「ん~~~! ん~~~~っ!」
「あ、いた」
壁のそば、物と物と挟まるようにしながら、椅子といっしょにガタガタと揺れている。口も布で塞がれていたが、ほどいてほしいと目で強く訴えかけてくる。
「んー! んんん~っ、んーっ!!」
「わかってるわかってる。今助けるから、大人しくしててくれ」
アレンは体の縄をほどき、首の後ろで結ばれていた布の方も外してやる。
「ぷはっ! あー、死ぬかと思ったよぉっ……!」
「お疲れ様。災難だったな、ほんと。こんなところに閉じ込められて」
「あっ、いや、わたしのことじゃなくって。アレンが死んじゃうかもって、もうすっごく不安だったんだから!」
「え? 俺?」
解放されたノゾミは、アレンの顔を見るなり泣きそうな表情で近づいた。
アレンは素直に困惑する。が、気付いてみれば簡単な話。
「だって! わたしは縛られて動けもしないのに、アレンのHPは段々減っていって……! 今もギリギリじゃんか! 回復してよ、回復っ」
「あ——」
アレンの視界の端に、ノゾミのHPが表示されているように。ノゾミの視界にもまた、パーティを組んでいる間、アレンのHPが視えているのだった。
そしてアレンの方は、マグナとの戦闘で幾度となく死にかけている。一度はHPポーションで回復したものの、幼女ストマックの限界によりフルHPにはできず、今も瀕死の状態だ。
縛られて動けない状態で、今にもゲームオーバーになってしまいそうなアレンのHPを眺め続けるのはさぞかし歯がゆかっただろう。
「ほら、わたしのポーション分けてあげるから」
「いや……ちょっと今は、胃が」
「胃!? そんなこと言ってる場合じゃないよー! なにかのはずみに怪我したら死んじゃうよぉ! ほら、飲んで飲んで!」
「うっ、おい、無理やり押し付けるな……!」
口に強引にポーションを注ぎ込まれ、HPが半ばほどまで回復する。最大ではないが、あとはじきに自動回復するだろう。
「うぷ……」
「ふう、これで一安心。よかったね!」
「揺らすな……頼むから……っ!」
喉元までせり上がりそうになるポーションをなんとか宥め、アレンは青い顔で耐える。
そこへノゾミはふと神妙な顔つきになり、言った。
「それで、アレン……あのおじさんは?」
「……ああ。マグナさんなら、倒したよ。もう狙われる心配はない」
ギルドマスターを失うと、指定されたサブマスター……〈解放騎士団〉で言うところの副団長・リカのような二番手の
が、〈エカルラート〉はもとよりマグナひとりのリーダーシップでまとまっていたギルドだ。サブマスターはいない。プレイヤーキラーの集いということもあって規模も小さかったので、それでも問題はなかった——マグナがいた間は。
ギルドマスターを欠いた今、〈エカルラート〉はシステム的にも人心的にも、空中分解は必定だった。
「倒した——そっか」
マグナによる〈解放騎士団〉との抗争、そしてアーカディアの支配。その目的のための手段として狙われていたノゾミだったが、これでもうそんなこともなくなるだろう。
一時はそれを止めるため、自死さえ選ぼうとしていたノゾミだったが、ようやく平穏な日々が戻ってくる。
それなのに。喜ばしいはずなのにどこか複雑そうな笑みなのは、『倒した』と告げるアレンの表情があまりに悲しげだったからかもしれない。
「改めてありがとね、アレン。助けに来てくれるってわたし信じてた。アレンはきっと、あの時の約束を守ってくれるって」
「まあ、最後はこっちも助けられたけどな。あの『ゴーストエコー』がなければ、勝てたかどうか」
「ふふ。ちゃんと壁の向こうから聞こえたよ、アレンの合図。……それにしても、よくここがわかったね? 街中のギルドハウスじゃなくてバベルの中を使うなんて、わたしちっとも考え付かなかったよぉ」
「実は、そこについては騎士団に礼を言わないといけないみたいだ」
「騎士団?」
「ユウって名前の胡散臭いやつがいてな。でもここにマグナさんたちがいるって情報は確かだった。騎士団はきちんと〈エカルラート〉の所在をつかんでいたらしい」
「そっかぁ。カフカさんやリカさんにも感謝しないとだね」
街に戻ったら、騎士団に挨拶に行こう。そうアレンは決めていた。
単に感謝を告げるだけではなく——もうひとつ、頼みたいことがあった。
それに話に聞くギルドハウスがどういうものなのか、ささやかな好奇心もある。
「さあ、帰ろう。ノゾミ」
「うん。……ねえ、アレンはこれからどうするの?」
ノゾミの救出は完了した。長居の意味もなく、先に物置部屋を出ようとドアのそばまで歩き始めたアレンは、背に投げかけられた問いに足を止めて振り返った。
