ほとんど地面にもつれ込むような形で、通りに積まれた樽の裏にふたりして倒れる。
いきなりなんのつもりかと抗議しようとしたアレンだったが、その前に体を押し付けられ、言論の自由を封殺された。
「——、〜〜〜っ!」
抵抗してもがくたび、より密着するよう力を強められる。柔らかな感触と暖かな体温、それとかすかな甘い香り。
突然のことだっただけにアレンは混乱した。
混乱した——が、熾烈な銃撃戦のさなかでも味方の指示・報告を聞き逃さないのと同じように、あるいは敵の一挙一動を見逃さないのと同じように、アレンの耳はその音を捉えた。
(……足音? 通りの先から——二人組?)
情動とは別の部分。『鷹の眼』が機能する。
ふたつの足音がやってくる。音が近づくとともにノゾミの体がこわばり、緊張するのをアレンは感じ取った。
(こいつらから身を隠したかったのか? だが……一体どうやって、ノゾミは俺より早く気が付いたんだ?)
俯瞰する視野はアレンの特権だ。だがその眼を以ってしても、ノゾミより先にやって来る足音の存在には気が付けなかった。
密着したまま、アレンは疑問について黙考する。
そうしていると、現れた二人組は間近にまで迫ってきていた。だがここは死角、ふたりは会話に夢中で周囲に気を払うような様子もない。
何事もなければまず気付かれまい。
そもそもなぜノゾミは身を隠そうとしているのか、それも併せてアレンは考える。
しかし——すれ違いざまに聞こえた男たちの会話が耳に入ると、すべての思考は消し飛んだ。
「——ったく、こうも街中をしらみつぶしってのは無理があるぜ、ただでさえ迷路みたいに複雑な町だってのに。マグナさんの命令に異を唱えるつもりはないけどよぉ」
マグナさん。耳に入ったその単語に、アレンはビクリと反応する。
「マグ——っ、もごごっ」
「しーっ! し~~~……!」
思わず物陰から出てしまいかけたところで、ものすごく必死なノゾミに無理やり引き留められた。
静かにしろ、のジェスチャー。あまりの剣幕にアレンは物音を出さないよううなずく。
だが脳内は疑問符に埋め尽くされている。新たに降って湧いた謎は、先のノゾミに対する疑問など消し飛ばしてしまった。
なにせ、マグナと言えば……アレンのチームメイトだった男。大敗を喫した決勝戦でもともに戦った、チーム〈デタミネーション〉の一員。
『紅蓮』の異名を持つ、ベテランの
(まさか……本人なのか?)
——そんなはずはない。
アレンは自身の思考を否定する。マグナも根っからのFPSプレイヤー、MMORPGであるアーカディアなどやらないはず。
では、偶然同じ名前の
「……なぁ、なんか今変な音しなかったか?」
「あ? 気のせいだろ。それかネズミ」
「見たことねーよ、アーカディアでネズミなんて。それより、さっきの話題だが——」
体はじっとしたまま、頭の中だけは忙しなく思考が駆け巡る。その間に幸い、二人組はアレンたちに気付かないまま離れていく。
「——お前も思わねえか? ノゾミとかいうガキひとりのためにこうも連日駆り出されるなんて、たまったもんじゃねえってよぉ」
「そう言うなよ、最近はなんでか騎士団の締め付けも緩くなった。動きやすくなってよかったじゃねえか」
「はッ、〈サンダーソニア〉があるだろうが。結局おれたちゃ日陰者だ。せっかくの自由なゲーム世界だってのに」
「だったらやっぱり見つけるしかねえだろ、ノゾミって女を。マグナさんが言うには、そいつさえ手に入れば戦争を始められるんだからよ。そうなれば〈解放騎士団〉も〈サンダーソニア〉もまとめて叩き潰してやる」
「ひゅう、そりゃあ胸が躍るハナシだ。混沌期を思い出すぜ」
「そういやお前はその頃から転移してたんだっけか。つーことは、あの『クラウン』も——」
その間際に、さらなる謎を残しながら——
アレンたちのことなど露知らず、男たちは軽口を叩き合いながら歩き去った。
すると、ふたりきりの裏通りを沈黙が包む。アレンたちはしばらく、声を出すこともなくそのままでいたが、
「……さすがに、もう大丈夫かな?」
やがてノゾミはアレンから身を離し、立ち上がった。
「ノゾミ! 今のやつら、なんでノゾミのこと……」
アレンもすぐに立ち上がり、先の一幕について問いただそうとする。
訊きたいことは山ほどあった。
どうやって彼らの接近に気が付いたのか? なぜ身を隠したのか? 彼らは何者なのか? マグナとはアレンの知る男と同一人物なのか?
どうして、ノゾミが狙われているのか?
『クラウン』とは一体なんなのか?
