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第39話 『黄金郷へのプロローグ』


「急いては事を仕損じる。長くなるだろうから、先になにか注文でもしたらどうかな?」

「ねーアレン、わたしもなにか頼みたいな。起きてからなんにも食べてないから、お腹空いちゃって……」

「はぁ、わかったよ」


 ノゾミももう、先ほどのような照れた様子は鳴りを潜めている。

 注文を取りに来るNPCのウェイトレス。ノゾミはモーニングを、アレンは適当にコーヒーを頼んでおいた。


「しかしまぁ、確かに昨日の一件は僕も驚いた。『クラウン』の顕現は止めたかったんだけどね。〈サンダーソニア〉のギルドメンバーを救えたのが唯一の慰めかな」

「え? カフカは確かにギルドハウスを燃やしていたはずだろ」

「ギルドハウスはね。でも中にいたひとたちは無事だ、僕が避難させておいた。そうでなければ、おそらくカフカを倒したキミの頭上に次の『クラウン』が現れていたはずだ」

「む……そうか、言われてみれば」


〈サンダーソニア〉の転移者プレイヤーには出会ったことのないアレンだったが、そこが騎士団に次ぐ規模のギルドであり、転移した子どもを受け入れているとも聞いている。

 そんな場所に火を点けて中の人間を殺そうものなら、あっという間に最多キルだ。ならばそんなカフカをゲームオーバーにしたアレンは、王殺しキングスレイヤーとして次の『クラウン』に選ばれていなければおかしい。


「あ。もしかして、だからユウさんあの時、炎の中から出てきたんですか?」

「鋭いねぇノゾミ君。いや、あれでも結構急いだんだよ、実際アレンちゃんも危ないところだったし。でも避難誘導の説得に骨を折ってね、まったく強情な女性だよ」

「なんにしろ、そのギルドのひとたちはゲームオーバーにならずに済んだわけか。騎士団はなくなっちまったけど……不幸中の幸いだな」


 一日でカフカとリカ、つまりはギルドマスターとサブマスターを失った〈解放騎士団〉は、システムに従って解散となった。大きな支えを失ったアーカディアがこれからどうなるのか、誰にも知るよしはない。

 話の途中で、ウェイトレスが注文を銀のトレイで運んでくる。

 アレンにはコーヒーのみ、そしてノゾミにはたっぷりのバターと餡子が乗ったトーストをもそれぞれ配ると、一礼して去っていった。

 歩き姿も礼の所作も、どこかぎこちない。NPC特有の動きだ。


「きたきたっ! うーん、やっぱり朝はこれじゃないとねっ」

「なぜ名古屋式……?」


 イマドキは割と他県でも食べられるとはいえ、こんなご当地メニューがアーカディアの中のカフェにあることは不思議だったが、塔の中に屋外の空間がつながっているような世界だ。

 いちいち疑問を覚えていたら身が持たない。アレンは疑問を棚上げし、卓上のシュガーポットから専用のトングで角砂糖をつかみ上げると、自身のコーヒーカップへ落とした。

 ぽちゃん。

 ぽちゃん。ぽちゃん。

 ぽちゃん。ぽちゃん。ぽちゃん。ぽちゃん。ぽちゃん。ぽちゃん。ぽちゃん。ぽちゃん。


「……ん?」


 気づけば、ハトがキングスレイヤーを食らったような顔で、その様をノゾミとユウが見つめていた。


「なんだ。人の顔をじろじろ見て……なんかついてるか?」

「う、ううん。いつものかわいいアレンだけど」

「かわいいとか言うなし。俺は男だっての」


 コーヒーというよりはもはや甘い泥水に近似している液体をすすり、ほうと一息つく。五臓六腑に染みわたる糖分、爆上がりする血糖値が心地いい。


「マジか。知らなかった。キミ、甘党キャラだったのか……」


 さしものユウも貼りつけた笑みが引きつっている。

 なんだか微妙な空気が流れるまま、アレンは本題を切り出した。


「そういう口ぶりが気になってんだ。お前、やけに親しげっていうか……前から俺のこと知ってるみたいに話すだろ。初めて会った時からずっと」


 だが、アレンはユウと話したことなどない。あの路地で声をかけられるまでは。

 アレンの隣で、唇の端に餡子をつけながらもぐもぐトーストを頬張っていたノゾミが、口内のものを嚥下してから言う。


「——もしかして、アレンのファンとか? ほら、〈デタミネーション〉……だっけ。プロ時代のアレンを知ってる人、みたいな」

「俺もその線は考えた。でもそれだけでは納得がいかない。〈解放騎士団〉でもないユウがマグナさんの居場所をつかめたことも、カフカ以外知らないはずの『クラウン』の出現条件や持続時間まで知ってたことも……」


 カップを置いて、アレンはユウをじっと見つめる。

 その軽薄な笑みの向こうで一体なにを考えているのか?

