「なるほど、『クラウン』でパワーアップしたわけだ。だけどそれってどういう理由で現れたんだ?」
「……その肝心の部分がわからないのさ。だから再現性がない。後にも先にも、アーカディアに『クラウン』が現れたのは混沌期の一度きりだ」
「そっか。そんなすごいアイテムがずっと使えたら、バベルの攻略もきっと捗るのにな」
そう答えると、カフカは目を丸くする。それから気の利いた諧謔でも耳にしたかのようにくつくつと笑った。
「な、なんだよ。面白いこと言ったか? 俺」
「いや、アレン君の言う通りだ。『クラウン』を何度も出現させられれば、バベルの登頂も楽になる。だが——」
「ですがワタシたちは、『クラウン』がなくともバベルを攻略してみせます」
言葉を継ぐようにして言い切ったリカの頬には、わずかな微笑が浮かぶ。彼女にとって〈解放騎士団〉やその団長であるカフカは誇りなのだろう。
アーカディアの平穏を築き、
確かに名誉に値する。素直にアレンはそう思った。
「あァ、リカ君の言う通りだ。オレは必ず目的を成し遂げ、皆の願いを果たす。ユニークスキルの話からずいぶんと脱線してしまったが、なに、深く考えることはない。最前線のことはオレたち騎士団に任せてくれればいい」
それはおそらく、自身のユニークスキルの性能に肩を落としていたアレンへの慰めもあったのだろう。
今やアーカディアは〈解放騎士団〉によって安定している。強力なユニークスキルなどなくとも、低層で狩りをして生活をするのは可能。
そう改めてカフカは伝えたのだ。
「そうだな……頼りになるよ、今日だって助けてもらったし。いきなり見た目が幼女になったうえ、ゲームの世界に閉じ込められたなんて聞いた時はどうなることかと思ったが。おかげさまでなんとかやっていけそうだ」
「はは、それならよかった。まあ最悪、生活苦になれば〈サンダーソニア〉というギルドをあたってみるといい。あそこはシンダーという女性がギルドマスターでね、混沌期の頃から身寄りのない転移孤児を受け入れている。本当に幼女のフリをすれば入れてもらえるだろう」
「そんな情けないことはしないぞ? 絶対にしないぞ?」
なにが悲しくて、十七の男が子どもの、それも女の子のフリをしなければならないのか。
アレンはそんな日が来ないことを心から祈った。
「では今度こそ、バベルを出て解散しよう。思わぬハプニングもあったが、終わってみればこれもいい経験さ」
「わかった。改めてありがとう、カフカ。リカも」
「わ、わたしからも……! ありがとうございましたっ」
「これもオレたちのすべきことだ、気にしないでくれ」
「ええ、カフカさんの言う通りです」
口数の乏しい彼女らしく、リカはその一言だけで終わろうとした——ように見えたが、もう一言付け加えた。
ノゾミの目を見て、やっぱり少し逸らして。
「……臆病なあなたですが、消えてしまわないでよかった」
「リカさん……!」
「言っておきますけど、皮肉とかじゃないですよ。本心ですから」
「はいっ。わかってます」
「なら、いいです」
ぷいとそっぽを向く。遺跡の暗闇も、その耳がわずかに赤らんでいるのを隠しきることはできていなかった。
(なんだ……心から憎まれてるってわけじゃないんだな。よかった)
第0層の広間では、ノゾミのことを『厚かましい女』と面罵したリカ。だが嫌うばかりでもないらしい。
むしろそこには、かつて確かにあった和やかな空気の残滓のようなものがある。
過去になにがあったのかはわからないが、ノゾミとリカの関係は、どうにもならないくらいにこじれているというわけではなさそうだ。
顔には出さず、アレンは密やかな安心を胸に抱くのだった。
*
「じゃ、オレたちはここで。軽く街の見回りだけしていこうと思ってね。……ああそうだ、アレン君、今夜の宿はもう決まっているのか?」
陽は地平線に半ば隠れ、街は夕暮れに染まっていた。
バベルの前で別れかけたところで、カフカは思い出したかのようにアレンへそう問いかけてくる。
「宿? あー、考えてなかったな。やっぱりこういうのって、ゲーム世界らしく宿屋を使うのが定番な感じ?」
「その通り、宿屋は町中どこにでもある。が、料金やサービスはピンキリだ。未だに宿屋の情報が
「そうなのか。どうしたものかな……」
「あっ。それならアレン、わたしと同じ宿にしたら? あそこは安いのにご飯にお風呂までついてて、すごくお得なんだよ」
ノゾミの思わぬ提案。それに対しアレンが勘案するより先に、「へえ」とカフカがうなずいた。
「そんなところがあるのか。参考までに、どの辺りか訊いてもいいかな?」
