにうめき声が上がったが、彼が起き上がる気配はなかった。


「男のくせに髪伸ばして色気付きやがって!生まれてきたことを後悔させてやるぜ、ガキぃ!」


 とりあえず逃げなければいけない。

 幸い、克のモンスターの力ならば、二人を乗せて空を逃げることも可能だ。今なら警察もヘリコプターまでは出してきていないだろう。空を適当に逃げた後で陸路を使えば、そう簡単に向こうも追っては来れまい。


「猿渡、お前のクイック・ハルバートってよ、このガキ乗せて飛べるか?いざとなったら人質にもできるし、連れて行って遊ぼうぜ」


 健次郎が提案すると、やや克は渋い顔をする。


「ガキとはいえ三人乗りはやったことないナ。……ハルバートに試しに乗ってみて、大丈夫そうならってやつだナ。おい、ハルバート……」


 彼が自らの精霊に声をかけた、その時だった。




「流転の魔術師、効果発動!〝ホーリー・チェンジ〟!」




 鋭い少女の声が、飛んだ。

 まさか、と思った瞬間――クイック・ハルバートの体が目に見えて硬直する。そして大きな翼を、目の前でクロスするように伸ばして体を丸めてしまった。

 これは、と健次郎は慌てて来た道を振り返る。蒼い魔術師を引き連れた少女がそこにいた。彼女は射殺さんばかりにこちらを睨みつけ、ハルバートに魔術師の力を行使したのである。


「お、おいハルバート!動け、動けってば!は、早く俺等を逃がせ、おい!」

「な、なんだってんだコレ!?なんでハルバートが守備体制になったまま動かねえんダ!?」

「あのクソガキの魔術師の力だよ、くそがっ!」


 克と二人、ぎゃいぎゃいと喚きながら巨鳥の羽をひっぱる。しかし、ハルバートの体は守備を固めた体制のまま、ぴくりとも動く気配がない。どうやら、相手を守勢にして攻撃や逃亡を強制的に防ぐ能力というわけらしい。

 この手の力は、時間経過で解けることが多いハズ。

 問題があるとすれば、ただ一つ。


「逃がすと思うか!」


 少女の後ろから飛び出してきた、警察官。彼は真っ直ぐ、ハルバートに照準を合わせていた。

 そして、引き金が引かれる。銃声。




「ギニャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」




 大地を震わせるほどの断末魔。正確に胸と頭を撃ち抜かれた巨鳥は、血を噴水のように吹き上げながら倒れていった。


「そ、そんな、馬鹿ナ……」


 呆然としたように呟く克。馬鹿な、と言いたいのはこちらだ。


「ど、どうするんだよ猿渡!い、移動手段のハルバートまでやられちまって……ど、ど、どうするんだよおいいいいい!」

「んだよ、元はと言えばお前がヘマこいて、リザードマンがやられるまで暴れるからいけねぇんだろうガヨ!」

「んだとゴラっ!」


 腹立たしい、腹立たしい、腹立たしい!

 だが、今は克に掴みかかっている場合じゃない。モンスターが倒れたと見るや否や、今度は警察官がこちらに銃口を向けてくるではないか。

 日本の警察官は、ルールで雁字搦めにされていると聞く。得体のしれないモンスター相手ならいざ知らず、人間相手にそう簡単に引き金は引けないはずだ。実際、こちらに銃を向ける警察官はまだと年若く、その瞳からは迷いが消せていないように思われた。


「そこの二人、動くな!大人しくしろ!」


 勇ましく命令してくる警察官。さっき正確にハルバートを撃ち抜いたことといい、かなり銃の腕前はいいようだ。だが。


――もう何発も撃ったはず……残る弾数もそう多くはねえだろ!


 それに、どれほど優秀な腕があっても撃てなければなんの意味もない。健次郎は少年の首を掴んで、体の前面に押し出した。さながら、盾にするかのように。


「やってみろやクソお巡り!このガキが蜂の巣になってもいいならよぉ!」

「なっ」

「や、やめて!卯月くんを離して!」


 慌てる警察官に、驚いた様子の少女。知り合いだと気づいたのだろう、警察官が小声で話すのが聞こえる。


「知り合いなのか、彼?」

「う、うん。卯月螢くん。同じ小学校の子……まさかここに来てるなんて」


――なるほど、お前、ウヅキホタルっていうのか。女みたいな名前だな。


 精霊の力は失ったが、こちらには人質がいる。完全に不利になったわけではない。そう考えれば、少しだけ落ち着いてもくるというものだ。

 そうだ、復讐してやるのだ。自分を馬鹿にしたやつらに、見下したやつらに、そして自分の楽しみを邪魔したやつらに!