なびく金の髪が、廊下の窓から差し込む昼光を受け、きらきらと光った。第12層の空はいつも曇ってばかりだったが、今は珍しく雲の切れ間から日差しが漏れているようだった。
「ああ——決めたよ。中途半端は、もうやめだ」
天使の梯子を背景に。碧色の瞳に決意を込めて。
〈ゼロクオリア〉に負けた日、アレンの夢は凍てついた。その道を歩む資格は自身にはないのだと、これまでのすべてを諦めた。
けれど——偽物なんかじゃないと、アレンに対し、マグナは確かに言ったのだ。
なぜ、すべてを諦めたはずのこの手に、まだ銃がにぎられているのか。
なぜ、それが
(たまには剣と魔法のファンタジーも悪くない——なんて、最初から嘘だった)
諦めたつもりでいた。そう、思おうとしていた。
未練から目を背け、FPSの世界から身を引くだなんて言いながら、胸の奥底にある感情に気付かないふりをしてきた。
アレンが、本当にやりたいこと。
「俺はプロゲーマーに復帰する。今度こそ、一番になるために」
氷が解ければ、まばゆい夢は、あの日となんら変わらずそこにある。
あの日届かなかった頂へ、もう一度手を伸ばす。
恐れはある。あの機械じみた射撃能力に——人の極限を体現したかのような才能に再び相対すれば、同じ結果に終わってしまうのではないか。再起、奮起に意味はなく、やはりこの身は偽物でしかないのだと思い知る、より大きな二度目の挫折が待ち受けているのかもしれないと思うと足がすくんでしまいそうになる。
「アレン……! うんっ、それがいいよ。わたしね、アレンはずっと、本当はそうしたいんじゃないかって思ってた!」
だが同時に。アレンの決意を聞いて、それを我が事のように無邪気に言祝いでくれるノゾミの笑顔を見て、こうも思うのだ。
——やはり、この選択は間違いではない。
新しい友人と古い友人、ふたりがくれた熱を胸に、凍てついた夢を再開する。
「でもそれには、このアーカディアを出て現実に戻らなくちゃいけない。だから、まずはこの狂った世界を終わらせる」
「うん。バベルを攻略する……ってことだよね」
アレンは肯定のうなずきを返す。
バベルの攻略が現実への回帰につながる保証はないが、現状最も可能性が高いのはここ。各層で空間が断絶された、街の中心にあるこの意味ありげな塔だ。
だからこそ、〈解放騎士団〉は勢力を上げてバベルを攻略している。
「騎士団に入るよう頼む形になると思う。カフカのやつにはお断り、というかお祈りされたばっかりだけど。ま、なんとか説得してみせるよ」
「アレンの実力なら、カフカさんもなんだかんだ喜んで入団させてくれると思うよ。なにせ〈エカルラート〉を倒しちゃったんだし! でも……」
そこでノゾミは言葉を区切る。なにか言いたげな、しかし言いづらそうな目線。
もじもじとした態度に、思わずアレンは小さく笑う。なるほど自分から言うのは恥ずかしいらしい。
今さら恥ずかしがることもないのに——そんな率直な感想を反応から汲み取ったのか、今度はむっと頬を膨らませるノゾミに対し、やれやれと細い肩をすくめてアレンは言う。
「あー、だけど俺はだいぶ出遅れちゃったからなあ。後から入るわけだし、気おくれしちゃうな。気心の知れた相手がいっしょに来てくれれば助かるのに」
「——! ふふんっ、そこまで言うならしょうがないねー! 出戻りになっちゃうけれど、わたしがいっしょに騎士団に入ってあげる!」
「そりゃあ心強い」
完全に言わされた形。しかしこうも満面の笑みを浮かべられては、文句を付ける気も失せるというもの。
アレンは苦笑を浮かべ、ノゾミとともに部屋を出る。そして階段を下り、先ほどに増して広く感じられるエントランスから、時計台の外へ。
その間際——
「うわっ?」
「あ……鐘が。びっくりしたね」
頭上から、ゴ——、と巨大で荘厳な鐘の音が鳴り響いた。
「おかしいな、時計は止まっていたはずなんだが。もしかして、ブラストボムの衝撃を受けてたまたま機構が動き出したのか?」
余韻を残す音の響きに包まれながら、アレンは小首を傾げる。
ノゾミは優しげに微笑みながら、「ううん」と言った。
「きっと、アレンの門出を祝ってくれてるんだよ」
「門出とはまた大仰な……ま、いいか。そう思っておこうかな」
「うん、そうしなよ!」
祝いなど誰が送るのか、とは訊かなかった。
このアーカディアで抱くにはあまりに甘い幻想なのかもしれないが、それでも今だけは、旧友からの祝福であると思いたかった。
(ほかでもないあんたが背を押してくれたんだ。たとえまた
アーカディアでアレンに贈られた黄金のリボルバー銃は、心の奥にあったそんな想いの現れなのだろう。
(……でも。その時は、あんたも仲間にいてほしかったよ)
鐘の音に未練を置いて。確かな熱を胸に抱き、アレンは第12層を後にする。