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「ふうちゃん!……もう、ふうちゃんっ!」
愛称で呼ばれて、私は驚きながらも振り向いた。
「あっ、ごめん。気付かなかったわ」
何気ない帰路だった。私はいつものようにそそくさとロッカーに教科書を押し込み、当たり前のように一人で帰ろうとしていた。
私の歩行速度は速く、同じ歩行者の追随を許さない。同じクラスの生徒をごぼう抜きして門を出て、直後に肩をはたかれていた。
「もう!今日こそ一緒に帰ろうってさっき話したばっかじゃん!」
同じクラスの、相田真奈美だった。ボブカットをふわふわと揺らしながらぷんすか怒る様子は、まるで圧を感じない。怒っているというのに、優しさしか感じなかった。
「話したっけ、そんなこと」
完全に覚えがなかった。きっと、寝不足のせいだろう。
「話したよ!今日クリスマスイブだよ!?女二人で過ごしてやろうね~って、話したもん!」
言われてみれば、そんな話を聞き流して適当な相槌を打っていたような気もする。
「ごめん、忘れてた。とりあえず一緒に帰ろうか」
「当たり前ですぅ~!」
今年のクリスマスイブはせっかくの土曜日だというのに、私の通っている高校は土曜授業を敢行するという鬼畜の様相を見せており、世間から乖離した制服を羽織って帰っていた。
「それにしても、皆浮かれてるね」
浮世離れと言うべきか、超然と言うべきか。どんなに繕っても、要するに恋人ありきのイベントとは無縁と言うだけの話である。
「そりゃ浮かれるでしょ!ふうちゃん!私達もこれから浮かれに出かけるんだよ。心の準備は出来てる!?」
「出かけるって、どこいくの」
「そりゃあほら、アレだよ。とりあえず…マック?」
「その後は?」
「その後は…カラオケ?」
「いつも通りじゃん」
「ふぐっ!」
私の口撃は少し研がれすぎているようで、心臓を刺されたように真奈美は胸を抑えた。
「まぁ、いつも通りだよ。だって、友達と遊ぶんだからね。クリスマスイブとか関係ないよ。わかってたさっ!」
「なーにを熱くなっておられるか」
「だって!バ先の後輩に煽られたんだもん!『先輩は予定あるんすか?』って、にやにやさぁ!あるわ!超あるわ!予定しかないね!そうだろふうちゃん!あるよなぁ!?」
熱い。植樹帯の土に振っている霜が解けてしまいそうだ。
「当日作る予定は『ある』とは言わんだろ」
「正論パンチって知ってる?…そんな事言う奴にはこうだっ!」
隣を歩いていたはずの真奈美が突如消え、次の瞬間には私の顔に氷のような冷たさが飛来した。
どうやら植樹の上に積もっていた雪をかっさらい、私の顔面に投げつけたらしい、と顔に付いた雪が落ちて開けた視界で理解する。
開けた視界の先には、低い姿勢で雪を投擲した体勢のまま硬直した真奈美がいた。
私は顔に付いた雪を払う事もせず、ポケットに手を突っ込んだままじっと彼女を見つめる。
「…すんごい真顔じゃん」
私の圧に若干引きながら、真奈美が一歩後ずさるが、それに構う事なく歩き出す。
「マック行くんでしょ。早くいこ」
言いながら横目でちらりと彼女を見ると、途端に嬉しそうに頬を緩めて駆けてくる姿が見えた。
「うん!いくっ!」
私が遊びに付き合ってくれるか一抹の不安があったのだろう。わかりやすいその態度に少し笑いながら、私は前を歩いた。
「ねぇ~ふうちゃん!カラオケ行こうよ~」
クリスマスイブとはいえ、変わらずマックは込んでいた。
奇跡的に空いた二人席を駆けこんで確保し、注文はモバイルオーダーで済ませた。
真奈美はまだ昼過ぎだと言うのに学校で昼食を取ったことを忘れているのか、がっつりとフィッシュフライバーガーとナゲットを食べつくし、現在はマックシェイクを完飲して机に突っ伏していた。
「駄目。それ書き終わってからね」
そう言って私が指さしたのは、真奈美が枕よろしく机に引いている一枚のプリントだった。
「やだよーカラオケいこうよー」
「どうせ今やらなかったら休み明けも出さないでしょ。『不治者の始まりと現在の研究についてのレポート』、ウィキ見ながらならすぐ書けるからとっとと書いちゃいな」
「いきなりウィキペディアを推奨するとは、ふうちゃんもワルだね~」
近代史の宿題だった。因みに私は一週間前に授業内で終わらせて、提出済みである。
そも、書き渋るほどの文字数ではないのだ。たかだか原稿用紙二、三枚程度の文字数。まともに勉強していればこの文字数内でまとめるのが逆に困難なほどだ。
しかし活字が大の苦手である真奈美は、のらりくらりと着手する事さえも渋り続け、かれこれ一週間がたっている有様である。
私に言われて渋々筆箱からボールペンを取り出した真奈美は、躊躇することなくスマホを取り出しネットで調べ始めた。無論、本来は教科書から引用しなくてはならないが、守っている生徒は私の知る限りいない。
「あっ、またニュースになってるよ。おっかないね~」
「何の話?」
のぞき込むように私が前のめりになると、真奈美は私にもわかるようにスマホを机に置いた。
そこにはいくつかのネットニュースが乗っていた。
「不治者」と検索しただけで、勝手にトップニュースやらローカルニュースやら、検索欄の上に表示されるのだ。よほど今ホットな話題らしく、私も知らない話題ばかりだった。
「ほら、この人。今話題の不治者のテロリストだよ。デイビット・マドソン、レッドノーティスだって。怖いねぇ」
レッドノーティス。つまり国際指名手配。ネット記事のサムネを飾っているのは、くすんだ茶髪にボロボロのトレンチコートを羽織った外国人だった。
「へぇ、今こんな事が起きてるんだ」
「ふうちゃん知らないの!?日本でも一昨日、爆破テロが起きたばっかじゃん」
「いや、それは知ってるよ?でも、そのテロに不治者が関わってるのは知らなかった。私の中では中学の一クラス全員殺された事件でニュースが止まってた。アレの方がショッキングだったし」
「あぁ、あったねぇそんなこと。世間はとっくに、死なない化け物のテロリストをどうやって拘束するのかで話題が持ちきりだよ?だっていうのに、ふうちゃんは遅れてますな~」
と言いつつ、ネットサーフィンを始めた真奈美の二の腕を人差し指で小突く。
「また集中切れてる。早く書いちゃって。私も手伝うから」
真奈美は口を尖らせて不細工な顔になりながらも、渋々と書き始める。その様子を横目で見ながらスマホを取り出すと、タイミングよくラインの通知が入った。
「どうしたの?」
私がじっと通知を見ていたからだろう。不思議そうに聞いてきた真奈美に、通知を開く事無くスマホを閉まって首を振る。
「ううん、何でもない」