『鷹の眼』を以ってしても、まるで見抜けはしなかった。


「……なにより。俺と同じ、キングスレイヤーを持っていたことも。わからないことだらけだ。ユウ、お前は何者なんだ?」


 最大の謎はそこだ。あの時、カフカを止めるためにユウがインベントリの虚空から取り出したのは、まぎれもなくアレンと同じキングスレイヤーだった。

 遠目だったが、見間違えようもない。そしてボーナスウェポンとユニークスキルはその転移者プレイヤーに固有であり、他者と同一のものが割り当てられることは絶対にない。

 未だ、アレンはユウに対する警戒を解いてはいなかった。

 確かに助けられたのは事実だ。間接的だったマグナの件以上に、カフカを倒せたのはユウの貢献によるところが大きかった。

 しかし不明点が多すぎる。得られるはずのない知識、不審なふたつめのボーナスウェポン、不透明な目的。

 今この瞬間にユウが武器を取り出したとして、アレンは一呼吸ぶんの硬直もなくインベントリからキングスレイヤーを手繰り寄せ、ユウの眉間を撃ち抜くだろう。

 そんな水面下の緊迫が伝わったのか。ユウは観念したように、オーバーな仕草で肩をすくめた。


「ま……そうだよねえ。気になって当然だ。いいさ、今回は僕もキミたちに助けられた形だ。礼ってわけじゃないけれど、一番肝心なことは告げておこう」

「一番……肝心なこと?」


 見つめるアレンに視線を合わせる。そのユウの表情から、ふっと笑みが消える。


「この世界はループしている。僕は、二周目だ」


 *


 同時刻、バベル第70層。

 本来そこは石柱の立ち並ぶ荘厳な神殿であり、奥には全長八メートルほどもある巨大な石像のボスモンスターが鎮座する、〈解放騎士団〉でさえ攻略に二の足を踏むボス部屋だった。

 が、そのボスは消滅し——

 神殿の内装は見る影もない。なにせ今やそのフロアの石造りだった床や壁は、清潔感がありながらもどこか親しみやすいアイボリーの建材に変えられている。

 正方形の部屋には木目調にデザインされたプラスチック製の机と椅子が規則正しく並べられ、カーテンの開けられた窓の外は快晴の青空が覗く。さらに前面の壁には巨大な電子黒板が取り付けられてあり、逆に部屋の後ろにはスチールでできたロッカーが積まれて二列に並んでいる。

 そこはどう見ても学校だった。

 今の時代にありふれた、どこかの教室。


「やあやあ。どうやら、『再構築リビルド』の権能にも慣れてきたみたいだねー?」


 廊下に面した開けっぱなしのスライドドアから、ひとりの少女が現れる。

 教室というシチュエーションが似合う、まだ背の低い子どもだ。雪のように真っ白な髪と、丸い黄金色の瞳が目を引く。


「……パンドラか。わざわざ様子を見に来るとはな。なんだ、管理者ってのも案外ヒマなのか?」


 最初から教室にいた誰かがそう答える。その人影はなにをするでもなく、電子黒板の前の教卓の上に腰掛けていた。

 その足は遠く床には届かず、宙でぶらりとさせている。もし教師というものがこの場にいれば注意を受けるであろう格好だが、バベルの中に咎める者がいるはずもなかった。


「むー。いきなり憎まれ口なんて、ずいぶんとご挨拶じゃないかぁ。雇い主に向かってさあ」

「雇い主、ね。それで? なんの用だよ。話があるならコミュニケーターを通じればいいだろう」

「結果が少し気になってね。ああ、ボスモンスターに勝てたかじゃないよー? キミの腕に疑う余地はない、キミは最強のプレイヤーだ。イビルスタチューごときに遅れは取らない」


