感情を抑え込んだ声色で、ノゾミは目を合わせないままにそう切り出した。
「人を……殺した? 殺したって……」
「わたしのせいでリーザちゃんはゲームオーバーになった。それは、死んじゃったってことなんだよ」
死。
ゲームオーバーとは端的に、死だ。
アーカディアでもHPがゼロになれば人は消える。モンスターと同じように、消えて無くなって、死んでしまう。
「死ん……だ」
そんな当然のことは、最初から気付いておくべきだったのかもしれない。
だが、アレンは落雷に打たれたのに等しいだけの衝撃を受けていた。
だって——ここはゲームの世界だ。ゲームの中でHPがゼロになって、それで死ぬだなんて思わない。
アレンは本当にただ、息抜きとして、最新のゲームを起動しただけなのだから。
「〈解放騎士団〉で知り合って以来、歳も近いリーザちゃんとはすぐに仲良くなった。それからはずっといっしょにいた。〈無彩行雲〉との抗争で、わたしを庇ったリーザちゃんがゲームオーバーになる時まで」
「庇った? それじゃあ、殺したのはその抗争相手だろ。ノゾミのせいでゲームオーバーになったわけじゃないはずだ!」
「直接的にはね。でも、結局は同じことなんだよ。あの時、わたしは身がすくんで動けなかった。そして、リーザちゃんがゲームオーバーになって、わたしだけが生き残った……だったらわたしが原因を生んだのは事実だから」
反射的に否定の言葉を吐こうとしたアレンだったが、ノゾミの横顔から覗く沈痛な面持ちに言葉が喉を出てこない。
もう何度も、そうやって自分を責めてきたのだろう。
「それが三か月前。わたしはそれから、今さらみたいに怖くなった。抗争が終わっても、今度はバベルでモンスターと戦わなくちゃいけない。戦って、戦って、戦って……いつかわたしも死ぬんじゃないか、って……!」
自らの身を抱いて震えるノゾミ。顔は蒼白で、今にも
罪の告白をするような悲愴さに、アレンはひどく納得がいった。
装備屋を出て受け取った白銀の盾。結局アレンはバベルでも使わずじまいだったが、あれは元々、友達に渡そうとしていたものだとノゾミは言っていた。
その友達がリーザであり、彼女がゲームオーバーとなったことで、あの盾はノゾミのインベントリに残り続けた。
そして友人を亡くしたことで、恐怖から騎士団を辞めた。逃げ出したのだ。リカと気まずかったのもうなずける。
だが、ノゾミを襲う不幸はそれだけではなかった。
「だけど、逃げ出した罰なのかな。最近は妙な人たちに狙われてて」
「……昼間の二人組か?」
「鋭いね、アレン。〈エカルラート〉っていうギルドみたい。何人いるかもわからない、けどわたしを狙ってる。正確にはわたしのユニークスキルを」
ノゾミのユニークスキル——
『ゴーストエコー』。
ウォールハックに等しい能力。壁の向こうを見通すそのスキルを見て、アレンはチート同然だと評した。
「〈エカルラート〉……」
「混沌期の〈ニューワールド〉や〈無彩行雲〉と同じ。人を傷つけることを厭わない、危険なギルド。実際、ふたつのギルドの残党みたいな人も〈エカルラート〉にはいるんじゃないかな」
「アーカディアは平和になったんじゃなかったのか? 今だってカフカたちは見回りをしてくれてるだろ」
「それでも、迷路みたいなこの町のすべてを巡るのは不可能だよ。もちろんおおむねは平和になった、でも危険なギルドやプレイヤーキラーがいなくなったわけじゃないの」
「そんな……」
平穏に見える町。しかしそれはあくまで、表層的なものだったのだろうか?
