「ゴーストエコーじゃない。あいつには、ノゾミっていうちゃんとした名前がある」
あくまでノゾミのことを〈解放騎士団〉との抗争に勝つ手段としてしか見ていないであろうマグナに対し、アレンは非難を露わにした眼差しを向ける。
するとマグナは意外だとばかりに肩をすくめた。
「名前って。あくまで
「——あ」
「は? なんだその顔……まさか、本当に本名なのか?」
言わなくていいことを言ってしまったらしい。アレンは失言を取り繕う言葉を探したが、なにも出てこなかった。
「マジか、このご時世にそんな子どもが。学校のITリテラシー教育はどうなってんだ?」
「……それはいいだろ。関係ないことだ」
「まあ、そりゃそうだ。ならおれたちに関係のある話をしよう。実のところ、『ゴーストエコー』のユニークスキルはスナイパーと相性がよくない。あのスキルの有効範囲は広めに見積もってもせいぜい二十メートル程度だろ? 狙撃には向かねえ」
それはアレンも薄々思っていたことだ。スナイパーと『ゴーストエコー』は相性が悪い。
しかし、マグナであれば中距離でのスナイパーライフルの運用も問題はあるまい。そのためまったく使えないわけではない。だが——
「そこへいくとお前は完璧だ。『鷹の眼』に『ゴーストエコー』……まさしく鬼に金棒、プロゲーマーにチーティングってな。高速で情報を処理する能力に、その情報のゲインを大きく増やすユニークスキル。あの娘とお前は恐ろしいくらいの好相性だ。だからお前も目を付けたんだろ?」
「なん、だって?」
リボルバー銃を武器とするアレンにとっては、ノゾミの『ゴーストエコー』はすこぶる相性がいい。第15層での狩りを思い出しても、それは明らかだ。
……それだけならよかった。マグナがただその事実を口にしただけならば。
問題はそのあと。
「しかもずいぶん信頼されてるじゃねえか! 一体どんな手を使ったんだ? さっき言った、あの娘が抵抗したってのは本当だぜ。いくら
「マグナ——」
「はッ、大した信頼関係だ。出会って日も浅いはずだろ? どうやって取り入ったんだよ、ひょっとして抱きでもしたのか!? ああ悪いなぁ、その体じゃあ手も出せねえか! ははははははッ!」
「——てめえ、ノゾミになにかあったら容赦しないぞ。ユートピアがどうだとか、くだらない妄言を二度と吐けなくしてやる」
頭に血が上る。それをアレンとて自覚していながらも、怒気を抑えられなかった。
マグナは徹頭徹尾、ノゾミのことを人間とみなしていない。あたかも『ゴーストエコー』に付随するオマケかなにかのように思っている。
そのことがどうにも許せない。ノゾミを軽んじられている——というだけではなく。もちろんそのことだけでもはらわたは煮えくり返りそうになるが。
それは、アレン自身が信じてきた、マグナというプレイヤーの人間像に対する裏切りだ。
チーム〈デタミネーション〉の最年長にして、頼れる兄貴分。試合の外では寛大かつ朗らかな人柄で、試合の中では正確な狙撃でチームを支えてきた立役者。
それがアレンの持つマグナへの認識だ。断じてこのような、人が死ぬ世界をゲームだと断じ、人間を道具同然に扱うような悪漢ではない。
だが——アーカディアで過ごすうちに変わってしまったのか。それとも、これこそが彼の本性なのか?