「さあ行こ、アレン。バベルはすぐそこだよ」
ノゾミはなにひとつとして答えようとはせず、儚げに微笑む。柔らかな表情のその向こうに、アレンは優しい拒絶を見た気がした。
「ノゾミ……」
「ごめんね。あと少しだけ、待ってほしい……最後になったら、全部、話すから」
通りの出口に向かって振り返り、ノゾミはアレンに背を向ける。堪えきれず顔に出てしまう感情を隠すように。
左右の建物の屋根によって大部分を隠された空には、それでもあまりに巨大な塔の姿が窺える。
ふたりは再びそこへ向けて歩き始めた。
先と違い会話はない。陰の中を無言で進む。
沈黙はどことなく、関係の破綻をアレンに予期させたのだった。
*
町の中心。そこにそびえる塔のふもとにたどり着いた時、アレンはその巨大さに思わず口を開けて呆けた。
「すごい高さだな。てっぺんに上る頃には高山病にかかるんじゃないか?」
「アーカディアにそんなのないよぉ。……たぶん」
「多分かよ」
少なくとも表面上は、ノゾミは店を見て回った時の溌剌さを取り戻しているようだった。
ほの暗いバベルの入口へ、ふたりは並んで歩いていく。
元の世界、現実へと帰還を果たすための戦場の最前線——
あるいは日々の糧を得るための狩場。
「なんか、思ったより盛り上がってるな」
「ここはまだモンスターの出ない広間だからね。便宜上、第0層なんて呼ばれてるけど」
中は窓もないのに、奇妙にも周囲を見通せるくらいの明るさは担保されていた。
円形の広間。弧を描く壁に沿うような形で、ポーション等のアイテムから、軽食、ワッフルのようなお菓子まで売っている出店がいくつも並び、それを利用する者や、関係なくそこいらで突っ立っては仲間と談笑に興じる者たちが多く見受けられる。
「出店の店員は
「うん、そう。個人間でPPのやり取りをしてる。ここじゃ食品衛生法もないからね、ケッコーいい商売みたいだよ」
「今なんか怖いこと言わなかったか?」
だが、同じ
これも一種のロールプレイなのかもしれない、そうアレンは思う。
どうあれ、やはり、ここでも
アレンも数カ月かすれば、ここの面々に馴染むのだろうか?
そうするべきなのだろうか?
「中心のゲートから各層に飛べるから、早速行こう。えーと、今モンスターが残ってるのは、確か15層からだったっけ……」
広間の中心には、大きめのドアくらいのサイズをした、石で組んだオブジェのような枠組みが鎮座していた。
周囲に階段はない。上の層へ行くには、この『ゲート』を介して転移する必要があった。
アレンの手を引き、ゲートに向かって先導するノゾミ。
そこへちょうど——ゲートの内側から淡い光があふれたかと思うと、そこから男女の二人組が姿を現した。
「——ん? ノゾミ君じゃないか。久しぶりだ」
金髪で背の高い、落ち着いた雰囲気の男性。彼は目の前のノゾミを見ると、爽やかに微笑んで挨拶をした。
「あっ、カフカさん……こんにちは」
「あれ以来だね。元気そうでなによりだ」
カフカと呼ばれたその金髪の男性の頭上には、『Kavka』というID表示が浮かんでいる。
ノゾミとは顔なじみらしい。
「リカさんも、ご無沙汰してます」
「……ええ。お久しぶりです」
隣に立つ女性には、『Rica』の表示。ノゾミへの挨拶にどこかとっつきにくい印象を覗かせる彼女は、冷たさを帯びたような眼差しと、ゲーム世界らしい鮮やかな桃色のショートカットの髪が目を引く。
なんだかノゾミの方も気まずそうな印象をアレンは受けた。
(どういう関係なんだ?)
疑問に感じていると、カフカとリカの方も、やや訝しむようにアレンへ視線を寄こしてくる。
疑問と言えば、ふたりの方が感じていることだろう。
「子ども?」
アレンの幼顔を見つめ、リカがぽつりと独り言のようにこぼす。
そう、今のアレンは子ども。それも金髪碧眼幼女というアーカディアでも相当に珍しい容姿をしている。
ふむ、とカフカは、アレンとノゾミを交互に見る。
「……君の子か?」
「違います……!!」
「そんなわけあるかっ!」
声を合わせ、反射的に否定するふたり。
「はっはっは、冗談さ」
「初対面で言うジョークじゃないぞ……だいたい、ゲームの中で子どもができるかよ」
「そうだね、まあできないだろう。しかしながら、君は〈サンダーソニア〉の転移者孤児院で見た顔でもない」
カフカはふっと笑みを消し、目線を合わせるように地面に片膝をつく。
アレンの碧眼に、カラスのような黒い