裏には人を襲うような連中がいて、こうしてゲームオーバーレコードに
「待て。〈エカルラート〉がノゾミを狙ってるのは、『ゴーストエコー』を使わせるためだよな。じゃあ、それを利用してやろうとしてるのは」
「バベルの攻略——だったらよかったんだけどね。間違いなく抗争を起こすつもりだよ、〈解放騎士団〉と」
アレンは言葉を失った。混沌期の再来、という言葉が脳裏をよぎる。
今日転移したばかりのアレンだが、アーカディア初期の抗争の激しさは先ほど聞いたばかりだ。そのせいで出た、死者の名前も。
「騎士団も最近はバベル攻略に舵を切ってる。元々そっちが本分だからね。だから段々、〈エカルラート〉の動きも表立ってきて、つい昨日も付きまとわれたの。ゴーストエコーの力でなんとか逃げきれたけど、こんなのはいつまでも続かない」
「き……騎士団に相談は?」
「できないよ。騎士団を抜けたわたしにそんな筋合いはない……本当はリーザちゃんがいなくなった穴を埋めなきゃいけなかったのに、わが身可愛さで逃げ出したんだもん。これ以上迷惑かけられないよ」
アレンの中のノゾミの印象は、出会った時から快活で、無駄なくらいに元気な、よく笑う少女といったところだった。
だが、今のノゾミは見る影もないほど思い詰めた表情をしていた。目を伏せ眉を寄せ、夕焼けから顔を背けるようにしてうつむく彼女の立ち姿はまさに進退窮まっている。初めからすべて空元気だったのだと気づくには十分過ぎた。
この弱々しい少女が、抗争の火種なのだ。あるいは爆弾。
とても信じがたい話だが、アレンには信じられる根拠がある。ノゾミへの信頼といった感情的なものとは別に、客観的な理由として。
(『ゴーストエコー』なら……確かに)
あれは、それほどのユニークスキルだ。
プロとして絶対にそんなことはしないが、もし現役時代のアレンがウォールハックのチートを使用して〈ゼロクオリア〉との決勝戦に臨んでいれば、勝敗は見事に逆転していたことだろう。
ウォールハックとは、チートとは、それだけ公平性の天秤を完膚なきまでに破壊するモノなのだ。
アーカディア最大規模のギルドである騎士団が相手でも、勝機は生まれる。
「わたしといれば、アレンもいずれ巻き込まれる……ああ、わたしってほんとに考えなしだ。自分から勧めておいてなんだけど、宿もやっぱり別の場所を教えるね。これ以上いっしょにいるのは危ないから」
「それでノゾミはどうするんだよ。騎士団も頼れず、〈エカルラート〉に狙われ続けるのか? どうにかしなきゃいけないだろ!」
いつまでも続かない、と言ったのはノゾミだ。いずれ〈エカルラート〉に捕まれば火種に火が点く。
混沌期が再来する。結果的に、騎士団にも累が及ぶ。そのことがわからないノゾミではない。
だがノゾミは答えず、円盤の方を向いた。ゲームオーバーレコードはただそこで静かに屹立し、死者の名を人知れず連ねている。
その態度、思い詰めた様子から、ある発想がふとアレンの頭に浮かぶ。
いささか論理の飛躍した突飛な発想。しかし浮かんでしまえば、本人に真偽を問い質すしかない。
アレンは知らず呼吸を止めていたことに気付き、一度息を吸って、それから問うた。
「ノゾミ、お前。……死のうとしてるのか?」
「————っ」
ノゾミを、ひいてはアーカディアすべてを囲う危機の根幹は、彼女のユニークスキル。『ゴーストエコー』だ。
なら、その持ち主がいなくなれば。
ノゾミが消えて、このゲームオーバーレコードにそのIDが刻まれれば——
抗争が起こることもない。〈エカルラート〉は、『ゴーストエコー』を手中に収める機会を永遠に失う。
「いや、違う。死のうとしたんだな? 今朝!」
「ア、アレン……」
「初めからあの森に、死ぬつもりでノゾミは踏み込んだ。違うか?」
棚上げしていた疑問。
なぜノゾミは、たった独りで、あんななにもない郊外の森にいたのか?
モンスターを狩るならバベルでいい。わざわざ町から遠い森に入る意味などない。だから単なる狩りではない。
レッドティラノにやられるか、それとも木で首でも吊るつもりだったのか。どうあれ死のうとしてあの森に入って、たまたま転移したアレンと出会った。
それが今朝の出来事の真相だ。
「どうなんだ、ノゾミ」
ノゾミは肯定も否定も口にしない。だがその態度そのものが、押し殺すような沈黙が、なにより雄弁に肯定を示してしまう。
「ノゾミ——」
「だって、そうするしかない! このユニークスキルがあるだけで狙われて、いつか騎士団に迷惑をかける。わたしはいちゃいけないの! あの時、リーザちゃんじゃなくてわたしが死んでればよかったのに……!」
堤防が決壊するように、ノゾミは感情をあふれさせる。そして、ゲームオーバーレコードに体重をあずけるようにしながらその場に崩れ落ちた。
草の地面にぽつぽつと水滴が落ちる。しゃくりあげるたびに震える背中。
たびたび、事故や災害の生存者が、生きていることそれ自体に罪悪感を覚えることがある。ノゾミの悲痛な吐露には、リーザという抗争で亡くした少女へのそれが表れているようにアレンは思った。
「アレンを案内したのは、最後にいいことがしたかっただけ。ちっぽけな自分でも、ちょっとは人の役に立てたんだって、そう思って死にたかっただけなの」
自分のためなのだと、そうノゾミは力のない声で言う。
まるで懺悔か告解だ。死を前にこうべを垂れ、彼女は罪を嘆いている。
(……バカかよ、俺は!)
抗争が起こるか、彼女が死ぬか。ふたつにひとつ。
ここまで人間の精神を追い詰めるような世界が、ただのゲームであるはずがない。
——ここは現実と同じだ。
息抜き? ゲームの世界を楽しむ?
心得違いにもほどがある。アレンは自身の無知と楽観を呪った。
こんなにも悩み苦しむ人間がいて、ゲームオーバーと名を挿げ替えただけの死が横溢する。アーカディアは気楽なゲーム世界ではなく、ゲームに近しいだけの現実だ。