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遭難少女・サクの救出が無事に完了し、一行は〈サンダーソニア〉のギルドハウス、その応接間へと帰還する。既に陽は沈みかかり、窓からは夕焼けの光が淡く差し込んでいる。
その光と同じ橙色の瞳で、出発前と同じようにテーブルを挟み、シンダーはアレンたちに向けてお辞儀をする。
「改めて今回の件。皆さま、協力ありがとうございました」
「ありがとう……ございました」
シンダーに促され、助けられた当人であるサクもまた緩慢な動作で頭を下げる。つかみどころのない、どこか不思議な雰囲気の少女。だが、マチとミソラを逃がすために単身でレッドティラノの気を引いたのだ、友人想いなのは間違いあるまい。
ふたりに遅れ、そばにいるマチとミソラもぺこりと頭を下げた。
「いいさ、何事もなくてよかった。ただ、平原に行くのはもうやめておいた方がいいと思うぞ」
「それなんだけど、考えてみればレッドティラノって森にしか出ないはずだよね? でもサクちゃんたちは平原で遭った。こんなことあるのかな?」
「サクも……びっくりした。いつも……チョコ草を集める時……ティラノなんて、いない」
「そうそう! ティラノが森から出てくることなんてなかったんだ。平原にモンスターがいたことなんて、これまで一度もなかった。なのに今日に限ってなんでいたんだろ?」
「どちらにせよわたしたち……いえ、
孤児たちの中で最も理知的なミソラの言葉に、シンダーもうなずきを返す。
「そうですわね、ひょっとしたらあの一個体だけがはぐれ者だった可能性はありますけれど、わたくしの勘では違います。そもそもここはアーカディア。あれらモンスターたちの行動原理はプログラムであって、ならば埒外な行動など起こすはずはないのです」
「その口ぶり。キミはなにか心当たりがあるのかな? いないはずのレッドティラノが平原にいたワケに」
「申し訳ありませんが、具体的なことはなにも。ただ、なにかしらの『理由』は存在するでしょう、ということです」
——偶然ではない、か。
アレンは口内でつぶやきを転がす。ギルドハウス全焼による資金難を憂い、平原でチョコ草を集めて売ろうとする健気な孤児たちを襲った危機は解決した。
しかし、その危機の根源は
(森……確か転移直後にノゾミに聞いた話だと、その向こうには黒い海が広がってるって話だったか?)
このアーカディア世界は想像よりも広くない。発売される際は最新の生成AIを用いた超大規模MMOを謳っていたはずのアーカディアだが、その広さは大多数の想像をずっと下回っている。
街は平原に囲まれ、平原は森に囲まれ、そして森は黒い海に囲まれている。
その先に、あるいはその底になにがあるのか? あの海はなんなのか?
知る者などおるまい。バベルの頂にて、輪廻の箱庭を管理するパンドラを除いて。
ならば今は当初の目的に戻るべきだ。元々アレンたちが、このギルドハウスを訪ねた目的。
「じゃあ色々あったけど、バベル攻略の話に戻っていいか? さっきも言ったが、街の平穏を保つためには誰かがバベルを進めていかなくちゃならない。いつか元の世界に戻る、それがみんなの希望なんだ」
「ええ、わかっております。貴方が信頼の置ける人物かどうか、そして本当にプロゲーマーの腕前を有しているのか、シルヴァとの模擬戦を以って見定めるつもりでした。ですが……」
くすり、と小さく笑う。昼に見せた、唇を歪めるような嫣然なものとは違う、年齢相応の素朴な笑み。
「……それはもうよいのです。部外者であるにもかかわらず、貴方がたは迷わずにサクの救出に協力してくれました。さらにレッドティラノと対峙した時の一糸乱れぬ連携。極めつけはアレンさまの完璧な射撃精度。これ以上、量るべきものなどありはしません」
「信用してくれるのか? だったら……」
「はい。わたくしたち〈サンダーソニア〉は貴方がたに協力します」
「本当かっ?」
「二言はありません。わたくしはなにより、貴方の意志を信じます。ともに行きましょう。〈解放騎士団〉が攻略したバベルの前線、その先へ!」
ついに引き出せた承諾。アレンとノゾミは顔を見合わせ、やったと破顔する。
紆余曲折はあったが、これでアレンたちは〈サンダーソニア〉に協調してバベルの攻略にあたることができる。
騎士団を欠き、乱れる人心を留めるための一歩。
バベルの頂にて待つという、パンドラへ迫るための一歩。
そしてアレンにとってはなにより大切な——現実へと回帰し、プロゲーマーとして復帰するための一歩だ。
「今日は遅くなってしまいましたから、バベルに入るのはまた明日にしましょう。せっかくですしお夕食はこちらで食べていってくださいな」
