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第30話 『継ぎ接ぎ世界に輝く王冠』


 実物を目にするのは初めてだった。だが、間違いようもない。

 それは王冠だった。

 狂える炎の中でさえもひときわ輝く、黄金の。重力に逆らって頭上を飾る、荘厳たるクラウン。

 混沌期——半年前、アーカディアへの転移が開始した直後の、転移者プレイヤー同士の争いが常態化していた騒乱の時期。ギルド間で起きる泥沼の抗争を終わらせたのが、『クラウン』を手にしたカフカだった。

 クラウンは装備者に凄まじいバフをもたらすものの、その出現条件はわからないのだと、第15層でカフカ本人は言っていた。しかし——


「どうして……ですか? うそ、ですよね。だって、カフカさんがこんな……」

「ノゾミっ、しっかりしろ! 俺だって認めたくないがあれは確かにカフカだ。おそらく、この火災もあいつが起こした……!」


 よろめいたノゾミを危うく支えるアレン。

 第15層のモンスターハウスにて、哀れなスラプルたちを一掃したカフカのユニークスキルのことはまだ記憶に新しい。『燎原の火ワイルドファイア』、あれは広範囲を焼く炎を放つスキルだった。

 だとしても、流石に街の一角を火の海に沈めるほどの力は持たないはず。


(……やはり、『クラウン』の力なのか?)


 考えれば考えるほどアレンの頭には疑問が噴出する。状況から推察すれば、カフカの凶行だと見るべきだ。だが動機がない。

 街のため、そして転移者プレイヤーたちのために戦ってきた彼が、こんなことをする理由がない。


「なぜ——と、言いたげな顔をしているね。アレン君」

「当たり前だ……! こんなことをしてなんになる! あんたはバベルを攻略して、自分やみんなを元の世界に帰れるようにしようとしていたんじゃないのか!?」

「ゲームオーバーレコードのことは知っているか? あれは定期的に団員に確認させていてね。どうやらマグナが死んだみたいだなァ」

「……っ? 答えになってないぞ」


 ゲームオーバーレコード。死者のIDが刻まれた、アイリスの花に囲まれた石碑。

 思わぬものが話題に上り、アレンは戸惑った。


「だというのに、オレと同じになっていないのはいささか疑問が残るが。さてはあの赤色野郎、『クラウン』の出現条件に勘付いていて自殺でもしたのか? いいや、買いかぶりすぎだな。オレ以外に知る者などいないはずだ」

「なんの話をしているんだ、カフカ! はっきり答えろ、お前の目的はなんだ……! 火に巻き込まれて死んだ人だっているかもしれないんだぞ!」

「ああ、いるよ。まさにさっき〈サンダーソニア〉のギルドハウスを念入りに燃やしてきたからな。ついでに近くの建物も燃やしたらこんなに火の手が回ってしまった」

「——は?」


 自供に等しい言葉。アレンも、おそらくはノゾミも、まるで意味がわからなかった。

 わかるのはひとつ。この男は、明確に殺人の意思を持ってここにいる。


「計画が、狂ったのさ。きっと君なんだろう? マグナを追い詰めたのは」

「マグナさん? どういうことだ」

「ああァ——本当に想定外だ、オレだってこんなことをするつもりはなかった。まだ使える駒まで切り捨てて、嫌になるねまったく」

「計画……?」


 まだ頭が追いついていないのか、ぽつりと繰り返すノゾミ。

 そんな彼女を、カフカは静かな目で見つめた。この騒乱と踊る火の中にあって、その平静さは逆に場違いで狂気じみている。


「このアーカディアの転移者プレイヤーは、今現在でおおよそ3000人程度だと言われている。ではノゾミ君、〈解放騎士団〉の団員数ギルドメンバーがどのくらいかは知っているかな?」

「え? え、ええと……百人ちょっと、です」


 まるで生徒に問題を投げかける教師のように、カフカは問う。そのあまりに自然な振る舞いに、ノゾミがつい正直に答えると、カフカは満足げにうなずいた。


「その通り。ノゾミ君がいた頃とほとんど変わりはないね。だいたい百人といったところ——」


 アーカディア随一の規模を誇るギルド、〈解放騎士団〉。

 バベル攻略による現実世界への回帰を掲げながらも、その活動は街の治安維持にも及ぶ。現在の安定したアーカディアに欠かせない存在であり、団員たちはその誇りを胸に抱いている。


「——って、少なすぎるだろうがァァァァァッ!!」


 そのすべてを、団長自らが否定した。

 突如憤怒の形相を浮かべ、誰かが逃げていくさなかに落としたのであろう、近くに転がっていた中身入りのポーション瓶を蹴り飛ばす。八つ当たりに巻き込まれた瓶は回転しながら吹き飛び、地面にぶつかって無残にも砕けた。飛び散った中身は辺りを湿らせたが、この火の中ではすぐに乾いてしまうだろう。


