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第32話 『焼き尽くす赫焉の火』


 そう、カフカの緻密な計画は既に壊れている。アレンという半年遅れでやってきた計算外の転移者プレイヤーが、〈エカルラート〉に奪われるはずだったノゾミの身を守りきり、あのマグナを単独で倒してみせたのだから。

『クラウン』の顕現には、抗争の場において、キルスコアをたんまり稼いだマグナを殺害ゲームオーバーにする必要があった。

 もういないマグナは殺せない。ゆえに、カフカが『クラウン』を手にする方法はないはず。

 だがそんな理屈とは裏腹に、彼の頭上には王の証があり続ける。


「代わりを立てた。要はたくさん人を殺した転移者プレイヤーがいればいいんだ。警戒されない間柄の相手であれば、仕留めるのは簡単なことだ」

「お前——誰を殺した! 何人の転移者プレイヤーを!!」

「違うなァ。その質問は違うよ、アレン君。誰を殺した、じゃない。誰が殺した——だ。何人か、なんてのもバカバカしい。オレが殺すのはたったひとりだ。たくさんの転移者プレイヤーを殺すのは、オレじゃなく、オレが殺すやつの仕事だ」


『クラウン』の出現条件。王殺しに必要なのは、キルスコアの王。

 それを作るにあたり、無論、多くの生贄は必要だ。だがその贄たちを殺すのはカフカではない。カフカが殺す——副団長の彼女だ。

 だから、カフカは『クラウン』のために大勢を手にかけてなどいない。

 アレンの怒りは筋違いだと、そうカフカの黒い瞳が嗤っている。


「く、くく。思い出しても笑えるよ、あの時のリカ君の顔! オレの命令で騎士団の団員をひとりずつナイフで殺しながら……『これでいいんですよね』『正しいことをしてるんですよね』って縋りついてくるような目! 罪悪感と恐怖でいっぱいになった表情! バカだろあいつ! フツー命令でも仲間を殺すかァ!?」

「え——リカ、さん? え……そんな、リカさんが——」

「最ッ高の見世物だったよ。あのバカ女、オレに斬り殺されて『クラウン』を顕現させる瞬間まで本当にオレのこと信じ込んでやがった! ありえねェだろ、どんだけ頭ン中お花畑なんだろうね? ははははははァ——ッ!」

「殺された……リカさんも、ほかの団員の皆さんも……?」


 カフカのことを慕っていたリカは、徹頭徹尾利用されて殺された。なにか正当な理由があるはずだと、最期の瞬間まで信じながら。

 報われない奉公。リカも、それ以外の団員たちも、カフカの支配欲のためにゲームオーバーの闇へ追放されたのだ。

 理解に時間を要したのか、遅れてノゾミはよろめいた。膝をついて、声も出さずに泣き始める。それは昨日ゲームオーバーレコードの前で見せた、感情のあふれ出るような涙ではなく、たださめざめと静かに悲しみを零すようなものだった。


「——お前ぇぇぇぇッ!!」


——それと同時に、アレンはキングスレイヤーを手に駆け出していた。

 膨張し、爆発する怒りが小さな背を押している。

 ノゾミを傷つけ、マグナを利用し、リカや他の団員たちを身勝手な理由で殺した。

 許されるはずがない——許していいはずがない!


「来いよプロゲーマー! 冥土の土産は渡したぞ、そろそろ退場願おうか!」

「やってみろクズ野郎! 『ブラストボム』——!」

「ユニークスキル? スラプルさえ倒せない期待外れのスキルがなんの役に立つんだよォ!」


 アレンは返答の代わりに、手の内に現れた火球を自身の足元へと投げつけた。

 閃光、爆発。轟音が響き、爆風に巻かれたアレンの体が大きく飛び上がる。若干のHPを代償として。


「なにッ、飛んだ……!?」

「カフカぁ! お前はこの世界にいちゃいけない人間だ……!」


 マグナとの戦いで編み出した、『ブラストボム』の爆風を活かした移動。

 カフカを大きく飛び越える形で上方へ吹き飛びつつ、焼き付く痛みをこらえ、空中で射撃姿勢を取る。

 いくら『クラウン』で反応速度が増していようとも、ここまで予想外の動きを取られれば、ふつうの人間に咄嗟の対処は難しい。一方、アレンであれば空中からでもこの距離であれば十分に命中させられる。

 黄金の銃口が火を吹き、二連射された弾丸は両方ともカフカの脳天を貫く。


「ぐっ……」


 カフカが痛みに表情をしかめ、着地したアレンをにらむ。

 大ダメージ——には遠く及ぶまい。レベル差に加え、『クラウン』によるステータス向上は防御力にも及んでいる。

 しかし弾丸が頭蓋を貫通する痛みは、カフカに恨みを持たせるには十分だったらしい。にらみつけるその黒い瞳からは、先ほどまでの余裕が剥がれ落ち、純然たる殺意がありありと覗いていた。