「助けてほしいかあ?え?このお仲間を助けてほしいかよ、ええ?」


 健次郎は少年の体を揺らして笑う。


「条件次第で開放してやってもいいぜぇ?そうだな、俺と猿渡を見逃すのは当然だが……メスガキ、お前が全裸でサル踊りするってのはどうだぁ!?」

「は!?」

「お前みたいな生意気なガキが大嫌いなんだよ俺は!自分は正義の味方みたいな顔しやがってよぉ!俺等の楽しみを邪魔して、選ばれた人間みたいにしゃしゃり出てきてよぉ!そういう奴は滅茶苦茶にしてやりたくなるんだよぉ!!」

「……っ!」


 露骨なほどの悪意に晒され、少女の顔が歪む。しかし。


「待ってよ……楽しみって、なに?」


 問いかけられたのは、まったく別のことだった。


「楽しみって……楽しいから、カードの精霊にみんなを襲わせたってこと?なんで!?」

「はぁ?」


 この状況で気になるのはそれなのか、と少しばかり呆れてしまう。全裸になれと命じられま羞恥心よりそちらが勝るのか、と。あるいは年頃の少女らしい危機感もないのだろうか。裸になれと言われて、それだけで済むはずもないというのに。


「楽しいに決まってるだろ?俺を馬鹿にした奴らがズタズタになって苦しむところが見られるんだから!」

「獣埼町の人達が、貴方に何かしたってこと?」

「ああ、したね!俺が小学生の時からずーっとそうだ。人がちょっとブサイクだから、チビだからって馬鹿にしやがって!ひそひそひそひそ、悪口言われまくるムカつく日々!だから俺は自分が奪われた尊厳を奪い返してやるんだよ!その権利が俺にはあるんだ!そうすりゃ俺は、もう底辺の人間じゃないって証明できるんだからな!」

「な、な……」


 啞然とした表情になる少女。信じられない、とその喉からか細い声が漏れた。


「……町のそのへんを歩いてる人が、貴方を直接虐めた人なの?違うでしょ?馬鹿されたから、馬鹿にする権利があるの?苛められたのは辛かったかもしれないけど、だからって……無関係の人を、可哀想な精霊の力を使って傷つける権利が貴方にあるの?そんなわけないじゃん!」

「んだとぉ!?」

「最低だ!あんたはただ……子供の頃のコンプレックス拗らせて、八つ当たりしてるだけじゃん!本当に強いものに立ち向かう勇気もなく、自分を変える度胸もなく、弱い者いじめして憂さ晴らししてるだけじゃんか!」


 隣の警官がやや慌てた顔をするのも厭わず、彼女は健次郎を睨みつけた。


「そんなの……あんたが大嫌いないじめっ子の奴らと何が違うの!?」

「――っ!」


 ぶちぶちぶち、とこめかみで血管が切れるような音がした。

 なんなのだこいつは。状況をわかっているのか。人質を取られて脅されてる状況で、よく挑発するようなことが言えたものだ。


「煽ってるのか、テメェ……!」


 裸に剝いて遊んでやったら解放してやろうか、なんて少しばかり思っていたがヤメだ。


「そんなに先に死にてえのか、あぁ!?」

「違う、挑発なんかしてない!あんたが自分で変わらない限り、世界なんて変わらないって言いたいだけ!正しい努力をしなきゃ、一生幸せになんか……っ!」

「俺のどこが変わる必要があるってんだ!変わらなきゃいけねえのは俺じゃなくて、このゴミみてえな世界の方だろうがよ!」

「お、おい羊谷!」


 焦ったような克の声。しかし、今はそれさえどうでも良かった。

 この生意気なガキの口を切り裂いてやらなきゃ気がすまない。殺してやる。自分を、大人を馬鹿にするこのクズのような子供をズタズタにして、身の程を思い知らせてやらなければ許せない!


「死ねや、ぼけがっ!」


 気絶した少年は後回しだ。怒りのまま彼の体を地面に投げ捨て、ナイフを抜いて少女に襲いかかろうとした――その刹那。




「……この時を待っていた。再び降臨せよ、ダークネス・メス・ドラゴン」




 低く唸るような声。

 背中に、覚えのある威圧感。


――嘘だろ。


 馬鹿な。怪我をして気絶していたのではなかったのか。一度引っ込めたドラゴンをもう一度召喚するなんて、そんな真似できるはずが。


「裁け」


 健次郎最後に見たのは、怒りに燃える黒竜を背に立つ――卯月螢の姿。


「“ルナティック・フレア”!」


 そして自身の眼前に迫る、真っ黒な火球の攻撃であったのだ。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?