「妄言ねえ。おかしな言動をしているのはお前の方に見えるがな。念のためもう一度だけ訊いておくが、おれたちの仲間につく気はないんだよな? アレンよぉ」
「その気があると思うか、今の俺に!」
「だよなぁ! ははッ、だったら仕方ねえ。今度こそここで——消えてもらおうか!!」
欄干越しに腕を掲げるマグナ。そこに、アーカディアでは流れえぬ鮮血のような深紅の銃床を持つ、全長二メートル近いサイズの狙撃銃が現れた。
「——っ、来い! 『キングスレイヤー』!!」
長い銃身の先、暗闇を湛えた銃口がアレンの方を向く。その瞬間、アレンは側方へ飛び込みながら自身もボーナスウェポンを取り出した。
腹に響くような銃声が轟き、ソファとローテーブルの間に転がり込んだアレンのすぐそばの床へとライフル弾が突き刺さる。
初手を辛うじてやり過ごしたアレンは、マグナがコッキング動作に勤しんでいる間にソファの背もたれを飛び越え、一気に階段を駆け上がる。高低差の不利をなくし、さらに拳銃の有利をより強めるために距離も縮めようという判断。
しかしマグナはそれを読んでいたのか身を翻し、クリムゾンをコッキングしてその場に空薬莢を落としながら、環状廊下の左側へと姿を消すところだった。
「追ってこいよ、アレン! おれと戦う覚悟があるならなぁ!」
当然、アレンは後を追う。誘われているのだとしても、ここで逃げ帰ればノゾミは助けられない。
アレンは二階へと到達し、マグナが去った廊下へと踏み入る。
エントランスから見上げた時、奥へと伸びる左右の廊下の壁面がそれぞれ緩くカーブしていたため、両の廊下が弧を描いてつながるようになっているであろうことは予想がついた。
しかし実際に目の当たりにしてみれば、廊下はエントランスの部分を除いて建物すべてをぐるりと囲う形状になっており、状況を忘れて気圧されそうになるほどの規模だった。
左側には灰の雲からかすかに差し込む陽の光を透かせる四角い窓が並び、反対に右側の壁にはドアが等間隔に配置されている。
そして同じく等間隔に、廊下の中心で壁面のカーブに沿って並び立つ柱。
シンプルな四角形の柱頭が目立つ、古代ギリシャのドーリア式を模した細い飾り柱だ。細身ながらもその荘重さでクラシカルに演出された廊下は、エントランス以上に高級ホテルのそれのような雰囲気を醸している。
「——!」
アレンはそこで、カーブする壁の向こう側から、半身を晒すような絶妙な位置取りでスコープを覗き銃を構えるマグナの姿を見た。
すべての思考を捨て、目の前の柱へと取り付く。発砲。放たれた弾丸が柱の端をかすめる。
「おいおい、こいつはしくじったな。そのサイズだと柱の横幅に収まっちまうのかよ……」
廊下の先から舌打ちの音が響く。
対するアレンもまた、思わず床にぺたんと尻もちをついていた。
(あっ——ぶねえぇ~~~~~……! 初見殺しすぎるだろ今の……!)
これ見よがしな細身の柱は、そもそも遮蔽物としては頼りない程度の幅。マグナの狙いは、あえてそれを使わせることで、柱からはみ出た肩を狙い撃つこと。
だがならばマグナの誤算は、アレンの幼女ボディが思いのほか小さいせいで柱に隠れきることができていたことだ。
先ほどの路地に続き、またこの幼い肉体に助けられた。アレンとしては内心複雑だったが、なにより驚嘆すべきはマグナの狙撃の腕だ。遮蔽からわずかにはみ出る肩を狙い撃つなど、このアーカディアでほかに真似のできる者はまずいまい。
「弾丸は柱に軽くかする軌道……エイム完璧じゃねえか。あのスナイプモンスターめ……」
命中こそしなかったが、先の一発はアレンの心にプレッシャーの楔を打つには十分だった。
なにせ、マグナを倒すためには今から、あの精度で撃ち放たれる弾丸をかいくぐって距離を詰めなければならないのだ。
しかしマグナは間違いなく、スコープを覗きこみ、アレンが柱から飛び出すのを今か今かと待っていることだろう。今朝の荷車越しのシチュエーションと同じだ。
こうした、相手の姿が見えるまで一か所を抑え続ける動作をFPS用語で『ロック』と呼んだ。
(マグナのロックをどう外すか。ショルダリングじゃだめだ。今度こそ肩を撃ち抜かれる)
柱から体がはみ出ぬよう慎重に立ち上がる。素直に柱から顔を出せば、その瞬間に弾丸を叩きこまれるに違いない。
頭に浮かんだのはつい今しがたの出来事。体の小ささに救われたことだ。
昨日の朝、アーカディアに転移し、こんな体になってしまったことをアレンは憂えた。
(だけど、このちんまりボディにもメリットがあるっていうんなら……利用できるものはなんだって使ってやる!)
妙案が浮かぶ。それはまさに今のアレン、それから肩先程度の小さな部位さえ的確に撃ち抜く、驚異的なスナイパーライフルのエイムを有するマグナが敵だからこそ可能な策だった。