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第10話 『赫焉たる炎』


(——喫緊の対処が必要な個体が左右に一体ずつ。次いで前方。迂回する個体は引き寄せてから倒す。残弾は四発、再装填リロードにかかる手間を計算に入れて動く必要がある。遮蔽物は特にないが、敵の動きは鈍い。距離感に注意しながら立ち回る。声をかけてからノゾミは少し落ち着いた。後ろでカフカとリカが交戦中、背後は任せるしかない)


 瞬きほどの時間、無数の思考が並列に展開される。

 ふつうの人間にしてみれば驚異的な射撃精度。しかしアレンは、そのエイム力をプロの中では『中の下』と自評した。

 けれど、国内大会で二位を取るチームに実力の低い選手などいない。だからアレンには、また別の得手があった。

 要するに競技者としてのアレンの真価とは、エイム力ではなく。


「——リロード」


 波のように襲いかかるスラプルへ的確に銃弾を浴びせ、弾倉が空になると、アレンはそう口に出しながら再装填を念じる。同時に親指でレバーを抑え、逆の手で勢いよく銃身を折る。

 キンッ、キン、キキン——

 硬い石の床に落ち、散らばる薬莢たちの合奏。アレンはその音を意識の片隅で聞き届けながら、手の中に現れた弾薬を、指を使って順繰りに薬室へと滑り込ませる。

 装填完了。射撃を再開する。


(いけるか……!?)


 アレンの奮闘は事実大したものだった。怒涛のようなスラプルたちに対し、凡百の転移者プレイヤーであれば三秒と経たず呑み込まれてしまっただろう。

 それを、ノゾミをかばいながら、ぎりぎりのところでしのぎ続けている。

 だが惜しむらくはアレンの手にあるのがリボルバー銃だったことだ。これがもし『オバスト』で扱い慣れたサブマシンガンや、より継戦能力のあるアサルトライフルであればアレンだけで掃討できていただろう。


「アレンっ!」


 リロードの隙に距離を詰めてきたスラプルの一匹が、ぴょんと跳ねてアレンにぶつかってくる。

 シンプルな体当たり。辛うじて避けようとしたアレンだったが、ぷるぷるが肘の当たりにかする。


「————ッ」


 それだけで、腕に硫酸をかけられたかのような痛みが走る。皮膚が焼けただれるのに等しい苦痛。

 実際の肌には傷ひとつなく、代わりにアレンの視界の端でHPを示すバーが三割ほど削れる。ゲームオーバーへ近づく。それは断崖のふちに向けて少しずつ歩いていくのと同じだけの意味を持っている。

 アレンは即座に反撃の一発をお見舞いし、体当たりしてきたスラプルを倒す。そして次に、その後方からのっそりと近寄ってくるもう一匹にも続いて発砲。

 だが、ここで初めてアレンは銃弾たまを外した。


「く……! ラグで外した!」

「アーカディアに通信遅延ラグはないと思うよぉ!?」


 律儀に返すノゾミ。照準が定まらなかったのは腕の痛みに邪魔をされたのだろうが、FPSゲーマーは皆例外なく、自分が弾を当てられなかった時はラグのせいにするという悪癖を持っている。


(まずい……このままじゃジリ貧だ! やっぱり一か八かでもユニークスキルに賭けてみるか!?)


 まだ抵抗はできる。弾薬は無尽蔵だ。しかし『鷹の眼』はこの状況に対し、いずれ形勢は不利な形で崩壊すると結論を出している。

 打開するために手を打つのなら、早い段階でなければならない。

 伸るか反るか。アレンが意を決し、熱と光、それと風を秘めた火球をその手に顕そうとした時。


「よくここまで耐えてくれた、あとはオレに任せてくれ」

「……カフカ!」


 隣に、切りそろえた金の髪を揺らし、アーカディア随一の規模を持つギルドの長が立っていた。

 手には西洋剣。一見するとノゾミのボーナスウェポンにも似たシンプルな意匠のようで、よくよく窺えばサメの歯を思わせるぎざぎざとした刃がついた異様な刀身。

 それを肩越しに構える。そして、


「いくぞ、耳鳴りの時間だ。『燎原之火ワイルドファイア』」


 震えるような音が、重く、そして連続して響く。

 火を吹いていた。カフカの剣が——その細密な刃が、まるでチェーンソーめいて刀身の先を回転している。同時にそこからチェンオイルを吐出するように、ちろちろとした炎が漏れ出ているのだ。


(これが……カフカのユニークスキル!)


