「FPSのプロだからって、FPS以外のゲームをプレイしちゃいけない決まりはないだろ?」
「だけど……」
腑に落ちない。
もちろん、現役の人間だろうとも息抜きは必要だ。しかしながら、このように新作ハードのローンチタイトルまでわざわざ買うような現役プロはそうおるまい。プロならば誰だって、競争に身を投じる以上、自分が練習を休んでいる間にライバルたちが鍛えているかもしれないという焦りに追われている。
「まあ、おれもお前と似たようなモンだ。あの決勝戦……〈ゼロクオリア〉との試合でどうも心が折れちまってな。現実から離れたかった。正直、プロも辞めたくて仕方がなかったよ」
「な——なんだよそれ。あんたは引退を表明してないだろ! だったらそれは、プロで居続ける意志があったってことじゃないのかっ?」
「はッ。はは、はははは!」
まさしく青天の霹靂だった。てっきりアレンは、マグナはまだまだプロとしてやっていくものとばかり思っていた。〈デタミネーション〉は解散になってしまったけれど、また別のチームで活躍するものだと。
これまでのキャリアがあり、直近の成績も準優勝だ。好待遇は間違いない。
だがマグナは、アレンの問いを愉快だとばかりに笑い飛ばした。
「は、はははッ——違うなぁ、アレン。続ける意志があったんじゃない。辞める勇気がなかったんだ」
その声色には、普段のマグナにない空虚な響きが伴っている。
「プロの世界で最も恐ろしいのはな、外敵じゃない。時間だよ。日に日に力を失う自分……必死にプロの世界にしがみつく、終わりのないマラソン。この恐怖と苦しみがお前にわかるか? わからないだろうな、アレン。十七歳のお前には!」
「——」
歯噛みするようにして絞り出される言葉。そこに込められた強い感情に、アレンは言葉を失う。
歴戦のプレイヤー。長いキャリアを持つ、ベテラン。
それは必ずしもプラスには働かない。年月を経て得たモノは、いつか、年月を経て失うモノの総量に屈する。
マグナはよく生き残った方だ。
「でも、マグナ——さん。あんたは、衰えてなんて」
「いたんだよ! 周りが気付けなくとも、おれにはわかる! 以前なら当てられたシチュエーションで外し、以前なら反応できた飛び出しで反応できず、以前ならば勝てた間合いで撃ち負ける。そんなたびに、おれは自分に失望した……! 〈ゼロクオリア〉の時だって!」
今現在のFPSプロの平均年齢は二十歳ほどだ。
十代にしてプロになり、二十代も半ばを過ぎれば老兵扱い。そして、その頃には大半の選手が引退する。
才気あふれる若い選手の台頭。そして『老兵』の引退。低年齢層化が進み、選手生命はごくごく短い。どんな栄華も長くは続かず、大半はその栄華を得るための道半ばで諦めることとなる。
FPSゲームのプロシーンとはそんな、過酷という単純な二文字では表せないほどに険しい世界だ。
そのことはアレンも知っていた。なぜならアレンこそ中学生という若さでFPSプロの世界に入門し、その才能で国内準優勝の座にまで成りあがった、まさに現代競技シーンの体現者なのだから。
「おれが、フランボワーズを抑えられていれば……! おれたちは勝ってたかもしれねえのに!!」
「マグナさん……」
にじむ悔恨に嘘偽りはない。かつての戦友がそんな風に思っていたなど、アレンは考えもしなかった。
頼れる兄貴分として振る舞っていた時にも、心の中では様々な葛藤があったのだろう。先達である彼が背負ってきた重荷の大きさは、まだ若いアレンには計り知れない。
「……いいや、マグナ。よくわかったよ」
マグナにも苦悩があった。後悔があった。
だが、それが人殺しを許容する理由にはならない。ノゾミを抗争の道具にしていいことにもならない。
アレンは深く息を吸って、同情とともに吐いた。
マグナの暴走を止めるのは、同じチームメイトだったアレンの役目だ。
「要するにあんたは、嫌気がさしてアーカディアに逃げたんだろ。FPSで歯が立たなくなったから、この世界で妥協しようとしているだけだ」
「なんだと? てめえ、なにが言いたい」
「中途半端なのはあんたも同じだ。断言しといてやるけど、こんな世界で一番になったってきっと胸は晴れないぞ」
