『ゴーストエコー』の効力は、ノゾミと同じパーティメンバー全員に共有される。
〈エカルラート〉の襲撃を受け、宿を抜け出した時、アレンはノゾミとパーティを組んだ。ノゾミが攫われてからもそれを解除していなかったのだ。
ゆえに視界の端、自身のHP・SPバーの下には、今もノゾミのHPが小さく表示されている。少なくとも現状の無事だけは常に確認が取れていたのだった。
「ひとりだったら勝敗は逆だったさ」
「はっ、下手な慰めはよせよ。で、なんでお前、おれが二階のあの部屋に『ゴーストエコー』……ノゾミだったか? あの娘を閉じ込めてるってわかったんだよ。一言も言ってないだろ、そんなこと」
「最初にこのエントランスに入った時、あんたは右側の廊下から出てきた。そして戦闘が始まれば、左側の廊下へ向かって俺を誘導した。あれは右の部屋から俺を遠ざけようとしたんじゃないかと考えた」
「初めっから当たりを付けてやがったのか? そういうことか……誘導のつもりはなかったんだがな、無意識を読まれたか。流石は『鷹の眼』、目ざといやつだ」
そう言って笑う面差しには、どこか清々しさが浮かんでいるようだった。
勝敗は決した。そのことはほかならぬ当人たちにこそ明白だ。
「悔しいが、だがまあ満足だ。アレン、お前もこのアーカディアにいて、しかもなぜかロリっ子になっていたのには驚いたが……おれを止めるのがお前でよかった。手前勝手だがな」
「マグナ——さん」
「……お前、本当になんでそんな体になってんだ?」
「それはこっちが訊きたい……」
思い出したかのように問いかけるマグナに対し、アレンは苦い顔を返すことしかできない。
「なんだそりゃあ。まあいいや……なんであれ、おれの完敗だ。なにからなにまで読まれていた。出会った時は『鷹の眼』なんて異名もなかったのにな……強くなったもんだ」
〈デタミネーション〉に入った頃。アレンはまだ子どもで、学校にも行かないようになっていたために、礼儀知らずもいいところだった。
そんな生意気で向こう見ずだったアレンに戦い方のみならず、プロとして備えるべきマナー、チームの和を尊ぶ協調性を叩きこんでくれたのはほかでもないマグナだ。
互いの視線が交差する。一瞬だけ、ふたりは今ではない昔日の景色を共有した。
「さあ、撃てよアレン。悪党に報いが下る時だ」
それも瞬きをすれば消えてしまう。今この場にあるのは、理想郷を謳ういびつな継ぎ接ぎのゲーム世界が生んだ、人気のない時計台のエントランスだ。
「——っ」
「大丈夫だ。恨んだりしない。化けて出るこたぁねえよ」
悪党。その通りだ。マグナは裁かれなくてはならない。
〈エカルラート〉はプレイヤーキラーの集いだ。そのギルドマスターであるマグナは、これまで何人もの人間をゲームオーバーの奈落へ突き落としてきた。
法のない世界で、悪を裁く誰かが必要だ。
チームメイトとして苦楽をともにしてきたアレンだからこそ、その罪を糾弾しなければならない。
この引き金に力を込めて、断罪する。
友を、殺す。
「…………できない」
歯を食いしばってこらえようとしても、喉奥に押し込もうとしても、それでも否定の言葉が漏れ出た。
〈エカルラート〉は悪だ。マグナもまた、悪人だ。
だが、引き金にかけたその指にほんの少し力を込めることが、どうしてもできない。
「できるかよ……! あんたは仲間だ。〈エカルラート〉なんか知るか、俺の知るあんたは〈デタミネーション〉のマグナだ!」
「アレン——」
「俺はただノゾミを助けたいだけだ! マグナさんを殺したいわけじゃない! 世話になったあんたを、殺せるわけがない……っ」
キングスレイヤー。王殺しの銃が、アレンの手からこぼれ落ちた。
この世界が現実と同じで、ゲームオーバーが単なる死であると思うのなら、マグナを撃つことはそのまま、かけがえない仲間をこの手で殺すことになる。
アレンにそんな覚悟はなかった。ノゾミを助ける意志はあっても、友を殺す覚悟までは。
「——そうだな。お前はそういうやつだ。誰よりもまっすぐで、ひたむきで、自分を曲げたりしない。〈エカルラート〉に誘ったのは間違いだったな。お前は弱いおれとは違う。こんな馬鹿な真似、するはずがなかったのに」
「だったら! 馬鹿な真似だってそう思うんなら、今から償えばいい! 今からだって……!」