「お? そっか、悪いな。ご飯までごちそうになっちゃって」
「ふふ。ボス部屋の攻略になりますので、皆さまにはしっかりと英気を養ってもらわないと」
「ああ、確か現状の最前線、攻略済み階層は第69層だったね。次の第70層はボス部屋……準備はしっかりとしておかないと。僕も朝イチでアイテムを買いそろえておこうかな」
ウィンドウを開き己のインベントリでも確認しているのか、虚空に指をさまよわせながらユウが言う。今はアデランタードがあるとはいえ、自身のボーナスウェポンがただのカードであり、ユニークスキルも攻撃性能を持たないユウにとって、アイテムは攻守両方の要であり生命線でもあるのだろう。
「ボス部屋か。うーん、経験ないからよくわからないな。広間で一匹のモンスターと戦う、みたいな感じか?」
「そんな感じだね。ま、アレンちゃんはあんまり気にせずいつも通りに射撃をしてくれればいいよ」
「そうですわね、さっきの腕前を見てもアレンさまは攻撃に集中してもらうのがよろしいかと。あんな精度で弱点を撃ち抜き続けられるのであれば、DPSは桁違いです。恐ろしい才ですわ」
DPS——
「じゃあ、わたしは今回は盾で防御役に徹しようかな。どうせボス部屋じゃ『ゴーストエコー』も役に立たないし、わたしは剣の腕もへっぽこだし」
「〈サンダーソニア〉から参加する面々も、大半は盾役になるでしょう。攻撃に参加できる、意義のあるダメージ量を叩きだせるのはわたくしとシルヴァだけです」
「ありがたい、盾役っていうのは頭数が重要だからね。この先80層、90層と上に昇っていくにつれてそういう人たちの存在は大きな支えになる」
「……各々に役割があって、大人数でそれをこなすのか。なるほどな、規模は大きいがやること自体はFPSのチームプレイと同じだ」
MMO経験はないアレンだが、チームのために役割をこなすというプレイスタイルはなじみ深い。FPSゲームもまた個々人に役割があり、アレンはフラッガーという最前線で突撃する役目を担っていた。
時には自身が倒されることすら勘案に入れて戦う役割だ。一番槍というリスクを引き受け、自身のキルではなく、チームの勝利のために動く。それができなくては務まらない。ならば、ボス戦という大規模なチームプレイをこなすことも可能なはずだ。
もっともそんなアレンも、〈デタミネーション〉に入ったばかりのころは連携は苦手も苦手、スタンドプレーの目立つ粗削りで典型的な若手プレイヤーだったわけだが。そこをマグナたちチームメイトに時に優しく、時に厳しく——割合で言えば二対八——教え込まれたおかげで今の実力がある。
「詳しいところはまた明日、詰めていきましょう。それでは皆さま、食事ができるまでしばしおくつろぎくださいませ」
「そうさせてもらう。ありがとう、シンダー」
「礼を言うのはこちらの方ですわよ、アレンさま。……あ、サクは騒ぎを起こした罰として準備を手伝うように」
「……そんなー…………」
抵抗するもむなしく、シンダーに襟首をつかまれてズルズルと引きずられていくサク。アレンたちはなんとも言えない表情で彼女を見送った。
その後、食事ができるまでアレンは仲間と話し、さらには孤児たちの相手をする。マチやミソラ以外にも〈サンダーソニア〉には大勢の子どもたちがいるのだ。
(この子たちも、あと一歩でゲームオーバーになっていたんだな)
ユウの手引きがなければ、団員も転移孤児も、焼け落ちるギルドハウスに巻き込まれていただろう。全員がそれでゲームオーバーになるかはわからないが、何人かは間違いなく消えていた。
孤児たちに群がられ、肩に乗られたり腕を引っ張られたり、髪をくるくる巻かれたりしながら、アレンは小さな彼らがゲームオーバーの闇を免れたことに安堵する。
「……ね、ユウさん。アレンてば、なんだかすごい人気だね」
「あー、年齢が近いから新入りだと思われてるんでしょ」
「おい聞こえてるぞ」
——近くねーよ、歳。
はぁ、とため息。この世界に来てからというもの、アレンはこの幼い体に振り回されてばかりだ。
偽りの
(——本当の自分に戻れる日は、いつ訪れるんだろうか)
そう胸中でつぶやく。
しかし、アレンは大切なことを見落としている。その疑問を明らかにするにはまず、『本当の自分』なるものを定義しなければならない。
自らを定義しうるものなどあるのだろうか? あるとすれば、それはなんであろうか?
肉体か、精神性か、記憶の有無か、習慣か、性能か、これらすべてか。はたまた魂なる形而上の存在が決定付けるのか?
雲をこの手ではつかめない。前提が曖昧な以上、その問いが答えを出すこともありえない。
アレンはこの点を見落としていた。そして、その