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第22話 『射撃手のためのユートピア』


「ふっ——!」


 そうと決まれば、アレンはすぐに柱から飛び出す——

 直前で足に力を入れて急制動をかける。ショルダーピークと同じ動き。

 しかし違うのは、今度のアレンは肩すら出していない。ならば当然、カーブの先でスコープを覗くマグナから、本来アレンの姿は見えないはず。

 そう、本来であれば。

 今のアレンは可憐な少女の容姿をしている。

 成長途中の小さな背丈、細い肩や手足。顔立ちは端整ながらも幼さを帯び、碧色の瞳はくりくりと丸く、ほのかな赤みの差す頬は吸いつくように柔らかい。軽く結ばれた唇は健康的な桜色に色付き、快活で無邪気なさまを思わせる。

 そして、その髪は夏の日差しをふんだんに浴びる小麦のような黄金色の——長髪。

 毛先までまっすぐな癖のない髪は、柱の陰から躍り出ようとするアレンがその足を止めても、慣性が誘うままに流れていく。

 舞うような髪が毛先から、ふわり、アレン自身を追い越し柱の陰の向こう側へ——

 ダン! 廊下の先から重く鋭い銃声が鳴り響く。

 相手があの『紅蓮』でなければ、アレンの行動はなんの意味もなさなかっただろう。

 なぜなら多くの人間は、髪の先が少し柱をはみ出た程度の変化を捉え、あまつさえその髪に弾丸が触れるような反応速度で引き金を引くことなどできないから。


(撃った……!!)


 弾丸はアレンの髪の毛先のみをかすめ、後方へと過ぎ去っていく。

 ショルダーピークならぬヘアーピーク。相手が歴戦の強者だからこそ通じる一手。

 あまりにフェイントが高速すぎて、ふつうの人間ならばトリガーを引くことさえ間に合わないそれに、マグナは反応する。反応してしまう。

 その卓越した実力ゆえに。

——今だ!

 今度こそアレンは柱の陰より躍り出ると、前方へ向かって一気に駆け出す。

 狙いはあの荷車越しの時と同じだ。マグナの銃はボルトアクション方式、撃つたびにコッキング動作が必須となる。

 その隙こそ、この上ない接近のチャンス。距離さえ詰めれば廊下の先へ逃げることも叶わない。

 拳銃の射程まで肉薄すれば、あとは照準を合わせて引き金を絞るだけだ。

 アレンの腕前であればあと四歩ほど。訂正、今の歩幅では五歩は要る。足が短い。

 否、それでも今の極限に達した集中力であれば、四歩の距離で事足りる——!


「————、え?」


 一歩を踏み出したアレンの目に、信じられない光景が映った。

 廊下の先。未だコッキングの中にあるはずの、赤い銃床の狙撃銃が、こちらを向いている。銃口が向けられている。

 思考が漂白される。真っ白になった頭の中を埋め尽くすのは、ただただシンプルな疑問。

——なぜ?

 先のヘアーピークで撃たせてから一秒も経ってはいない。ボルトを操作してのコッキング動作を完了させ、照準を合わせ直すのはどう考えても不可能だ。

 不可能の、はず。

 鳴るはずのない銃声が鳴り響く。アレンが同時に感じたのは、熱だった。

 熱い。腹部の中心が、ひどく熱い——


「うぁああぁっ……!?」


 被弾した。そう気付くとともに、腹を熱した棒で無理やりに刺し貫かれるような痛みが脳髄を走る。

 熱。熱が漏れ出ている。血?

 アレンは慌てて自らの腹に触れてみる。だが、手のひらに赤い血液はまったく付着していない。アーカディアでは傷は絶対に生まれない。すべてはHPへのダメージだ。

 それでも、血が、命そのものとも言える熱が流れ出ていくような錯覚。


「い、っぁ——」


 痛みは止まず、心臓の鼓動が速くなるのに合わせ、さらに神経を強烈な信号が伝う。呼吸さえままならぬほどの激痛に意識が霞む中、アレンは辛うじて思考を保つ。

——次弾に対処しなくては!

