今もマグナに囚われているであろう彼女の、昨日の涙を思い出す。抗争を防ぐために消えなければならないのだと、自死を選択するところまで追い詰められた彼女の心の痛みを測ることは誰にもできない。
あるいはリーザとかいう、彼女の友人。
彼女も、
「ん~? 声が小さくて聞こえないでちゅよぉ。もっとハキハキ喋りましょうね~?」
「——来い、『キングスレイヤー』」
少女の手に——男たちが少女だと侮っていたアレンの小さな手に、黄金のリボルバー銃が現れる。
それは即座に火を吹いた。
「いぃッ!!? い、でええええぇぇぇッ!!」
「あ? こいつ撃ちやがった!」
「銃っ!? こんなガキが銃のボーナスウェポンだと……!?」
先ほどアレンの目をフランス人形にたとえていた男が、眉間に弾丸を食らって倒れ込み、激痛に悶絶する。
男たちの間に狼狽が走る。ただしそれは一瞬で、すぐに敵意——そして殺意へと変貌する。
「ナメやがって! このガキぶっ殺せ!」
「やっちまうぞお前ら!」
「おお!」
剣や刀といった、刃物のボーナスウェポンが男たちの元に出現する。
だがその時には、アレンの発射した二発目の弾丸が、先の男の隣にいた男性の頭を撃ち抜く。悲鳴を上げて転倒。
隣接するふたりが倒れ、包囲網に穴が空く。アレンはその隙を見逃さず、一目散に駆けた。
「逃げたぞっ、追え!」
「待てコラァ!! 身ぐるみ剥いでめちゃくちゃしてやる!」
背中に浴びせられる怒号。アレンは意にも介さない。散々子ども扱いして侮辱された怒りも、今はまったく感じない。
あるのは制御下にある焦燥と、なすべきことへの使命感。
戦火の燻るひび割れた街路を駆け抜けるアレンは、お目当ての地形を見つけると一目散に飛び込む。
煤煙に黒ずんだ家屋と、崩れかけた建物の間。つまりは路地だ。大人ひとりがなんとか入れるといった幅の細道はしかし、入ってすぐに行き止まりになっており、向こう側へと抜け出ることは叶わなかった。
「袋のネズミだなぁ。自分からこんなところに逃げ込むなんて、やっぱり子どものおつむだぜ」
「もう逃げ場はねえぞ、ガキが……大人を舐めるとどうなるか思い知らせてやる! わからせの時間だ!!」
追いかけてきた四者もすぐに追いつき、入り口を塞ぐ格好になる。
逃げ場はない。これでアレンは完全に追い詰められた——
そんな余裕の表情を浮かべる彼らを、アレンは冷ややかな瞳で見た。
「素人が。こんなこともわからないのか」
「あぁ? なに言ってやがる」
「もういい、やっちまえ! この人数なら負けようがねえ!」
四人はなだれ込むようにアレンへ殺到する。手には各々のボーナスウェポンがある。
——まさか、誘い込まれたことにさえ気づかないとは。
アレンは嘆息交じりにキングスレイヤーを構えた。即座に照準を合わせ、発砲。
頭部に着弾。「ぐげっ」と声を上げて先頭の男が倒れ込む。
「ま——またヘッドショット……!?」
どうやら、先の二発をまぐれだとでも思っていたらしい。残った三人の表情にさざ波のような動揺が広がった。しかし、もはや後戻りもできないのか、足を止めることはせずそのままアレンに向かってくる。
あるいは今の一瞬こそ、彼らが気が付くべき最後のチャンスだったのかもしれない。獲物とばかりに侮っていた眼前の少女がその実、この場における狩人の立場にあることに。
(残すは三人。路地に誘導したから左右に展開されて囲まれる心配はない。すぐ背後は壁、距離を詰められるまでにもう一発撃つだけの猶予はある。残弾は三、外さなければ問題なし——)
出鼻をくじいたとはいえ、未だ数的不利。しかしアレンの胸中に恐れはない。ノゾミを助けるということすら、今、この一瞬だけは頭から消えている。
銃を構えれば、余計なものはすべて脳内から失せてしまう。
感情も先々のことも置き去りにして集中する。今、この瞬間の盤面に。
(——三人の武装はそれぞれ剣、日本刀、それからナイフ。どれも派手な見た目だから十中八九ボーナスウェポン。道幅は長物を振るうには十分ではないから、この場では小回りの利くナイフの方が怖い。だが位置関係からして最初に対処すべきは剣のやつか? いや、あのナイフ、妙な光を帯びつつあるな。おそらくユニークスキル……対処の優先度を上げるべきか。しかしリーチを補うほどだろうか? 日本刀の男も構え方がやけに堂に入っているのを見るに剣道かなにかやっていたと思しいが中途半端に型にはまってくれるなら道の狭さも相まってむしろ読みやすいくらいだから優先度はそのままでいい、ノゾミやカフカの前例に鑑みるとユニークスキルはやはり格別の警戒が必要だがかと言ってナイフの方を先に撃てば剣の間合いに入り込まれるのは明白——)
一秒にも満たない時間、無数の思考が根を伸ばす。
視界で動くすべての者。視界で動かぬすべての物。耳に入るすべての音。あらゆる情報を頼りに、アレンは盤面を俯瞰する。
(——視えた!)
