「いない……なんだったんだ、あいつ」
「もしかして誰かと話してたの? 知り合い、はいないよね?」
「ああ、知らないやつだ。いきなり話しかけてきた」
「え。事案じゃん、ヤバい人かも」
ノゾミは怪訝そうに眉を寄せたが、すぐに気を取り直したように笑顔を浮かべ、手に持った服たちをアレンの前に掲げた。
「ま、どっか行ったならいっか。それよりもアレン、見てよこれ! アレンのために選んだんだよ!」
「ノゾミが選んでくれたのか。どれどれ……」
「うん。アレンはどっちが好き?」
ノゾミが両の手に抱えるもの——
右手には、ふわふわのギャザーフリルが特徴の、可愛らしい白のワンピース。
左手には、紺のリボンがあしらわれた、黒色を基調としたいわゆるゴスロリ。
シルエットは似通っていたが趣向としては似て非なる二着を前に、アレンは思わず店内であることを忘れ、大声を出していた。
「……って、どっちも女物だろうが!!」
もはや審議も不要なほどに女物だった。どちらもアレンの中にある選択肢からは前提として除外されるような品だ。
「こんなの着れるか! せっかくのノゾミセレクションだが拒否させてもらう!」
「ええーっ? でも今のアレンは女の子じゃんか」
「心は男の子なんだよ……!!」
アレンのプライドにかけて、このようなフリフリの服を着るわけにはいかない。男としての沽券に関わる。もう幼女になってしまったから手遅れかもしれなくとも。
「これなんて、アレンが着たら真っ白な天使みたいですっごく似合うと思うの。ね? 一回だけ着てみない?」
「着てみない。なにが天使だ、俺はそういうガラじゃないんだってば」
「じゃあこっちは? 黒だよ黒。ほら、男の子って黒好きじゃない?」
「色の問題じゃないっての」
左手に持つゴスロリ服をひらひらさせ、アピールしてくるノゾミ。対し、アレンはため息をつくほかなかった。
白でも黒でも関係ない。そもそもスカートが無理だ。こんなフリフリでスースーとした非合理的極まるフォルムの衣服を身に着けようものなら、足元の違和感でエイムに集中できなくなること請け合いだろう。
具体的には銃の命中率が30%低下する致命的なデバフ状態になる。
「うぅーん……どっちもダメかぁ。ゲーマーならやっぱり虹色の方がよかったのかな? そういうデバイスってみんな1680万色に光ってるし。ないかな、ゲーミング防具」
「そんな服があってたまるか。いや、仮にあっても着ないぞ俺は」
「じゃあ嫌いなの? そういうデバイス」
「好きだけどさぁ! だから色の問題じゃないんだよ、性別の問題だ!」
「あ、虹色に光ってるのは好きなんだ……」
頑なに拒否するアレンに対し、それでもノゾミは負けじと熱意を露わに顔を寄せる。
「でも大丈夫、昨今の社会は寛容だから! 心が男性でも可愛い服を着ていいんだよ!」
「そりゃあ結構なことだけど! 周囲がどうとかじゃなくって、俺が着たくないんだよっ」
「そんなぁー! 奢り! 奢りでいいから、なけなしのPPで奢ってあげるからぁ!」
「どこから来るんだよその熱量は! いらないっての、ノゾミが自分で着ればいいだろ!?」
「アレンに着せたいんだってばー!!」
気付けばヒートアップし、店内で言い合うふたり。NPCの店員に迷惑客を注意するような機能はなかった。
ぐいぐいと
「もういいよっ、防具が必要っていうんならこれにする」
「えっ、なにそれ。そんな隣にあった棚からテキトーに取った服なんて……」
「さっき声をかけてきた胡散臭いやつに勧められた品だ」
「ええー!? ダメだってそんな、ロリコン疑惑のある事案者のオススメは! ヘンタイセレクションだよ!」
「ノゾミセレクションよりマシなんだよ。ちょうど羽織るものが欲しかったし、これなら動くのにも邪魔にならない」
「事案者に負けた……っ!」
幸いポーションを買って残ったPPで購入可能な価格だった。アレンはさっさと購入し、早速
可愛げのある服ではないためノゾミは少々残念そうだったが、なにかに気が付いたかのように「あっ」と声を上げた。
「そうだ。いくら銃がボーナスウェポンといっても、いざって時のために盾のひとつくらいは持っておいた方がいいよね。身を守れるように」
「盾? つってもな、俺もうこれ買ってPP無いし」
襟をひらひらさせ、アレンは買ったばかりの上着を見せつける。
「大丈夫、わたしがあげるよ。ほら」
ノゾミはインベントリから、美しいレリーフの施された、雪のような白銀の盾を取り出した。
今のアレンの体格であれば、半身をそのまま覆い隠せるくらいの立派な盾だ。ボーナスウェポンの類ではないようだが、安い品ではないだろう。