 ほとんど倒れ込むような形で、手近なドアを押し開ける。そうして一歩部屋に入ったところで片膝をついた。


「——はぁ、く……っ!」


 痛みに喘ぎながら、ドア横の壁に背を預ける。すると廊下の先から、開けっ放しのドアを通して嘲るような声が響いた。


「辛うじて射線を切ったか。みっともない姿だなぁ、アレン」

「マグナ……!」

「今の腑抜けたお前にはほとほとがっかりだよ。あぁ、本当にみっともねえ」


 みっともない。繰り返されたその言葉は、痛みに呼吸を荒くし、必死に部屋へ逃げ込んだ無様を指しているのか。

 それとも——幼女同然の有様となった、今のアレンの姿自体を指しているのか。


「今の射撃は一体どういうことだ……コッキング中に撃てるはずがない! なにをした!?」

「簡単だ。コッキングをキャンセルした」

「キャン……セル?」


 なんでもないことのようにマグナは語る。事実、今の彼にとってそれは、あって当然の『仕様』なのだろう。


「インベントリから取り出された銃は、薬室や弾倉に弾が装填された状態になる。格納した時には弾を撃ちきっていてもな」

「あ……」


 アレンにも覚えはある。インベントリからキングスレイヤーを取り出した時は、しまう前の弾倉の状況にかかわらず、六発とも装填された状態になっている。


「ここまで言えばわかるだろ。撃ってすぐ『クリムゾン』をインベントリに出し入れすれば、排莢も装填もいらねえんだよ。ボルトハンドルに触れる必要さえない」


 ボルトアクション方式であればコッキングが必須であると断じたアレンだったが、インベントリを介することでその動作を拒否し、いつでも装填済みの銃を手にすることができるのだ。

 経験の差が表れていた。FPSゲームの、ではない。アーカディアのだ。

 片やアレンは転移二日目。片やマグナは、この不可思議な世界で数カ月過ごし、適応したプレイヤーキラーだ。


「ここを現実だなんて言っているから、こんな簡単なことにも気付けねえ。この世界はゲームだ。そして、おれたちはFPSゲーマーだ。筋金入りのな。だったら……ここがどんなに素晴らしい場所か、お前にだってわかるはずだろ?」


 ゲームでプロになる人種など、ゲーム好きに決まっている。そこに例外はない。

 とりわけFPSのプロであれば、現実に迫るほどリアリティのある世界で銃撃戦を行うことに楽しみを見出せないはずがなかった。

 だがそれはゲームの中の話だ。


「撃てば相手が本当に死ぬような世界を、ゲームだなんて呼べるか! ふざけるな!!」

「いやぁ、わかんねえだろ? ゲームオーバーになったやつらは消えちまうけど、案外別室みたいなトコで楽しくやってるのかも——ああ、これってまさしく天国か。ははッ」

「なにがおかしい! なんであんたはそんな風に笑えるんだよ……!」

「ゲームオーバーの先になにがあるかなんてわかんねえんだ。だったら楽しまなくっちゃあ損だろうが、このユートピアを! おれたちFPSのプロが存分に腕を振るい、すべてを支配できる理想郷を……!」


 幾度か繰り返した問答。アレンはアーカディアを現実だと信じ、マグナは単なるゲームであると謳う。


「楽しめるわけないだろ……人殺しを!」

「そんなわけがないんだよ。おれもお前も、根っからのFPSプレイヤーだ。なのにアレン、お前はこのユートピアを否定しやがる。人撃ちが楽しくって仕方がないからプロゲーマーになんてなったってのに、ここでは敵を倒すことを忌避している。そんなのおかしいだろ?」

「——っ」


 人を撃つのが楽しい。

 馬鹿な、と否定するために口が開く。だがアレンの舌は乾き、喉はこわばった。

 路地での一戦。『鷹の眼』により戦況を掌握し、傷ひとつなく制圧し、挙句の果てには相手に馬乗りになって銃を突き付けて怖がらせた。

 そこに愉悦が、勝利の快楽が一片たりともなかったと言えるだろうか?


「中途半端なんだよ、お前は。FPSがなにより楽しいって知ってるのに、人に銃を向けることを認めない。かといって現実への復帰に燃えるわけでもない。おまけに男のくせに女の体。半端、半端、半端者だ!」


 中途半端。半端者。

 マグナの誹りの真意に、アレンはようやく触れられた気がした。


(……ああ、わかっている)


 どれもマグナの言う通りだ。

 あの決勝戦でフランボワーズに撃ち抜かれた時、アレンは悟った。自身は偽物なのだと。

 だから夢を捨て、そして、社会に向けて新たな道を進む前のちょっとした息抜きとしてアーカディアを起動した。

 言わばモラトリアム。現役のプロゲーマーでも、プロを引退した社会人でもない、そんな状態が今のアレンだ。

 それを中途半端と呼ぶのは正しい。

 燻る種火のように。それとも凍てついた炎のように。どっちつかずのまま、この世界に迷い込んだ。


「だとしても、ノゾミがこのアーカディアで味わった苦しみは本物だ。俺はこの世界を認めない——」


 ここがただのゲームだと断じれば、それはノゾミの苦悩や友人を失った悲しみをもゲームの中のものだと認めることになる。

 それはできない。あの涙を嘘にしていいはずがない。

 この身がマグナの言う通り、中途半端の偽物であったとしても。


「——俺がわからないのはあんたのことだ。マグナ、あんたはそもそもなんでアーカディアにいるんだよ。あんたは俺と違って引退を表明したわけでもない」

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