『鷹の眼』の本質とは、単なる視野の広さ、他者に比べて同一のシチュエーションから得られる情報量の多さではない。むしろその膨大な情報の奔流を、余すことなく精査、統合し、刹那のうちに判断を下す異常なまでの思考速度こそが、アレンが持つ最大の資質と言えた。
その碧色の目が、未だ至らぬ終局を視る。
「食らえッ、このぉ——!」
剣を手に斬りかかる男。対し、アレンは素早く引き金を絞る。
発砲——ただし、今にも剣を振り下ろさんとする者ではなく、その後ろから迫る男の額に向けて。なんらかのユニークスキルを使おうとしていた彼は悶絶してナイフを取り落とす。
だが、わずかな猶予を後続の対処に費やした代償として、アレンは剣の一撃をなすすべなく受けることになる——
(いいや、まだ間に合う)
アレンは即座に身を翻し、側方の壁に身を寄せる。すると、びゅっ、という鋭い風切り音がアレンの耳に入る。剣先はアレンの顔に触れるか触れないかの距離で通過した。
「なっ……うげぇッ!?」
剣の使い手は驚いた表情を浮かべたが、アレンに反撃の鉛玉を叩きこまれ、仰向けに倒れた。
——体が軽い。
上段に刀を構えて向かってくる最後のひとりを視界に収めながら、アレンは短く息を吐く。
先の一撃を避けられたのはこの体のおかげだ。体が小さいということは、
恐怖はない。なぜならその動きは、『鷹の眼』が既に読んでいる。
「はッ——あぁっ?」
刀身が空を切る。想像とは違う手ごたえに男が素っ頓狂な声を上げる。
壁のそばまで追い込み、逃げ場はない——そう思い込んでいたのだろう。
「やっぱり、振りがコンパクトになったな」
男の頭上。壁を蹴って上方の配管につかまったアレンが、眼下へと言い捨てる。
地形上、相手は柄を短く持ち、振りも小さくするしかなかった。だからこそ上へ逃れる余地が生まれたのだ。もっともそんな映画のスタントマンさながらの回避ができるのも、やはり身軽な肉体のおかげだったが。
「お前っ、何者……うぐッ」
「っと。抵抗するなよ、ヘッドショットを食らいたくなければな」
アレンは勢いをつけて配管から手を離し、男の体に飛びついた。子どもの体とはいえ三十キロ程度はある。男は踏ん張ろうとしたが慣性を殺しきれず、思い切り後ろへと転倒する。
そして男が顔を上げようとする前に、アレンは馬乗りの姿勢になり、眼前に黄金の銃を突きつける。
「な、なんなんだお前は! ただのガキじゃないなっ!? 騙したのか!」
「そっちからいきなり襲ってきて、騙すもなにもないだろ……いいか、質問するのは俺の方だ。こっちは急ぎなんだよ」
ため息を吐きながら、ぐりぐりと男の額に銃口を押し付ける。男はさーっと顔を青白くさせた。
実のところ残弾は一発だけで、それならば頭にもらったとて死にはしない。このアーカディアであれば。
周りで倒れている彼らも、痛みで意識が朦朧としていたり気絶してしまっているだけだから、しばらくすれば起きるだろう。
なので、下敷きになっているこの男も、被弾覚悟で抵抗すれば、まだ勝機はあったのだが——
「な……なんだ。なん、ですか? 質問って……」
銃を前にして、平静でいられるほどの精神力はなかったようだ。先ほどの威勢はどこへやら、今にも泣き出しそうな顔で訊いてくる。