「遅くない、か? はッ……おせえよ。もう、なにもかも過ぎ去ったあとだ。おれの黄金期も、この箱庭で犯した罪も。取り返しがつくことなんてひとつもない」
安易な言葉を飲み込む。
アレンとてわかっている。今から償えることなどない。
ゲームオーバーレコードに刻まれたIDの
「だが——それでも」
やにわにマグナは床へ手を伸ばし、アレンの落としたリボルバー銃を拾い上げる。
「そう、それでも、責任は取らなくちゃあならない」
そしてマグナはそれを、アレンではなく、自らのこめかみへ突きつけた。
「最後にお前の成長が見られてよかった。……ああ、今日までずっと、長い悪夢を見ていた気分だ」
「な……待て! マグナさん!」
「いいかアレン、お前は若い。どん詰まりのおれなんかとは違って、まだまだ強くなれる。だから、こんなクソッタレな世界はとっとと抜け出して、本当にやりたいことをやってこい」
ダン、と聞き慣れた銃声が静かなエントランスに響く。
やはり血は出ない。だがアレンには、その一発がマグナの残存HPをすべて刈り取るとわかっていた。
「マグナさんっ!!」
回復——回復すれば、まだ。
咄嗟にインベントリから、一本だけ残っているHPポーションを取り出そうとするアレン。
しかしその動きを止める。眼前の男の体は、既に輝くような粒子へと変換され、空気と溶けるようにして消えつつあった。
これがアーカディアの死。ゲームオーバー。
体の末端から粒となって消え、そこには死体も残らない。
「あ……ぁ、そんな——待って」
消えゆく友に縋り付く。だがその縋り付いた胸さえ、すぐに感触が消えてしまう。
データの海へと溶け、その存在がアーカディアから消失する。空に瞬く星がひとつ数を増すその時まで、マグナの足が再び地を踏むことはない。
だがゲームオーバーの刹那、確かにマグナはなくなった手でウィンドウを操作し——
「お前は偽物なんかじゃない。自信を持てよ、〈デタミネーション〉のアレン」
——アレンの胸の奥に最も深く残る言葉を告げ、跡形もなく消えた。
「ぁ——、あっ」
細い喉から悲嘆の息が漏れ出る。その小さな音が、アレンにはどこか自身の耳に強く響いて感じられた。
そこにいたはずの友はいなくなり、独りになった。
マグナは死んだ。否応なしに突きつけられるその事実に、悲しみと無力感が湧いて出て、それらは知らず視界をにじませる。
(涙……?)
熱い雫が頬を伝う。遅れてアレンはそれに気付く。
涙なんていつぶりに流しただろうか。少なくとも、〈ゼロクオリア〉に負けた時でさえ流れなかった。
「くそ……なんだってんだ! なんなんだよ、くそぉ……っ!」
一度気付いてみれば、それはぼろぼろと止めどなく頬の上を流れていく。
きっと体が変わった影響だと思われた。女性の体は男性に比べ、構造上涙もろくなりやすい。
涙を袖で拭おうとするも、にじんだ視界になにかを認め、その腕を止める。
赤いなにか。マグナがいなくなったのに、その床の上に、なんらかの
まさかと思い、アレンは今度こそ視界を覆う涙を拭うと、床に落ちたそれを手に取った。
ずしりと重く、細長い——一挺の銃。
特徴的な銃床。マグナが好んでいた、深みのある赤色。ボルトアクション式なのも、懐古趣味のきらいがあった彼にとっては好ましかっただろう。
「これ、は」
『クリムゾン』。
マグナのボーナスウェポンが形見のように、その場に残った。否。そこにほかの物は一切ないのだから、その銃は残されたと見るべきだ。
マグナがその意志でアレンに託したのだ。インベントリの中身ごと自分が消えてしまう前に、愛銃を床の上に手放すことで、消滅の憂き目を免れるようにと。
「……ああ、わかったよ。マグナさん」
スナイパーならざるアレンに、彼のような狙撃の腕はない。
だがアレンはその意志を——遺志を継ぐ。〈デタミネーション〉の仲間が遺したボーナスウェポンをインベントリにしまい、それから立ち上がって振り返り、階段から二階へ向かう。
涙は止まっていた。すべきことも定まっていた。
「ノゾミ、どこだ?」
右側の廊下のドアを手当たり次第に開けていく。すると三つ目で当たりを引いた。
そこは物置部屋のようだった。箱や家具、あとはマグナの趣味であろう物々しい筋トレ器具までも鎮座している。
そんな中に、椅子ごと体に縛り付けられたノゾミがいたのだった。