「おお、これはこれは……」
蜜柑の挨拶が終わらぬうちに、怒声が被さった。
「毎度毎度の許し難し所業の数々、許さぬ! 今日こそ成敗いたす! いざ尋常に勝負!」
「かの有名な本多平八どのに、このように丁重に出迎えていただけるとはうれしゅうござる」
家康が、首をかしげた。
「ちと尋ねるが……平八、そなたはいつ有名になったのじゃ?」
知りませぬ、と本人も首をかしげるが、蜜柑は良く通る声を張り上げた。
「このような戯れ歌を御存知ないか。『家康に過ぎたるものが二つあり。唐の頭に本多平八』。これを詠んだのは武田軍だとか」
目を剥いた本多平八こと、本多忠勝が、近くにいた小姓に掴みかかった。
「今の話、まことの話かっ!」
「はい。かれこれ十年ほど前のことと聞いております」
「た、たたたた忠勝がかように有名とは……ししししし知らなんだぞ……おおおお……何ということか……」
呆然とする主従をよそに、蜜柑は楽しそうな笑みを浮かべていた。
「さぁ、忠勝殿! その勝負、受けて立とうぞ!」
「おお、望むところだ!」
「え、どどどど……どうしてそうなる?」
おろおろする家康が止めるまもなく、二人は縁側を駆け抜け、美しく整えられた庭へと飛び込んだ。
「ええっ!」
「やあっ!」
本多忠勝の槍と、蜜柑の脇差が鈍い音をたてて交差した。いや、蜜柑は無銘だと言っていたが、拵えと刃の紋から察するに……名刀・正宗である。
どこで手に入れたのか、聞いてみたいような、知りたくないような、複雑な心境の家康を置き去りにして、武芸者二人は派手に打ち合っている。
(あああああ……わしが丹精込めた盆栽が……)
打ちあっては離れ、離れては踏み込む。
(あああ……みみみみみみ蜜柑どの、その松は……あああああだれか……忠勝、その樹を蹴るでない! あああああ……)
見事に息の合った演舞……いや、命がけの仕かけ合いである。蜜柑が飛び、忠勝が転がる。
そんな騒ぎを聞きつけた家中の人々が、試合を見に続々と駆けつける。無責任に応援する者、囃し立てる者。
「たたたたたた忠勝、負けるでないぞ!」
思わず声に出してしまい、慌てて家康は己の口を塞いだ。幼き頃の人質生活で身につけたことのひとつが、「無駄な発言は命取り」である。
幸いにして、家康の本音を聞いた者は誰もいなかった。
なにせ、蜜柑と忠勝は、人並み外れた動きで試合をしている。屋根の上を走ったかと思うと屋根から飛び降りながら派手な技を繰り出す。
「ははは……もう好きにせよ……」
「殿、今更止められません」
家康と小姓の乾いた笑いが響いた。