「面白い使い方をするじゃないか、見直した。テメェはプロゲーマーよりサーカスの曲芸師の方が似合いだよ」

「カフカ、お前は『クラウン』の力でアーカディアを支配すると言ったな。そんなことはさせない! 俺がその身勝手な野望を止めてやる!」

「いい加減その思い上がりも不愉快だなァ。一発や二発、豆鉄砲を当てたくらいでいい気になるなよ。今度はオレの番だ」


 音もなく戴冠者は異形の剣を構える。心なしか、宙に浮かぶその光り輝く王冠から、アレンは空間を歪ませるようなプレッシャーを感じた。


「耳鳴りの時間だ。『燎原之火ワイルドファイア』!」


 ギイイイイィィィィィ——

 きしむような、それとも唸るような、そんな重く響く音。

 異形の剣が駆動する。細かな刃が滑らかに動き、けたたましい音とともに炎を噴き出す。

 それはどう見ても暴走そのものだった。第15層で見せた時とは音も、噴き出る炎も段違い。耐久値を持たないボーナスウェポンであるとわかっていても、一秒後には負荷に耐えられず自壊してしまいそうに思ってしまうほど。


「————っ」

「安心しろ、アーカディアじゃあ灰も残らない」


 振り抜かれる異形の剣から、炎の奔流が放たれる。

 第15層でスラプルたちを一掃した、広範囲を焼き尽くす炎の斬撃——

 とは規模が違った。まさに一帯を焼き尽くす、うねるような炎がカフカの剣からあふれるほどに噴き出る。


(これ、は——)


 押し寄せる波濤。それは津波を間近で迎え入れるのに似ていた。

 回避など望むべくもない。どこへ逃げようとしても炎の波はアレンを呑み込み、その体を髪の毛先から細い足のつま先に至るまで焼き尽くすだろう。

 被弾が確定し、それが実際に訪れるまでのごくわずかな猶予の時間に、アレンは戦慄を覚える。人は根源的に火を恐れるもの。それは文明が発達し、機械が意志を持つ現代においても変わらない。

 大波が迫る。刑の執行を待つような心持ち。

 そして、炎はアレンの小さな体躯を絡めとった。


「——あ、っあああああぁぁぁぁぁぁ……!」


 痛みが肉体を、骨髄を、神経を焼く。『ブラストボム』による爆発とはレベルの違う、体の芯まで届く耐えがたい熱の苦痛。

 一般に、深度にもよるが、火傷が体表面積の三、四割ほどを超えた辺りから命にかかわると言われている。

 今のアレンは現実であれば、九割以上の全身火傷だろう。まず助かるまい。

 だがここはアーカディア、歪められた仮想の箱庭。どれだけの大火も、燃焼による酸欠も、直接的に人を殺すには至らない。すべてはHPへのダメージとして変換される。


「がっ、ぅ、ぁぁああっ————!」


 だからこそ、現実であれば気を失うほどの痛苦の中で、アレンは明瞭な意識にひたすら苦しみを注がれる。痛みに慣れるなんてことはいつまでもなくて、喉が焼けてつぶれるなんてこともこの理想郷では起きないため、アレンは悲鳴を上げる楽器になってしまったように叫び続けた。

 だが、そんな地獄も永遠ではない。やがて火が消える。

 長い責め苦が実際の時間ではどの程度だったのかアレンにはわからないが、おそらくは幸運と呼ぶべきことなのだろう、身を包む炎が独りでに消失したあとにも、視界の端にHPバーはごくわずかながら残っていた。


(戦わないと……いけない、のに)


 割合にして一割未満。ゲームオーバーの崖際で、半歩分だけ耐えている。しかしそれは客観的に見て無意味な幸運だった。

 道でつまずいてこけるだけで死にかねないようなHPでなにができようか。

 加えて、炎が消失してもその度を越えた痛みは尾を引き、正常な思考をかき乱す。

 アレンのかすむ視界の中で、金色の髪の男がゆっくりと近づいてくる。異形の剣を構えながら。

 戦わなくては。この男は敵だ。ほかならぬアレンの敵であり、ノゾミの敵でもあり、マグナの敵でもあった。

 この男はすべての転移者プレイヤーを脅かす。ゆえに誰かが止めねばならない。

 そう考えているはずなのに、頭がぼんやりとして、体がうまく動かない。銃を持つ腕も、辛うじて立っているだけの脚も神経のつながりを断たれたかのようだった。

 背中越しに、大切な友人の悲痛な叫びが聞こえた。


「アレン、逃げて——!!」

「ゲームオーバーだアレン君。心配するな、すぐにノゾミ君もそっちへ送ってやるさ」


 悠々と、目の前で剣が振り上げられる。

 下ろされたそれが指の先にでも少し触れれば、アレンはゲームオーバーになる。第12層で散ったマグナのように、細かな粒子へと変換され、一切の痕跡を残さず消滅してしまう。


(ごめん……ノゾミ)


 わかっているのに、四肢は見えない鎖につながれたまま。

 ノゾミを助けるという誓いを果たしきれず、マグナによって再燃した自らの夢へ挑み直す機会も得られない。その碧色の目が迫りくる終焉の刃を捉え、アレンの心は深い絶望に染められる。

 それでも諦めることだけはできず、なにもできないまま、アレンはその刃を見つめ続け——


「……え?」


——その隣から、もう一本の剣がカフカに振るわれる瞬間を見た。

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