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第13話 『ここにいる理由』


「これは、だけど全部、わたしが逃げたせい。学校から逃げてアーカディアに来て、ここでも騎士団から逃げた。リカさんに愛想を尽かされるのも当然だよ」

「怖いのは当たり前だ。こんな世界で、戦うことを選択できなくとも無理はない。むしろ大多数はそのはずだ」


 アレンは屈みこみ、半ば虚脱した様子のノゾミに声をかける。

 危険の小さな低階層でならともかく。騎士団に入り、最前線でバベルを攻略するのは文字通り死と隣り合わせだ。恐れがあって当然と言える。

 だが、ノゾミはふるふると首を振った。


「それでも、わたしは戦わなくちゃいけなかった。リーザちゃんのぶんまで。……なのに、今日も突然のトラップに慌てふためいて、なんの役にも立てなかった。ほとほと自分が嫌になるよ」


 涙を拭い、気丈に笑ってみせる。無理やりに作っているのが子どもにでもわかるような、無力感に満ちた笑顔。


「あの時、守ってくれてありがとう。アレンは強いね。わたしなんかとは違って……」

「守ったなんて言ったって、結局はカフカに助けてもらったじゃないか」

「立ち向かえるのがすごいんだよ。わたしには、それすらできなかった。わかったでしょ? わたしはもうこのアーカディアにいちゃいけない。消えなきゃ、いけないの」


 消える——ゲームオーバーになる。死ぬ。この奇妙な円盤にIDを刻む。

 抗争を未然に防ぐため、ノゾミはそうしなければならないと言う。


(……震えながら言ったって、説得力ないだろ)


 涙ぐんだ目も、青白い顔色も、頬を引きつらせるようにして作る笑みも、そして怯えるような震えも。

 アレンには、ノゾミがとてもその結末を受け入れているようには見えなかった。


「騎士団に助けを求められないのなら——俺を頼ってくれればいい。俺は転移したばかりで、カフカみたいにすごいユニークスキルもない。だけど、俺はアレンだ。〈デタミネーション〉のアレンだ!」


 本当はもう、そんな名前のチームはなくなってしまったけれど。

 夢を失ったこの体には、銃を撃つ技術だけが残された。ならば、それを以ってノゾミを守る。

 守れるはずだ。『鷹の眼』にかけて!


「そんな迷惑かけられない。わたし、なんにも返せないもの」

「だったらこれが恩返しだ。今日一日の恩を、ノゾミを守ることで返す」

「全然釣り合ってないよぉ。それにさっきも言ったでしょ? あれは自分のため。わたしはちっぽけな自己満足のために、アレンを利用したんだよ」

「だとしても、俺は助けられた」


 常識的なことから、アイテムや装備、それに日々の糧を得るために必要となるバベルについての知識。

 ノゾミがいなければ、アレンはなにも知らないままだった。そもそも森を出て町に着くだけで今日一日を終えていたかもしれない。


「ノゾミがなんと言おうとも、俺はノゾミが優しいやつだって信じる。ノゾミが危機に瀕しているなら、今度は俺がその助けになりたい」

「な——っ、なによそれ。アレンは相手がどれだけ危険なギルドなのかわかってないの。死ぬかもしれないんだよ!?」

「俺は死なない。ノゾミのことも死なせない」


 潤む瞳がアレンを捉える。アレンは涙の向こうに、氾濫するような恐れと、そこに混じる一抹の期待を見た気がした。


「そんなこと、できるの?」

「できるさ。だって——」


 アレンはノゾミに向けて笑いかけながら、運命を分けたあの決勝戦を思い出す。あの、血も凍るような怪物の射撃を。


「——この世界に、俺を倒したフランボワーズはいないからな。あの化け物さえいないなら、怖いものなんてない」

「……それってなんだか、鬼の居ぬ間に洗濯っていうか。ちょっぴり情けなくない?」

「はは、そうかもな」


〈ゼロクオリア〉は国内大会優勝、それによって世界大会に挑む権利を得ている。今頃はよりハードな練習にチーム一丸となって取り組んでいることだろう。当然ながらメンバーの誰にも、アーカディアのようなMMOゲームをプレイするような暇はない。