「あ、あげるって。こんな高そうなのおいそれと受け取れないっての。これこそノゾミが自分で使えばいいだろ?」
「いやあ、わたしは剣をにぎるので精一杯だから。片手で使えるような力も技術もないし……実は、元々友達にあげる予定だったんだけど、必要じゃなくなっちゃって。よかったらアレンが使ってよ」
なんでもなさそうにノゾミは笑い、ぐいと盾を押し付ける。アレンは困惑しながらも、そうされれば取り落とさぬよう受け取るほかなかった。
「……ホントにいいのか? でも俺も、盾を構えながら銃撃つわけじゃないだろうし、使うかわかんないぞ」
「いいよぉ、それで。まあお守りみたいなものだと思っててよ」
「そこまで言うんなら……わかったよ。ありがとう」
「どういたしまして」
誰かのための銀の盾をインベントリにしまい、ふたりは店を出る。
昼下がりの町はより活気を増し、天高く輝く太陽もぎらぎらとした日差しで地をにらむ。しかし暑くはなく、ゲームの世界だからか、気温はいつだって快適だった。
「これで準備も整ったかな。さ、次の場所に行くよー!」
「次? 行き先は決まってるのか」
「うん。お待ちかね、バベルだよ!」
街路に立ち、斜め上を指差すノゾミ。そこには、町の外から見たときよりも幾分大きさを増した、雲まで届くような藍色の塔が遠くでそびえている。
「あの塔か、ようやく説明してくれるんだな。あれはなんなんだ?」
「なに、って訊かれると、実際のところはわかんないんだけど。多くの
「モンスターが出るってことか?」
「そうそう。塔の頂上を解放すれば、みんな元の世界に戻れる……なんて話はあるけれど、保証はない。でも明らかに意味ありげだし、アーカディアで一番大きなギルド、〈解放騎士団〉は頂上に向かって攻略を進めてくれてるの」
「なるほど、上を目指して最前線で戦ってる人たちもいて、それ以外の人間は下層で狩りをしているわけだ」
バベルに向かいながらも、入る前に概要をつかむ。
騎士団なるギルドに所属する者にとっては、そこは現実世界への回帰を目指す戦場。そしてほとんどの
街の中にそんな狩場があるのだから、モンスターを求めてわざわざ郊外の森に出向く必要はない。
アレンは、自身の転移した森に、ノゾミ以外の
「話では、バベルは全部で百層あるの。入口は広間になってて安全なんだけど、そこから上は一層ずつダンジョンになってて……」
「百層? 気が遠くなる数字だな。今はどのくらい攻略が進んでるんだ?」
「えーと、確かこの前で69層だったかな? 70層はボス部屋だから、慎重になってるみたい」
「結構進んでるなぁおい! もう後半戦もいいとこじゃねえか!」
件の塔は既に七割近くが攻略済みのようだった。
転移が始まってから半年も経過しているのだ。攻略もある程度は進む。
(なんか……やっぱ俺は、ずいぶんと出遅れたみたいだな)
アレンは街を歩きつつも、どこか疎外感のようなものを覚える。
複雑な街でも、すれ違う人々の足取りに迷いはない。買い出しにでも行く途中なのか、それともバベルで狩りをした帰りか。もしくはどこかに遊びに行くのか、昼食を摂りに行くところなのか。
各々の生活が、そこには既に確立されていて。どういうわけか最初期より半年遅れでやってきたアレンは、後からついていくので精一杯だ。
(でもノゾミが言ってた通り、これはこれでいいことなのかもな?)
ゲームの世界に閉じ込められる、なんて奇想天外な出来事の中でも、人は慣れてしまえる。
〈解放騎士団〉という集まりによって、バベルの攻略も進んでいる。
今さらアレンがなにかせずとも、
ならば、それでいいではないか。
遅れてやってきた自分が張り切る必要はない。そうアレンは思うことにした。
そう、むしろ、ゲームの世界を楽しむくらいの気持ちでいるべきだ。なにせ当初の目的は息抜きをすること。
(いっそアクシデントを、楽しむような心意気で——)
ゲームの世界。それはある意味で、現実よりも自由な世界だ。
そしてプロゲーマーを辞めた今、毎日のように練習や試合に追われることもない。
寝食を忘れて何時間も射撃場でエイムを鍛え、チームで
そんな過酷で、苦しいばかりの日々を送る必要は、もうどこにもないのだから。
「アレンっ!!」
「わ——!?」
バベルに向け、この迷路じみた町では珍しくもない細い裏通りを行く途中。突如アレンはノゾミに手を引かれてバランスを崩し、思考を取り落とす。
「ノ、ノゾミ……!? むぐっ」
「ごめんアレン、ちょっと静かにしてて……!」