「バカどもがよぉ! やる気がねェんだよ、どいつもこいつも!! 本当は現実に帰りたいなんて思ってないんだろ? そうじゃなけりゃあ百人ぽっちしか集まらないわけねーもんなァ!!」


 先ほどまでとは打って変わった様相で、街のすべてを罵るかのようにカフカは叫ぶ。

 恐怖の表情を浮かべたのはノゾミだ。カフカが今日まで見せてきた柔和な仮面はすべて偽物。この夕暮れを焼き焦がす炎こそが、周囲へ向ける恨み節こそが、彼の本性だった。


「百人ぽっち——だなんて」

「あぁ? まさか口答えしようってんじゃないよなァ。ノゾミ君、テメェは自分が騎士団から逃げた意気地なしだって忘れたのかな? 友だちが死んだくらいでメソメソして、モンスターとも戦えなくなった弱虫が!」

「——っ」

「お前……!」


 悪意が込められた言葉の刃に貫かれ、ノゾミの表情が痛切に歪む。

 にらみつけるアレンの視線も、カフカは涼しげに受け流すばかりだ。


「つまるところ、みんなこのアーカディアが気に入っているんだ。人は環境に慣れる。どんな異常も、それが続けば日常になる。学校にも仕事にも行かなくていい、現実世界の悩みとも無縁でいられる——理想郷。ハハハッ、まさにアルカディアだ」


 今や転移者プレイヤーの多くは、ここでの生活に慣れている。

 バベルで狩りをしてPPを稼ぎ、宿で夜を明かす。そんな生活のサイクルが出来上がっている。


「クラウンの力でアーカディアを支配し、バベルを永遠に封鎖する……そうすればずっと、誰も彼もこの理想郷に囚われたままだ。そう、オレはただ転移者プレイヤーたちの望みを叶えているだけなんだよ。真に人々が願うのはアーカディアから現実への解放じゃない、現実からアーカディアへの解放なのさ!」

「そんなはずがあるか! 現実に戻りたくない、そう思っている人もいるかもしれない……でも一部だけだ! 大多数の人間は現実への回帰を願っている!」


 マグナもまた、この世界を理想郷ユートピアだと宣った。だがすべての転移者プレイヤーが同じように感じているはずがない。

 それにマグナ自身、心の底では別の結末を望んでいたと今のアレンは知っている。

 決して許されないことをしたのだとしても。あれは過酷な競技の世界に長く身を置き、摩耗した心が救いを求めたがゆえの過ちだった。


「おいおい、なにを根拠に吹いてやがるのかな。そんなハズがないだろう? だったらその大多数の人間ってのも、オレの〈解放騎士団〉に加わるべきだろうが! 現実への回帰を掲げるギルドによォ!!」

「バベルの攻略は危険を伴う。元の世界に帰りたい気持ちと、戦いを恐れる気持ちは両立するものだ! 人なんだから怖くて当然だ、それはなにも悪いことじゃない……!」

「アレン……」


 友人をゲームオーバーで失い、騎士団を抜けたノゾミ。彼女自身はそのことを悔い、生き残ってしまったこと自体を思い悩んでいた。

 だが、それは罰されるべきことではない。罪にもならない。

 そう主張するアレンの姿に、うつむきかけていたノゾミは顔を上げる。


「——そんなさァ。結局、それまでの気持ちってことじゃないのかな?」

「……なに?」


 それでも、カフカは嗤ってみせた。


「本当に現実に帰りたいのなら、戦えるだろ。怖くても怖くても、奮起して武器をにぎれるはずだ。それができないってことは、帰りたいって気持ちはしょせんその程度——要するに偽物の気持ちだったってだけのコトだろ。違うか?」

「それは……」


 一瞬だけアレンは返答に窮した。それを見て、カフカは一歩だけ足を進める。彼の歩みに合わせ、頭上の『クラウン』が追従する。


「もういい。正直さァ、テメェら見てるとムカつくんだよ。オレの計画を台無しにしやがったカスどもが。そっちから来たのはちょうどいい、今すぐここでゲームオーバーにしてやるよ」

「やるつもりか……! ノゾミ、戦闘はいけそうか? 無理なら俺が抑えるうちになんとか……」

「ううん。悪いことじゃないって、アレンは言ってくれたから。わたしも戦う……! あの人の言ってることは間違ってるって、証明する!」

「ノゾミ——ああ、わかった。ふたりで戦うぞ!」

「うんっ!」

「……テメェらさ。抑えるとかなんとか、誰に向かって言ってんだ? 調子乗んのも大概にしてほしいね」


 風が吹き込み火の粉が舞う。カフカの背後に建つ、三階建ての大きな建物が轟音とともにその厚い屋根を崩れさせる。転移孤児院も兼ねた〈サンダーソニア〉のギルドハウスだった。

 炎に囲まれた三者の空気が戦闘を前に冷え込む。叩きつけるようなカフカの冷酷な殺意が、体感温度を下げさせる。

 三者は己のボーナスウェポンをインベントリの虚空より手繰り寄せた。

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