 よって、このアーカディアに〈ゼロクオリア〉のメンバーがいる可能性は、皆無だ。


「でもほんとのことだ。〈ゼロクオリア〉さえいなければ、実質俺たちが優勝だ! 国内最強だぞっ。〈エカルラート〉だかなんだか知らないが、俺が負けるかよ」

「それって別の……オーバーストライク? とかいうゲームの話じゃない。もう、適当言って」


 くすりと、呆れたように笑いを漏らす。

 諦めたような笑顔ではなく、無理やり作ったようなものでもなく、この場所へ来て初めてノゾミが浮かべた純粋な笑み。

 それから彼女はおずおずとアレンの顔を窺う。その目に浮かぶのは、控えめながら先ほどよりも強く輝く期待の色だ。


「……いいの? わたしなんか無視して、ここで楽しく過ごすことだってできるんだよ? その方がずっと楽で、争いを避けて過ごせるのに」

「ノゾミのこと知らんぷりして楽しくなんて過ごせるか。大体難しく考えすぎなんだよ。ノゾミは生きたいんじゃないのか?」

「わたし、は」


 わずかな逡巡。そののちに、身を乗り出し、強く言った。


「生きていたい。ほんとは死にたくない! まだ、死にたくないよぉ……!」


 再び感情があふれ出る。頬を伝う大粒の涙を、平坦フラットな地平の彼方へと沈みゆく夕陽が橙色の光できらびやかに照らす。

 本心では生きたいに決まっていた。最初からノゾミは、恐怖心から騎士団を抜けたのだ。なのにその後、騎士団を抗争に巻き込んでしまうことに耐えられず、生きることを諦めようとした。

 その自己犠牲が優しさでなくて、なんだと言うのか。


「死にたくない。でも、こんな世界で誰かに利用されて、人殺しに加担するのも絶対に嫌! お願い、助けてアレン……!」

「——ああ、助ける。ノゾミのことは俺が守る」


 この報われぬ少女を助けるために、自分は今ここにいる。夢を失い、半年の時を遅れたうえ、幼い少女の見た目にまでなってしまったアレンは、ついに遂げるべき自らの使命を悟った。

 手を差し出す。するとノゾミは一瞬だけ戸惑ったような表情を見せたが、涙を袖で拭い、その手を取った。

 アレンは自身も立ち上がりながら、ノゾミの腕を軽く引っ張る。今のアレンの小さな体ではノゾミを動かすほどの力を発揮することはできなかったが、意を酌んだノゾミが自ら立ち上がってくれた。

 互いに立つと、さっきまでは同じ高さにあった視線がずれる。身長差のせいでアレンが見上げる形になる。

 ふっ、とノゾミは、涙の跡が残ったままの頬を緩ませた。


「こんなにちっちゃいのに、こんなに頼もしい。おかしいね」

「……ちっちゃいは余計だ。こっちだって本意じゃない」

「わかってるよぉ。拗ねないで」

「拗ねてないし。現実だったら俺の方が身長高いんだからな、そこんとこわかってくれよ」

「へえー? 現実だと結構がっしりした体格だったりするの?」

「まあ……そう……だな、うん。屈強で背も高いし、筋肉も……こう、かなりムキムキで……」

「ねえ見栄張ってない? いや、わかんないけど、今アレンものすごく見栄張ってない?」


 ジトっ、と見透かすような目。アレンはたじろぎ、視線を逸らす。

 しばしの間を置いて、再び目を合わせた時、ふたりはどちらからともなく笑い合った。


 *


 陽が完全に沈み、夜を迎える。

 アーカディアの夜空に月は存在しない。けれど代わりとばかりに藍の空を埋め尽くすのは、満天の星だ。

 六万と五千の星明かり。瞬く星々は、月よりも明るくアーカディアの地平を照らした。


「宿を紹介してくれる、って話だったけどさ」


 アレンはそんな、星々の光が窓から差し込んでくるのを横目に眺めながら。


「……同じ部屋だとは聞いてなかったぞ、俺」


 宿の一室でベッドに身を横たえ、ため息交じりにそう愚痴を吐いた。

 隣にはネグリジェ姿で寝そべるノゾミ。もちろん同じベッドではない。間を空けて置かれたベッドで別々に寝ている形だ。

 だとしても、女子と同じ部屋というのはアレンにとっては落ち着かない。精神的には年頃の男性だ。今は風呂上がりでつるつるお肌の幼女にしか見えずとも。


「いいじゃん、今日だけ。ね?」

「まあ、もういいけどさ。今日だけだぞ」

「やたっ。アレンってば優しい~」

「元気だなぁ、さっきまで泣いてたくせに」


 泣いたカラスがなんとやら。アレンはごろんと寝返りを打ち、壁の方を向いた。なんとなくノゾミの方に体を向けながら眠るのは憚られたためだった。

 ノゾミを守る——

 そうは言ったものの、今日のところはもう寝るだけだ。

 平静な睡眠のため、隣に異性がいるという事実をどうにかこうにか、なんとかかんとか頭の中から追い出そうとする。

 そんなアレンの試みなど露知らず、ノゾミは夜更かしはこれからだとばかりに、眠気など微塵も感じさせない声色で話しかけてきた。

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