この狭い箱庭の世界を支配しようとも。あの日届かなかった、優勝トロフィーの代わりにはなるまい。
そんなことはマグナも本当はわかっているはずなのだ。
「〈ゼロクオリア〉に勝てなかったからって、素人の
「なッ——言うにこと欠いてこのおれがスマーフ!? 初狩りだぁ!? てめえアレン、冗談じゃ済まねえぞ!」
スマーフとは本来のものとは別のアカウントを作成し、低いランク帯でゲームをプレイするプレイヤーのこと。それから初狩りとは、初心者狩りのことだ。
つまり両方ともチーターに次ぐレベルの蔑称であり、もしプロゲーマーが本当にそんな行為に手を染めようものなら失望を通り越して失笑を買う。
「冗談はあんたのそのダッサい赤コートだろ。悪目立ちなんだよ、悪党らしくもっとコソコソしてればどうなんだ?」
「このヒョロガキが、言わせておけば……ああ今は幼女だったか……いやどちらにせよガキだ! どうやら年長者への礼儀ってのを〈デタミネーション〉で教え損ねたみたいだなぁ!」
「あんたに教わったのなんてせいぜい高速屈伸煽りくらいだろ。プロとしての自信をなくしたんならちょうどいい、俺が引導を渡してやる」
「大言を吐くのはいいが、状況を忘れたのか? 追い込まれているのはお前の方だぜ。その安全地帯から顔を出してみろ、脳天に風穴空けてやる——もっとも
どれだけ言葉を交わそうが、アレンの窮状に変化はない。
先ほどの焼き直しだ。間違いなくマグナは部屋の出口をロックしている。髪を撃たせるヘアーピークも、二度目はきっと看破されて通じはしない。
(だけど、とにかくHPさえフル回復しておけば、最悪一発は耐えられるはずだ……)
視界に浮かぶHPバーは二割弱。ポーションによるHPの回復が必要だ。
アレンはまずインベントリから一本目を取り出し、中身をごくごくと一気飲み。緊張に乾いた喉が潤い、HPが半分程度回復する。
しかしまだ三割程度のダメージは残っており、これはまた胴体に被弾すれば耐えられるか怪しいラインだ。
ゆえに、アレンはインベントリから二本目の小瓶を取り出して栓を抜き、瓶の口に唇を付け——
「うぷっ」
言い知れぬ感覚に一度瓶を離した。
HPを回復しなければならないのに、体がそれを飲むことを拒否している。
(これは、もしや……)
満杯の器になおも水を注ぐ愚か者はいない。どんな容器にも許容量がある。それを超えてしまえばどうなるかなど、わかりきったことだ。
そう、つまり——
(……お腹がたぷたぷになっている……!)
胃まで幼女サイズになっていた。
——これ以上飲めば、間違いなく吐く。
アレンには確信があった。『鷹の眼』による総合的な判断からしても二本目のポーションを飲むのは不可能。確実に幼女ストマックが限界を迎え、リバースする。
「流石は『紅蓮』の異名を冠する狙撃手……ここまで計算ずくってわけか!」
「は? なにが?」
アレンは二本目のポーションをインベントリにしまい直した。どうやらこの残存HPで戦うしかないらしい。
問題は待ち構えているであろうマグナのロックをどうかわすか。
アレンは一度、目を閉じて内的な思考に集中する。
『鷹の眼』の真骨頂、並列的な情報の高速処理。戦場においてアレンは、敵の位置や通している射線、局所的な作戦、突破のタイミング等々を測るため、外的にその資質を使用する。
だがアレンは今、その類い稀なる才を、自らの内側にのみ発揮した。
(髪を撃たせるなんて隠し玉も見せたんだ、もう小手先の技術は通用しない。かといって無策で飛び出せばあの人ならまず撃ち抜いてくる。どうする? ポーション以外のアイテムを道具屋で買わなかったのは失敗だったな——)
——しかし、ないものねだりをしていても意味はない。
視座は高く。意識は低く、自らの内奥へと沈めていく。
技術だけではかわせない。アイテムも使えない。地形は相手有利。この状況でアレンに残された手札とは?
一秒の間に無数の思考が駆け巡る。総合的・多角的な分析を、自らの思考そのものに働かせる。
まるで海に沈むようだ。表層的な思索の奥、無意識の海に届くほどに潜水する。そうすることで普段は気が付きさえしないような、自覚なき物事にまで思考の根を届かせる。