 パンドラと呼ばれた白い髪の少女は楽しげな声音でそう言いながら、手近な机の上に黒いスカートの尻を乗せる。

 彼女の頭上には『Pandora』のID表記。


「当たり前だ。今さらモンスターが相手になるかよ」

「ふふ、頼もしい頼もしい。そうでないとねー。ここへ来たのは、キミがどんな風にフロアを再構築したのかなって。ちょっとした好奇心さ……これ、教室? なんで?」

「ヤツが蔑ろにしてきた場所だからだ。あの男を裁くのは、背を向けた過去であるべきだ」

「ふうん、ボクにはよくわかんないや。ま、そーいうのは当人同士でやってくれればいいよ」

「はっ。表面を取り繕ったところで、感情の機微までは理解できないか」

「——」


 瞬間、少女がきつく教卓の方をにらむ。黄金の瞳にあふれんばかりの怒り。

 するとジャリリリリリリリ——、と金属の擦れるような音を立て、どこからともなく巨大なひも状のモノが現れる。

 虚空より放たれたソレは鎖だった。成人の腕ほどもある黄金色の鎖、それが四本も凄まじい速度で発射され、瞬く間に教卓に座る者の四肢を縛り上げる。


「……」


 ぎ、と骨がきしむ音さえ聞こえそうなほどの、強引にして堅牢な緊縛。

 しかし教卓の少女——こちらもパンドラと呼ばれた彼女と変わらないくらいの背丈をした、見目麗しい少女だった——は手足も動かせない状況にありながら顔色ひとつ変えず、むしろ冷えた視線だけを返す。

 わずかな沈黙、見つめ合うふたり。

 異常な光景だった。二者ともが子どもの姿でありながら、二者ともがその醸し出す雰囲気にまったく稚気を孕んでいない。血の通わない機械、あるいは心を持たない人形が少女の姿を取っているような。


「ボクを目の前にしてよく皮肉を口にできたものだね、次に同じことを言えば消すよ。ボクにはそれができる。ごくごく簡単に、ティーカップに角砂糖を入れるくらいの気軽さで」

「脅しか。よほど腹に据えかねたらしいな。それとも、その感情さえもまがい物か?」

「キミの命はボクがにぎっている。キミのすべてはボクの意のままだ。そのことをよく理解することだね」


 さらに拘束が強まる。鎖が柔肌に食い込み、骨を砕く。

 このアーカディアで骨折は起きないが、縛られた少女は四肢に走る亀裂骨折相当の痛みに顔をしかめる。その拍子に金色の長髪が揺れた。


「教えてやるよ……パンドラ。こういうのは雇用関係じゃなく、主従関係って言うもんだ。学習は得意だろ?」

「そうだねー、ありがとう。覚えておくよ、奴隷」

「どういたしまして。雇い主改め、ご主人様」


 鎖がふっと消失する。拷問じみた拘束から解放され、少女は長い髪をふわりと翻しながら床に着地した。

 彼女が顔を上げた時、既にパンドラは踵を返し、廊下へと出ていこうとしていた。

 肩越しに振り返り、黄金のが少女を刺す。怒気の余韻とも呼べる感情がそこからは容易に読み取れた。


「——利用価値があるうちは消さないでおいてあげる。でも、その先も生きていたいのなら、生意気な態度は改めることを勧めておくよ」


 小さな足音を立て、箱庭世界の管理者は再現された教室を後にする。

 残された金髪の少女は、勝手な忠告など聞き入れないとばかりにため息をついて、窓の外に視線を投げかけた。

 ……雲ひとつない完全な青空。バベルの外との天候とは一致していない、この空間だけの空だ。


「早く来い、アレン。この第70層に足を踏み入れた時——」


 小さな背丈、落ち着いた様相。背中ほどまである癖のない美しい金の長髪に、あどけなさを残しつつも端麗な、精巧に作られた人形を思わせる顔立ち。片方の耳にはインカムに似た小型の黒い機械。

 長いまつ毛に縁どられた、生気を欠いたような碧色の瞳に、偽りの青を映しながら。


「——今度こそ、お前の夢を終わらせてやる」


 アレンと同じ顔の少女は、憎しみを込めてそう呟いた。



第一章 『王殺しのための理想郷』 了


第二章 『21845/65535の黄金郷』 へ続く

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