 そばに立っているだけで感じる熱気。駆動する異形の刃。

 弾かれたように振り返ってみれば、既にアレンの後ろにいたスラプルたちは殲滅されており、リカが駆け寄ってくるのが見えた。


「はッ!」


 一閃、カフカが剣を振るう。すると刃は一層赤く燃え、火炎を放射する。

 アレンが前を向き直した時、そこは火の海だった。


「——」


 思わず息を呑む。炎そのものよりは、光や爆風を引き起こす作用の方が大きいアレンのユニークスキルとは違い、それはただすべてを燃やしつくすための力だった。

 逃げ場はなく、なにより逃走行為など許さない。業火はスラプルたちを呆気なく呑み込み、消滅させた。


「ふう、なんとかなったな。転移したてのステータスでよく耐えてくれた、アレン君には驚かされてばかりだ。ノゾミ君も無事か?」

「は、はい。アレンが守ってくれたので、ダメージはほとんどないです」

「カフカ……いや、驚いたのはこっちだよ。ワイルドファイア? 凄まじいユニークスキルだな、お前のは。助かった」


 カフカがその剣の駆動を止めると、炎も自然と鎮火する。

 焼け跡にスラプルの姿はない。さらに周囲の壁や床がスライドし、元の地形に戻った。罠を脱したということだろう。


「欠点はあるさ、あれはSPの消費が激しくてね。レベル63にもなるっていうのに、未だに連続して使えるのは二度が限界だ。そして、ここに来る前のリカ君との狩りで一度使用していたから、SPを回復する手間があった」

「そうなのか? それにしたって驚異的な力だと思うけど……ていうかカフカのレベル、63もあるのかよ。騎士団のトップはやっぱりすごいんだな」

「ええ、カフカさんは誰よりもお強い方です。強力無比なユニークスキルに、きっとレベルもこのアーカディアで最高の値。あなたが優れた選手だったことはよく知っていますが、この世界でならカフカさんを上回る転移者プレイヤーはいません」


 カフカの隣で足を止めたリカは、まるで我が事のように、薄い胸を張って誇る。

 そしてこう付け加えた。


「なにせ、混沌期を治めたのはワタシたち〈解放騎士団〉。それが叶ったのは、『クラウン』を手にしたカフカさんのお力によるもの。アーカディアの今の落ち着きがあるのは、カフカさんのおかげなんですから」


——クラウン。

 その単語は、路地ですれ違ったあの男たちも述べていた。

 耳についたその単語を、アレンは今一度、舌の上で吟味する。


「クラウン……それってなんなんだ?」


 問うてみると、リカが答えようとする。だがその前にカフカが言った。


「天の恵み——そう表現するのは、やはり的はずれなのだろうね。ゲームの世界に、神もなにもあったものではないのだから」

「恵み?」

「詳しいことはわからない……アーカディアはそんなことばかりだ。だが、あれは確かに現れた。このオレの前に」


 懐かしむように目を細める。それはどこか、この廊下の暗闇の中にあって、ひどく眩しいものを見つめるようでもあった。


「混沌期の昔話さ。アーカディアの初期は、三つのギルドによる抗争が起きていた。バベルの頂上を目指すオレたち〈解放騎士団〉と、アーカディアへの永住を願い、そのために攻略ギルドであるオレたちを襲う〈ニューワールド〉。それから、法律も警察もないのをいいことに、無法を働く〈無彩行雲むさいこううん〉」

「三つのギルド……三つ巴の形になってたわけだ。大きな争いだったのか?」

「ああ。一般人も巻き込む凄惨な戦いが続いた。そして〈無彩行雲〉との抗争——同時期に〈ニューワールド〉とも交戦があり、騎士団は疲弊していた。そんな誰もが膝を折るような劣勢の中だった。『あれ』が姿を現したのは」


『あれ』。クラウン。

 カフカの声色にはどこか狂おしい感情が込められている。

 アレンはより核心的な問いを投げかけずにはいられなかった。


「繰り返すが、それはなんなんだ? それがあれば、どうなるんだ?」

「ゲーム的に言えば、凄まじいバフをもたらすアイテムだ。……ああ、最初からこう言えばよかったのか。『クラウン』とは要するに装備できるアイテムの一種で、ステータスの向上といったいくつかの効果を得られる。一定時間経てば消えてしまったが」


 バフとは主に一時的な能力向上を指すゲーム用語だ。対義語はデバフで、こちらは低下を指す。

 そのクラウンがあったからこそ、カフカ率いる〈解放騎士団〉は激しい抗争に勝利することができた。そしてその功名がさらに人を呼び、騎士団は名実ともにアーカディアで最大規模のギルドへと成ったのだ。

 アレンはそんな大変な時期を経ることなく、平穏な今日のアーカディアに転移した。森でノゾミに言われた、出遅れてむしろ幸運だったというのはそういうことだ。

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