「はい。『黄金の鉄の塊亭』という宿で、東の……ギルドハウスからは遠いですけど、レコードから北に向かって、突き当たりを東にずぅっと行けば着くと思います」
「ああ、そっちの方か。確かにギルドハウスからは遠いな、団員には勧められない。でも有益な情報だ、ありがとうノゾミ君」
「いえ、そんなっ。改めて今日はありがとうございました。わたしは騎士団に泥を塗ったようなものなのに……」
「はは、なにを言うかと思えば。君はなにも悪いことはしていない、むしろ感謝しているのはオレの方だよ」
「感謝? ですか?」
カフカがノゾミに感謝とは? アレンは疑問に思った。
だがノゾミ自身、理由がわかっていないらしく、その表情にありありと疑問符を浮かべて小首をかしげている。
「ああ、感謝だとも。君の貢献は忘れない。アレン君の宿問題も解決したようだし、今度こそこれでお別れだ」
「は、はい」
まだノゾミはピンと来ていないようだったが、カフカは会話を打ち切った。もとより多忙の身だ。
「世話になったよ。色々と」
「またなにかあれば、いつでもギルドハウスを訪ねてくれ。町の北側だ」
礼はバベルの中で済ませている。アレンは去っていくカフカに軽く手を振り、ノゾミは改めてぺこりと腰を折った。
リカもまた、礼儀正しい挙措で会釈を返すと、カフカの背に半歩後ろから続いていく。
途端にアレンとノゾミはふたりきりになった。戻った、と言うべきか。
夕暮れのこの時間に狩りを始める者もいないのか、バベルから出てくる者はちらほらいても、バベルに向かってくる者はいない。
人の行き交いが途切れたタイミングで、アレンは小さな声で、しかし聞き逃しはしないであろう声量で言った。
「ノゾミは〈解放騎士団〉なのか?」
そういった類の問いを予期していたのか。わずかに驚いた顔をしたものの、すぐにノゾミは諦めたような表情になって答えた。
「『元』、を忘れないでほしいかな。一応は」
バベルでのアレンの言葉を真似したのは、せめてもの抵抗か。しかし彼女が語る元騎士団の事実は、アレンの想像の域を出なかった。
騎士団にいたのなら、団長であるカフカ、副団長であるリカと知り合いだったのもうなずける。おそらくはなんらかの理由でギルドを辞め、その際にリカと軋轢が生まれた。あるいは順序が逆で、リカとの軋轢が原因でギルドを辞めた。
そのどちらかではないかとアレンは踏んでいた。
アレンの真剣な眼差しに、やがてノゾミは小さく微笑む。
「わかってる。言うよ、全部。もう、アレンもひとりで過ごしていけるだろうしね」
ノゾミの口ぶりはやはり、別れを予感させた。
アレンは真意を問おうとする。だが、言葉を舌に乗せようとしたところで、ノゾミはくるりと踵を返す。
「ついてきて」
「どこへ?」
「ちょっと歩くだけだから」
答えになっていない。歩き出したノゾミに、しかしアレンはついていくほかなかった。
ノゾミの向かう先は、バベルの裏手にある、小さく区切られた草地だった。川がそばに流れているらしく、せせらぎの音が人気のないその空間にどこか寂しく響いている。
「……ここは?」
「ここにはね、石碑があるの。……うん、よかった、この時間なら団員の人も来てないね」
「石碑?」
ノゾミの視線の先。白いアイリスの花がぽつぽつと咲く草地の中心に、ちょうどアナログレコードに似た、奇妙な石の円盤が屹立していた。
ヘンテコなオブジェ、それがアレンの第一印象。
ゆっくりとした足取りでノゾミはオブジェへ歩み寄る。花を踏まないようにして。
アレンもまた、それに倣った。
「なにか、文字が……」
近くに来てみれば、円盤の表面にはつらつらと、なんらかの文字が刻まれているようだった。
解読を試みるアレン。
上から順に——
(イー、エル、ディー……
まだまだ先は続く。何行にもわたって、何百もの名がその円盤の表面に連ねられている。
そう、名前だ。これは——アレンの視界の左上に浮かぶ、Arenの表記、それからノゾミの頭上に浮かんでいるNozomiの表記と同じ。
「ゲームオーバーレコード。みんなはこの石碑をそう呼んでる」
「ゲームオーバー……レコード?」
「そう。ここには、アーカディアでゲームオーバーになった
言いながら、つつ、とノゾミの指先がレコードの刻銘に触れる。
そこにはちょうど、
ゲームオーバー。アーカディアにおいて、HPがゼロになった者。
それはつまり、どういうことか? いかなる事実を示すのか?
第15層のトラップ、モンスターハウスの中でアレンが覚えた疑問。本能的に考えることを忌避し、ノゾミの庇護という使命感で塗りつぶした事柄。
「わたしね、人を殺したの」